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BL短編集

がさつだからこそ

作者: 藍上央理

「千尋ー!」

 玄関口から、聞き慣れた声が響いてきた。できれば今の時期には聞きたくない声だ。どかどかと許し無く、勝手知ったる我が家同然に上がり込む足音。庭に面した書斎のふすまを、力一杯引き開けられた。

 スパンッ!

 空気を切るような威勢のいい音ともに、がさつで粗野な男、竜彦が入ってきた。

「飯食ってるか!?」

 その手にスーパーのビニール袋が持たれている。

「……」

 俺はと言うと、返事を返さず、ノートパソコンのモニターをじっと眺めていた。一文字の次の文節、文節の次の接続詞、その次の段落。五文字でもいいから、ぽろりと転がり出て、読点まで、いや贅沢は言わない。句点まで繋がらないだろうか。

 締め切りを前に、原稿用紙20枚の連載が上がらず、うなっている最中だった。

 もちろん飯など食べている場合ではない。確かに今昼を過ぎたばかりだ。しかし、担当の編集者は原稿を夕方には取りに来る。

「飯を食わねば、いい物も書けねぇぞ」

 竜彦が力任せに俺の肩をたたいた。たたかれた拍子に前のめる。飯を食べると眠くなるし、まず、このモニターの前からどかねばならない。俺の周辺に転がっている滋養強壮剤の瓶が見えないのだろうか。昨日の夜中にやっと、赤入りの第一校を編集者にメールで送信したばかりだった。それから寝てない。俺の胃腸はすでにギブアップして、胃液が上がってきている。吐き気がする。

 故に、竜彦の言葉に返事をする気にもならない。

 竜彦はそんな無愛想な俺の姿など、全く気にならないようだ。

 締め切っていた庭に面したガラス戸を、ガラガラと開け放ち、寒い冷気を部屋の中に招き入れた。

「空気がよどんでるぞ!」

 よどんでていいから! 寒いんだよ! 俺は無言で抗議しながら、震える腕を上げ、一言告げた。

「閉めろ、バカ」

「はいはい」

 やけに素直にガラス戸を閉める。ガラス戸越しに庭を見下ろし、俺が可愛がっている植物たちを見ていった。

「黄色くなってるのがある」

 いわないでくれ! 俺は心の中でうなる。中編を書き終えるまで、全く植物の世話を放置していた。朝に水をやるくらいで、夜家の中に入れることすら忘れていたのだ。亜熱帯で元気よく育つ観葉植物にとって、日本の冬は特に厳しいものだろう。主人の窮地に対して生き残ってくれる強いものだけが、俺の手元ですくすく育っていく。

「今から飯作るから、食え!」

 いきなり竜彦が叫んだ。

「は?」

 竜彦が? という意外さにさしもの俺も顔を上げた。

「おー、千尋が無精髭はやしてる」

 珍しいものを見たとでもいいたげに、竜彦がにやにやする。

「俺の無精髭はいいよ」

「いつもおすまししてる千尋でも、身なりに無頓着になることってあるんだな」

「おすましとはなんだ」

 まったく、俺のことを女のようにいいやがる。身だしなみを整えているだけだ。人並みに。竜彦など、年がら年中、無精髭が生えているではないか。たまたま今日は身ぎれいにしているけれど。

 俺の横に寄ってきて、竜彦が頬を寄せてくる。

「じゃりじゃりー」

「やめろ!」

 何でこいつはこうなれなれしいんだろう。俺は不機嫌に竜彦を両手で押しやった。

「ほんとに、千尋は気の強い猫みたいだよな!」

 誰が猫だ! 俺は口の中で聞こえないように文句をいいつつ、再び視線をモニターに戻した。

『礼子にとって綾人の仕打ちは当然のことだった。』

 と、打ち込み、そっと竜彦を見やる。

「飯作るって、おまえ、料理できたっけ?」

 すると、竜彦がにこりと俺を見返した。

「作れねぇけど、天丼作る」

 難易度がいきなり高い。初心者の作るものじゃないのは確かだ。

「無理だろ。インスタントラーメンくらいにしといたら?」

「大丈夫、大丈夫!」

 やけに自信たっぷりにいってのけ、竜彦は書斎を後にした。



 五分後。

「できたぞー!」

 早っ! おれは驚いて何度も時計を見直した。本当に五分くらいしか経ってない。もしかして、出来合を皿に盛っただけかもしれない。ヤツにしてみたら、それも立派な料理かも。

 盆に丼をのせて、竜彦が書斎に入ってきて、盆を机に置いた。

 俺はそれをまじまじと見つめた。

「天丼?」

「おう」

 丼に飯。ここまでは分かる。そこにエビフライ、唐揚げ、磯辺揚げ。そして、なにやらつゆをかけてあった。

「竜彦。天丼は何で天丼っていうか知ってるか?」

「知ってるぞ。当たり前だろ。俺の好物だ。エビやら肉が載ってて、飯と一緒に食えて、めんつゆがかけてあるヤツ!」

「そうか……」

 やつには期待しない方がいい。むろんしてなかった。

 食えといわれても俺は拒否する。徹夜明けの三十男にとって、やつの用意した脂っ気の多い食べ物は、胃腸を壊滅的に痛めつけるだろう。

「俺はいいよ……。元気一発飲むから……」

 気弱な拒否に対して、竜彦の善意はノーダメージだ。

 悪意すら感じる笑顔を浮かべて、竜彦がいった。

「食え。栄養満点だ」

「カロリー満点の間違いだろうが」

「いや、愛情もたっぷりだ」

「違う。コレステロールがたっぷりだといえ!」

 長い攻防の末、結局、竜彦が俺の目の前で謎の丼を口に?き込み始めた。

「うめぇのにな」

「よかったなぁ、うまくて……」

 結局、このやりとりに一時間費やした。締め切りは後二時間。残り枚数は十五枚。主人公・礼子がうまいこと綾人と折り合いを付けるところまで行かないといけないのに、まだ誤解は解けないままだ。

 それにしても、書斎に寝転ぶ、このふてぶてしい男は、いつ帰るつもりなんだろう。まさか夕飯も何か作るなんていわないだろうな……。追い出すには、竜彦が安心する言葉をかけてやるのが一番なのかもしれない。

「あー、俺の心配、してくれてありがとうな……。だから、帰れ!」

 俺の迷惑を知ってか知らずか、寝転んだままの竜彦が俺の腰にしがみついてくる。

「感謝するなら、もっと相手しろ」

 どこまでもふてぶてしいヤツ……。俺は竜彦を無視することにして、再びモニターを睨み、原稿用紙のマス目を埋めることに没頭した。

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