~妖の呪い~
物心ついたときから、わたしは"巫女"である責任を負って生きていた。
巫女は、妖から世を守る存在。
代々、巫女の力を受け継いできた南条家に産まれたわたしには、当然受け継がなければならない役目───運命だった。
両親や屋敷の使用人達。それら大勢の人間達から寄せられる大きな期待。
その"期待"という名の重荷は、どんどん御琴の心をも、冷たく悲しいものにしていった。
日々与えられるものを、食し。纏い。学び。知恵とする。
ただ、期待に応えたくて。応えなければならなくて。
そうした日々が数年経ち、御琴も成長した頃。
文句一つ言えないほど、何も理解していなかった幼少期とは違い、御琴が己の意思を持ち始めた頃。
そんな御琴を、素直に言うことを聞かない御琴を、使用人達は疎ましく思い始めた。
『巫女だからって生意気な……』
『本当に迷惑だわ……』
御琴が歩く真っ暗闇に浮かび上がる、ぼんやりとした使用人達の姿。陰口も、聞こえていないふりをして。
『これ以上私の手を煩わせないで』
『あの子の相手なんて願い下げよ』
『先代様はご立派になられたのに……』
『あの子なんていっそ……』
歩みを止めた御琴は、耳を塞いでその場にしゃがみこみ、そっと呟く。
「消えてしまえばいいのに」
「っ……」
急激に意識が引き戻され、御琴は息を飲む感覚と共に目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む薄暗い光のお陰で、ぼんやりと部屋の輪郭が把握できる。
目を凝らして見つめた時計の針は、五時二十分をさすところだ。
「……」
御琴はベッドから起き上がると、汗で首に張り付いた髪を払う。
(また、あの夢か……)
御琴は小さく溜め息をつき、ベタつく汗を流すため、浴場へと向かう。
「……」
シャワーを浴びながら、御琴は目の前の、胸から上を写す鏡を見つめる。
左胸に刻まれた、黒い花の形をした模様を見て目を細めた。
季節を重ねるごとに黒く染まっていくこの花の模様は、妖から受けた"呪い"。
───半年前。鮮やかに色付いた紅葉が、秋の訪れを知らせるある日。
突如として、百を率いる妖達が、東西南北に位置する巫女の在処を襲撃する事件が起こった。
何の前触れもなく、大群で押し寄せてきた妖達に、屋敷の結界はすぐに突破され、使用人達の足止めすら無意味なほどに、大群の妖を前にした人間は無力だった。
しかし、いくら大群と言えど、巫女の傍で仕える使用人達もそれなりの訓練を積んである。そう簡単には負けるはずがないのだが───あの時の妖達は、脅威的なまでの妖力を持っていた。
たちまち大混乱に陥った屋敷に響き渡る悲鳴、怒号、慌ただしい足音。
御琴の母親の巫女としての力は既に御琴へと受け継がれ、皆無に等しかった。しかし、巫女としての力が不十分だった御琴もまた、その力で妖と戦うことは出来なかった。
妖を前に、手も足も出ないといった状況。
そんな状況の中、御琴は自分を追いかけてくる妖から逃げていた。
それは、大きな人魂のような形をしていて、でも人魂にはない恐ろしい顔がその妖にはあった。
逃げて。逃げて。逃げて。だが、足をもつらせ転んだ御琴にも容赦なく、妖は迫ってくる。
妖が目前まで迫った瞬間、強く目を瞑った。
しかし妖は御琴の体をすり抜けると、そのまま姿を消した。
その後のことは、覚えていない。
───ただ。
気を失う瞬間、頭に響いたくぐもった声ははっきりと御琴に語りかけていた。
『お前は死ぬ。二十歳までに、最も愛する者と結ばれなければ』
「……」
御琴は模様を左手でそっと撫でる。
この模様に込められた呪い、それが"二十歳までに、最も愛する者と結ばれなければ死ぬ"というもの。
それを聞いた両親はたいそう驚き、悲しんだが、それから御琴の"守護者兼婚約者"を見極める催し、いわば見合いを設けるまでに時間はかからなかった。
毎日のように行われる見合いに、他方から集まったたくさんの貴族の妖達が、その名を馳せて見合いに参列した。
しかし妖が言った刻限、"二十歳まで"はまだ四年もの猶予がある。
いや、"四年しか"なかった。
なにせ極度の"人間不信"である御琴は、それのせいで、他者と触れ合うということが出来なくなっていた。
もちろんその結果、守護者も婚約者も受け入れられない。
それに、見合いに参列した貴族の妖達が求めるのは、花嫁なんかではない。
彼らが求めるのは、南条家という名の"地位"、"権力"、"財産"。
(所詮彼も……)
そこで御琴は、あの白夜と名乗った男の顔を思い浮かべる。
自分の守護者になると言った彼も、結局は家柄や財産が目当てなのだろう。
だから。
だから、嫌いだ。人も。人の仮面を被った妖も。
彼らはとても欲深く、とても醜い。
そんな、欲深な彼らと繰り返される見合いに痺れを切らした御琴は、置き手紙だけを残して家を飛び出して来てしまったという訳だ。
(あと四年……)
その間に愛する者を見つけ、結ばれなければ、待っているのは───死、だけだ。
自分が死ねば、南条家を引き継ぐ巫女がいなくなってしまう。それはこの世を納める者として、あってはならないことだ。
東西南北に分けられた巫女達の力で、この世は安寧を保ってきた。しかし一つでもその力が欠けてしまえば、この世は妖達によって支配されてしまうだろう。
「……」
そこまで考えて、御琴は自嘲するように広角を上げる。
結論から言うと、この呪いを解くことは出来ない。当然、自分は死ぬことになる。
だからその死ぬまでの四年、一人で静かに暮らしたい。家出の理由にはそんな思いもあった。
ただ、巫女としての務めを放棄した訳ではない。呪いを解く方法が他にもないか探すつもりだ。
「……期待はしていないがな」
シャワーを浴び終えた御琴は、慣れない洋服に袖を通した。