03「入学式」
「冬弍、起きて〜。式が終わっちゃうよ〜」
…あと、五分だけ……
「おーい、起きろ〜」
さっきから『起きろ』と囁く、ふわふわした声がさらに深い眠りに誘う。
「やっぱり、声をかけただけじゃダメか〜」
もしかして、これは…姫奈が俺を起こす時の行動に似ている?
「じゃあ、これならどうかな?」
意識がぼんやりとしていても、今何が起こったのかがはっきりとわかった。
俺は後ろの席に座る女の子に、耳に息を吹きかけられた。
「……うっ、」
耳に息をかけられるのはとてもくすぐったく、声が出そうになったが手で口を塞ぎ、なんとか堪えた。
入学式が終わり講堂を出ると、真っ先にある人物を捕まえに向かった。
「あっ、冬弍。おはよ〜」
「おはよ〜じゃねぇーよ!俺が叫んでたらどうするつもりだったんだ?」
「えっ?どうするつもりって……」
この展開は今回もノープランってことか?
「まさかさ、何も考えてなかったのか?」
首を小さく縦に振る少し抜けている女の子、紫藤 姫奈は幼馴染みだ。
まぁ、今回に関しては寝ていた俺が悪いのだから、姫奈を責めるのは筋違いだろ。
「今日は特別に許してやるよ」
「本当に?」
それと今日の俺は清々しい気持ちなのだから、こんな日に怒りたくはないというのが一番の理由だ!
「しつこいとデコピンするぞ!」
「痛いのはいや〜」
少し涙目になり、素早く両手でおでこを隠す仕草が可愛かった。
「だからやらねーって言っただろ!」
デコピンの代わりに、頭をくしゃくしゃと撫で回した。
「ひゃっ、急に頭を撫でないでよ。ビックリして寿命が縮まっちゃうよ〜」
「大丈夫だ!そんなことで寿命は縮まないし、もっと撫でてやろうか?」
「え、遠慮しておきます。だって、誰かに見られたら恥ずかしいしもん」
セーフ!
正直、もっと撫でてって言われたら、俺が姫奈の可愛さで萌え死ぬところだった。
「紫藤さん、一緒に教室に行かない?」
講堂から出てきたクラスメートと思しき女子グループが姫奈に声をかけてきた。
「えっ、一緒に行ってもいいの?」
何でこいつは質問に質問で返してるんだ。
誘われてるのだから、こういう時は一緒に行こうとかでいいんじゃないのか。
「私たちから誘ってるんだし、ダメって言わないでしょ」
「あはは、そうだよね。今のそっちに行くね〜」
姫奈は「また後でね」と言うと、女子グループと合流した。
「今の彼氏?」
「えっ、いきなりどうしたの?」
「だって、仲良さそうだったじゃん」
「冬弍は“ただ”の幼馴染みだよ〜」
さっきの女子グループが周りに聞こえる音量で会話をしているおかげで、嫌でも耳に入ってきた。
付き合ってないから彼氏じゃないと否定されるのはいいのだが、ただを強調されると幼馴染みとしては寂しい気持ちになった。
「あっ、お兄ちゃんだ。ちゃんと間に合うように登校したんだね」
今度は妹の夏実が講堂から出てきた。
「俺は怠け者じゃないぞ〜」
夏実は家族の中で一番年下なのにしっかりしてる。
その原因は俺や琴姉や茅秋が極端にだらしないというわけではないが、ちょっと頼りないということで今に至る。
「言い忘れてたけど、琴春姉さんは大丈夫だった?」
琴姉の事で何かあったけ?
……うーん、思い出せん。
「もしかして、洗面所で力尽きてたの見なかった?」
洗面所、洗面所…
あっ、思い出した!
「茅秋に任せた」
「お兄ちゃんが部屋まで運んでくれなかったの?」
「急いだから、放置してしまった」
「昨日は何も言ってなかったのに、何か急な用事でもできたの?」
用事…そんなものあったっけな?
なぜだか、家を出てから学校に来るまでの記憶が真っ白で思い出せない。
「そんなにぼーっとしてどうしたの?熱でもある?」
俺が思い出そうと頑張っていると、額に少し冷たい何があたった。
「冷たっ、ビックリした」
冷たいものの正体は夏実の手だった。
「熱はないみたいだね。良かった」
今度は自分の額に手をあてて、俺の熱がないかチェックしたみたいだ。
これ以上は心配させないように、記憶が欠落していることは黙っておこう。
「入学式中に寝てたから、まだ寝ぼけてるのかもしれない」
「もー、また寝てたの?お兄ちゃんは何で起きてられないのかな?」
ほっぺを少し膨らませ、本人は怒ってるアピールをしてるつもりだろうが、俺にはその仕草が可愛く見えて、ついにやけてしまう。
「うん、怒った顔も可愛いな」
「私が真面目な話をしてるのに、お兄ちゃんはどうしてふざけてるのかな?」
これはヤバいかもしれない。
段々と声のトーンが低くなってるから、かなり怒っているに違いない。
「いやぁー、これは決してふざけているわけでは…」
自分ではふざけている自覚は……ないとは言い切れないので、言葉に詰まってしまった。
「それで?」
今の夏実は鬼のように怒っていて、とてもじゃないが手をつけられない。なら、やるべき行動は一つだ!
