第一話
ごろごろと茶色いキャリーケースを引きながら、少女は右手に持った住所と地図の描かれた紙を見る。
(洋服って、スースーする……)
着慣れない洋服の隙間を通り抜けていく春風を感じながら、少女は足をピタリと止めた。
「ここか……」
ぽつりと呟いて見上げた少女の目の前には、大きな建物が聳え立っている。
"館館"。地図に書かれた名前は、紛れもなくこの建物の名だ。
まるで旅館のような落ち着きと共に、マンションのような現代的な外見、そしてお洒落な洋風さを持つその建物の門を開け、少女は再び歩みを始めた。
正面の入り口へと真っ直ぐに延びる石畳を歩きながら、キョロキョロと辺りを見渡す。
建物をぐるりと囲む庭は広く、花壇に植えられた花には蝶が集まり、さらには小さな噴水まである。
一見、マンションには見えない────いや、その名の通りこの建物は"館"なのだ。
少女は庭から目線を外し、ずっしりと重みのあるキャリーケースを持ち上げ、扉を中心にした半円型の階段を登ると、入り口の扉をノックする。
「……」
しかし中からは返事がない。
もう一度三回ノックしてみるが、返ってくるのはやはり静寂だけだった。
仕方なくドアノブを捻ってみると、どうやら鍵は開いていたようで、扉はあっけなく開く。
(開いているのか……)
キィ……っと唸る扉の向こうは、灯りがついていないせいで何も見えない。
だが外の日の光が差し込むことによって、視界にはぼんやりと何かが形を表していく。
暗闇にも慣れてきた目を凝らして見えるものは、椅子。それからテーブル。多分、ここがロビーなのだろう。
「……」
少女が一歩、踏み出そうとしたその時。
「っ……」
ぶわっと、強い追い風が髪をさらい、その"気配"に気付いた少女は目を見開いたまま後ろを振り返ると、そこには────
「お待ちしておりました」
妖が、いた。
「南条御琴様」
黒いスーツ姿で、そのスーツとは真逆の白銀の髪を持ち、少女の名を呼び、蒼く透き通る瞳に少女を映して微笑む。
"いかにも人間らしい"妖が、そこにはいた。
「わたくし、覡巫白夜は今此の時より、貴方様の従者であり、下僕であり、そして────」
男は跪くと、頭を下げる。
「"守護者"であることを、ここに誓います」