08「紫藤姫奈」
「はぁ、はぁはぁ。あいつ、どこに行ったんだよ」
学校、商店街、小さい頃によく遊んだ公園などを走って回ったが、姫奈の姿はどこにも見当たらなかった。
「あと、心当たりがあるのは……そうだ、まだ近所の川の土手には行ってなかった」
あっちこっち走って体力を消費していたが、力を振り絞り走り出した。
目的地に着くと、川で石を投げて遊ぶ女の子の姿が見えた。
土手を降り、近づいていくと足音に気づいて話しかけてきた。
「ねぇ、小学生の時によくこうやって遊んだよね?」
「そうだな。俺の方が遠くまで投げられるのが気に入らなくて、何度も挑戦してたな」
「そうそう。冬弍より遠くに投げられるまで帰らないとか言ってたね」
少女は振り返ることなく、石を投げ続けた。
「でもさ、結局俺の記録を抜けなかったよな」
下に落ちている形の整った石を拾い上げ、水面と平行になるように投げた。
石はピチャッ、ピチャッと音を立てて、水面を何度も跳ねて、遠くまで飛んでいた。
「やっぱり、冬弍は何をやっても上手いね。私なんか、何回も挑戦してこんだけなのに」
さっきから姫奈が投げた石は二、三回跳ねると沈んでいた。
「そんなことないさ。俺にだってできないことはある」
「そんなの嘘。私なんか毎日勉強して、走って体を鍛えたり、料理だって何回も失敗して、必死に頑張ってきたから、今があるの」
姫奈の言う通りで俺は今まで一度も努力したことなんてない。
やったことないことだって、手本を見れば真似できてしまうような才能を持っていた。
いわゆる天才というやつだ。
「確かに勉強や運動で苦労したことはない。でも、俺にも恋ってやつはよくわからないんだ」
「何それ?…おかしいよ」
「選びたい放題じゃない!中学でも女の子達にちやほやされて喜んでたじゃない!!」
少女は感情的になり、声を荒げる。
言われたことを否定できず、何も言えなかった。
「黙り込むってことは図星なの?」
「さっきだって、『姫奈が好きだけど、りーちゃんも好きなんだ』とか言ってたし、結局誰でもいいんでしょ?」
俺は怒り、姫奈の頬に軽く平手打ちした。
さすがにこの言葉を見逃すことができなかった。
「女の子にビンタするなんて…最低」
ぶたれた方を押さえながら、こっちを睨みつけてきた。
「いい加減にしろ。黙って聞いてれば適当なことばっかり言いやがって!」
「誰でもいいわけないだろ!…俺だってわからないんだよ。どっちを選んだらいいのかが」
「私は冬弍が好きなんて一言も言った覚えないよ。莉衣さんとは両思いなんだから、さっさと付き合っちゃえば…いいじゃない」
少女は涙を流しながら、そう言った。
じゃあ、何で好きでもないやつに、他の人と付き合っちゃえばって言うのに泣いてるんだよ。
俺は自意識過剰かもしれないけど、自分に向けられた好意ぐらいはわかっているつもりだ。
姫奈が言う通り、中学生ではちやほやされていたが、デートに誘われようが傷つかないように断って、姫奈以外の女の子を避けていた。
「もし、りーちゃんと付き合えば傷つくやつがいることを俺は知っている。それを知ってて相手が納得しないまま付き合うわけにはいかない」
そう、目の前にいる少女を確実に傷つけることになる。
「ふーん。その子は誰なの?」
怒っていたはずなのに、何かを期待しているように少し目を輝かせている。
「一回しか言わないからしっかり聞けよ」
「それは…いつも近くにいて、不器用だけど誰よりも努力していて、自分の思いを素直に伝えられない女の子」
「へぇー、結局誰なのよ?ハッキリ言いなさいよ!」
明らかにさっきよりも期待をしている。
自分の名前を言ってもられることを!
「あー、なんでわかんないかな。お前だよ。俺は姫奈が傷つくって言ってるんだよ」
「ぷっ、私が?ははは、ないない。そんなのありえないよ」
少し頰が赤らめているのを隠すためか、手を大きく横に振りいきなり笑い出した。
「そっか。じゃあ、一言だけ言っておく」
「何?」
俺が真剣な表情で語りかけると、察したのか姫奈も自然と真剣な表情になった。
「俺、お前のこと好きだから。…それだけ」
「そうなんだ、知らなかった…うん、ありがとう。…もし、莉衣さんに振られちゃったらその時は“幼馴染み”のこの私が彼女になってあげてもいいよ」
初めて好きってことを言葉にしたためか、姫奈は混乱して適当な返事をした。
それにさりげなく幼馴染みを強調して、アピールしてんじゃねえか。
「それは姫奈に迷惑だから遠慮するよ」
「そっか。わかった」と言った後に、小声で「冬弍のバカ。でも、嬉しいな」と呟いた。
「わかったって言った後に、何か言ったか?よく聞こえなかったけど」
本当は口の動きを見て、なんとなく内容はわかっていたが、あえて聞こえなかったフリをした。
「何も言ってないよ」
やっぱり教えてくれないか。
でも、何が嬉しいんだろうな?
もしも、りーちゃんに振られたら、姫奈とも付き合わないということになるのにな。
「そうか。じゃあ、りーちゃんのことを待たせてるから、そろそろ行くわ」
「じ〜い。やっぱり行くんだ」
自分のライバルの女の子のところに行くとなると、話は別みたいだな。
「看病してもらったし、そのまま放置ってわけにはいかないだろ。お礼ぐらい言わないとさ」
「そうだね。それぐらいならいいか」
なんとか色々言われないで済みそうだ。
「えーと、今日の夕飯はうちで食べないか?姫奈にも迷惑かけたし、予定がなければご馳走したいなって思って」
「あー、うん。お父さんもお母さんも出張でいないから、ちょうど良かった。後でそっちにお邪魔するね」
相変わらず、姫奈の両親は仕事で忙しいみたいだな。
まぁ、娘と一緒にいる時間も大事にしてるみたいだし、本人が文句を言ってないのだから、俺が気にすることでもないな。
「了解。また後でな」
「うん。またね」
すっかり笑顔になり、いつもの姫奈に戻っていた。
そんなに俺ん家でご飯を食べるのが、嬉しいのか?
まぁ、久しぶりだし、大勢で食べた方が美味しいからな。
笑顔で、大きく手を振る少女に見送られながら、その場を立ち去った。