「すいませんでした!お、私がふざけていました!!」
途中で俺って言いかけたが、私に言い換えることで、より反省しているということが伝わるはず。
「お兄ちゃん、みんなが見てるから頭上げて!は、恥ずかしい〜」
なぜ恥ずかしがっているかというと、今俺は正座をし、手のひらを地面につけ、額を地面と密着させているからだ!
「何あれ?SMプレイ?」
「うわー、超引くんですけどーw」
「あんな可愛い顔してドSかよ。彼氏くん、俺と変わってくれねーかな」
外野の声が聞こえてきて、その場の空気に耐えられず、勢いよく立ち上がると夏実の手を取り、逃げ出した。
「…はぁ、さっきは、ごめんな」
急に走ったおかげで息が上がっていて、上手く話せなかった。
「私、彼…に見え…んだ〜」
ぶつぶつと呟いているので、何を言ってるのかよくわからないが、大方走って疲れてぼーっとしているのだろう。
「おーい、夏実さん?現実に戻ってこーい」
呼びかけにも反応しないので、目の前で手を振ってみるが効果がなかった。
「なーつーみー、お兄ちゃんがキスしちゃうぞ〜」
俺の方が身長が高いので、少ししゃがみこみ、下から顔を近づけいていって、お互いの息が当たるぐらいの距離で止めた。
「本当にしちゃうぞ〜」
「えっ?お、お兄ちゃんが…こんなに近くにぃぃぃ。もう幸せっ!」
っておい!
お兄ちゃん大好きっ子の夏実には刺激が強かったかもしれない。
オーバーヒートした妹を介抱していると、二人の少女が駆け寄ってきた。
「これが噂のお兄さんか〜」
「なっちゃんのお兄さん、思ってたよりイケメンさんだ〜」
うん?この子たちは夏実の友達か?
でも、今日入学してきた俺を何で夏実の兄だと断定できるんだ?
「今、お兄さんが考えてることを当ててあげようか?」
自信ありげに少女はそう言った。
「じゃあ、賭けをしようか!もし当てられたら、ご褒美あげるよ」
まぁ、少し考えれば誰にでもわかることだ。
「えーとね、何で俺のことを知ってるのか?って思ったでしょ〜」
少し違うが、こんな笑顔を見せられたら、おまけをしたくなっちゃうじゃないか。
「正解!よくわかったね」
妹たちがいるので年下の女の子の扱いには慣れていたから、つい頭を撫でてしまった。
「清蘭だけズルいです。お兄さん、私にもやってください!」
もう一人の少女は上目づかいでアピールしてきた。
そんな可愛さに負けて、頭を撫でた。
可愛いといっても、本気で思っているはわけではない。
「俺が夏実のお兄ちゃんだって、どうしてわかったの?」
「それはね、なっちゃんが重度のブラコンだから〜」
二人とも綺麗にハモっているなーと思いつつ、学校でも様子が気になった。
「重度のブラコンって?」
「それはですね。いつもお兄さんの話をしたりー、お兄さんと一緒に撮った写真なんかを見せて自慢してくるの!」
…兄としては嬉しいんだが、素直に喜べない気持ちの方が強い。
「友達としてはどう思ってるの?」
「少し変わってるなーとは思うけど、そんなところがなっちゃんの魅力なんじゃないかと!」
「これでも私たちってかなり仲がいいんですよ」
こいつが俺のことを話すってことは心を開いてるってことだもんな、ちょっと心配して損した。
「お兄ちゃん?ど、どうして私の部屋に?」
ちょうどいいタイミングで目覚めたかと思えば、すげー寝ぼけてるし。
「ここは学校だぞ。ボケるんじゃない!」
さっきのままだったので、抱きかかえてる妹に軽くチョップした。
「痛いよ、お兄ちゃん。…って、清蘭と美久もいたの?」
「どうしよ、もうお嫁に行けないよ」
両目をうるうるさせながら、なぜか俺を見つめている気がする。
「大丈夫、大丈夫〜!きっとお兄さんが一生面倒見てくれるはずだから!」
全然大丈夫じゃない!
ちょっと寂しいけど、ちゃんとお嫁に行って欲しいとは思っていし、それに兄妹でけ、結婚とかできないだろう。
「良かったですね。お兄さんも満更でもない顔をしてますよ。うふふ」
ま、満更でもないって、そんなわけないだろ!
「年上をからかうんじゃない」
結構低めなトーンで言ったため、驚いた夏実は立ち上がり俺から離れていった。
清蘭は「ごめんなさい」と少し涙目になりながら言った。
美久は「すいません。こんなつもりはないんです」と深々と頭を下げた。
「いやいや、別に怒ってるわけじゃないから、謝らなくてよかったのに」
全く怒ってなかったかというと嘘になるが、そういう場面では小説の主人公とかならこういうカッコいいことを言うのだろう。
「お兄さん、優しいね。なっちゃんが好きって思うわけが少しわかった気がするよ〜」
「私もお兄さんがすごい魅力的な男性だと思います」
話がなんか変な方向に転がった気がするけど、こういうことを言われて悪い気はしないな。
楽しい時間はとても早く感じ、気づけば本来なら二時限目の授業が始まる鐘が鳴り始めた。
「もし二人が良ければ、放課後はうちに遊びにおいで。自己紹介とかまだだしさ」
「行く行く〜!」
「お言葉に甘えて、お邪魔させていただきます」
返事を聞くと急いで、高等部の校舎へと向かった。