~休日と狐と~
「おはようございます、御琴様」
扉を開けたと同時にそんな声が聞こえ、御琴は視線を上に上げると、そこには白夜が微笑みを浮かべ立っていた。
「君……いつからここに……」
今日の予定も特に伝えていなかったのを思い出し、素朴な疑問を投げ掛けると、
「はい、二時間ほど前からです」
御琴は、部屋を出てくるときに見た時計の針が指す時間を思い出す。
確か針は、ちょうど七時を指すところで……
(五時……!?)
衝撃を受けると同時に、気が重くなるのを感じる。
(とにかく、一日でも早く諦めてもらわないとな……)
昨夜の"賭け "を思い出し、小さく溜め息をつく。
(まぁ、わたしの守護者なんて、耐えられるはずがないだろうけど)
「あら、御琴ちゃん」
ロビーに着くと、詩織がこちらに気付いて声をかけてくる。詩織のそばには、朔夜の姿もある。
「どこかにお出掛け?」
「あ、ああ。少しこの街の様子を見ておこうと思って……」
昨日越してきたばかりで、まだこの街のことを何も知らない。
それに、数日後に入学を控えた高校の下見もしておきたい。
「へぇ~!じゃあさ!俺が案内してあげようか!?」
「あんたは行かなくていい」
食い気味で身を乗り出してきた朔夜の肩を、詩織が掴む。
「ゆっくり楽しんで来てね。気を付けていってらっしゃい」
半べそをかいている朔夜を無視した詩織に見送られながら、御琴達は館館を後にした。
「御琴様、よろしければ車を出しましょうか?」
館館を出た直後、白夜がそう尋ねてくる。
「君は運転が出来るのか?」
「はい。あらゆる場面にも対応出来るよう免許、資格等は全て取得するのが我が覡巫家の家訓なので」
さすが、貴族の妖の中でも名門の覡巫家だと思う。
「そうか。でも、今日は自分の足で行きたい」
「かしこまりました」
「夕暮れまでには戻る。それまで……」
「それでは、行きましょうか」
御琴の言葉を遮って言った白夜の言葉に御琴は眉を寄せた。
「…………え?」
視線を向けるときょとんとした様子で首を傾げた白夜に、御琴はまさかという思いで尋ねる。
「君もついてくるのか……?」
「もちろんです」
嬉々とした表情を浮かべる白夜に、御琴は改めて守護者という存在を思い知らされる。
守護者はいついかなる時も巫女と離れることは許されない。巫女を守ることこそが、守護者の役目だから。
「ですが……もしも"命令"とあらば、僕はここで……」
「……あぁ、そうしてく……」
れ、と言いかけた御琴だったが、
「やはり耐えられません!御琴様と離れるなんてっ……」
「!?」
跪いた白夜に手を掴まれる。
こちらを見上げる彼の目尻には、うっすらと光る雫が浮かんでいた。
「泣き……!?」
大いに忘れていた。この男が、変人だということを。
「御琴様……」
まるで、捨て犬のような瞳で見つめられ……
「っ~~~~!分かった!分かったから泣くな!」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
途端に白夜はコロッと表情を変える。
(え……嘘泣き……?)
朝から白夜の変人ぶりに翻弄されながらも、御琴は街へと繰り出した。
閑静な住宅街、大勢の人で溢れかえるショッピングモール、お洒落な図書館や、数日後自分が通い始める学校。
その全ての場所をある程度把握した頃には、辺りは夕焼け色に染まっていた。
(予定より少し遅くなってしまったな……)
帰路につきながら、御琴は思う。
夕焼けに染まった道に人影は無く。
烏さえ、その泣き声を潜めて。
空も紅く、紅く染まって。
御琴と白夜の足音だけが、そこを支配する。
不気味なほどに静かな空間。
息苦しさを感じる。
「御琴様」
そこで、二歩前を歩いていた白夜が歩みを止めた。
「ああ、分かっている。ここはもう────結界の中だ」
妖が造り出す此の世とあの世の狭間、それが結界。
息を潜め、辺りを警戒する。
その、瞬間。
ボトッボトッ
五メートルほど先に、どこからともなく次々と何かが地面に落ちてくる。
だるまくらいの大きさのそれは、顔だけをもつ、人間の生首のような奇妙な妖だった。
緑を黒く濁したような色の顔は、様々な表情を浮かべている。
苦痛。快楽。激怒。哀傷。
「つるべおとしか……」
人間を喰らうと言われているつるべおとしが、勢いをつけてこちらへと転がってくる。
御琴が巫女の力を解放しようとした時───
「御琴様」
白夜が一歩前に出る。
「ここは僕が」
そう言うと、白夜の体を白い光が包み込む。
「っ……」
途端に、髪をなびかせるほどの風が吹き、御琴は目を細める。
しかしその風もすぐに止んだ。
白夜が右手に持った刀で、風を切ったからだ。
「───下等な妖 風情に、御琴様の手は煩わせません」
御琴は、細めていた目を見開く。
金色の瞳。髪と同色の狐の耳、四本の尾。
さらに白装束を纏ったその姿は、白く、気高く、汚れを知らず。
「天孤……」
千年以上生き、狐の位において最上位に立つ妖孤(ようこの名を口にする。
白夜は刀を構えると、一閃。
振り切った刀から放たれた白い光は、迫り来るつるべおとしを浄化し、跡形もなく消した。
それは、ほんの一瞬の出来事。
紅かった空が、元の夕焼け色に戻っていく。
妖の気配がなくなったと同時に、変化をといた白夜はこちらに駆け寄ってくる。
「御琴様!お怪我はありませんか!?」
「あ、ああ」
頷くと、白夜が心底ほっとしたような表情を浮かべる。
(あれが、彼の変化した……いや、"本来の姿"……)
白夜の蒼い瞳を見て、変化した彼の姿を思い出す。
「……一応礼は言っておく。だが……」
御琴は白夜を置いてその場から五歩歩き、背を向けたまま立ち止まる。
「守ってもらうほど弱くはない。わたしは戦える」
東西南北に分けられた巫女達は、使命という名の特別な力を持つ。
ある巫女は、戦うことで妖を浄化し。
ある巫女は、妖を浄化させる唄声を持ち。
ある巫女は、妖が浄化するように祈り。
ある巫女は、可憐に浄化の舞いを舞う。
南を守る南条家では、代々己の身を以て妖と戦い、浄化してきた。
(だから、助けなんていらない───)
「いいえ」
ぎゅっと拳を握り締めたとき、白夜が口を開く。
「それでも僕は、貴方の守護者です」
コツ、コツ、と白夜の歩み寄る足音が聞こえる。
「貴方に仕え、お守りすることこそが、僕の役目」
コツ、と足音が止まったところで、御琴は振り返る。
「たった一つの、生きる意味です」
跪く白夜はまるで、ご主人様に忠誠を誓う犬のようで。
御琴はただ、戸惑うしかなかった。
「かっ、顔を上げろ。……そろそろ人が来る。帰ろう」
「はい」
微笑んだ白夜だったが、どこか悲しそうで。
それを御琴は、気付いていないふりをした。
*あやかし余談*
白夜の本来の姿である天孤は、妖孤の位では最上位ですが、妖力では空孤という三千歳の妖孤が勝っています。