西のエスパーダ 3
エスパーダは大きな円を描くように建てられ、その外周をぐるりと城壁で囲んだ街だ。
東西南北に城門の数は一つずつ。その各城門から中心に向けて大きな通りがあり、その一つ、中心から南に下る通称、南通りを二人は南下していた。
「いや~。久しぶりにさっぱりしたなぁ~」
「そうですね。庶民の宿屋にしてはきちんとしていましたし、部屋にお風呂があったことが何よりも驚きでした」
あの後二人は東通りに沿って並ぶ露天を盛大に冷やかしながら旅宿を探した。
初めての買い食いに困惑したり、珍しい地方の特産物に目を輝かせながら宿屋の情報を集め、やがて一軒の宿屋にたどり着く。
そこは平民街では質のいい宿屋として有名で木造三階建ての建物だった。一階は大広間になっており傭兵達の情報交換所として用いられ、二階と三階が客室となっていた。
二人は金のない旅人らしく一部屋だけを頼み、すぐさま部屋へと上がっていく。そこには質素なベッドが二つと丸いテーブルが置いてあるだけの簡単な部屋だったがなんと部屋には小さな湯船があったのだ。
基本的にはお風呂は贅沢品だ。
今の時代貴族達の屋敷くらいにしか普及していない。大きな町では大衆浴場などもあるが宿屋に個別の風呂場があるのは本当に珍しかった。水源の豊富なエスパーダだからこその代物である。
そこで旅の汚れを落とした二人は食事と語り部の行方などの情報を得るために酒場を探すことになったのだがこの街のことを何も知らない二人は酒場の場所など分かるはずもなかった。故にそのことを宿屋の亭主に尋ねると亭主は快く教えてくれた。
この街に酒場は二ケ所しかないらしい。その上女性二人が安全に飲めるという条件がつくことから南通りを下って少しばかり裏路地に入っていったところにある店を紹介してくれた。そこには同じ女性が働いているということで気楽に楽しめるだろう、と。
その紹介を元に二人は南通りを歩いていたのだ。
時刻は夕方でもうすぐ夜の帳が街中に下りる時間。その為通りは昼間の明るさが嘘のような静まりを見せていた。
「どうやら亭主の言っていたことは本当のようだな」
「ええ。まるで別の街のようです」
そう二人が思うのも無理はない。
亭主の話では南通りは夜になると現地の人でも滅多に出歩かないという話だった。そしてむやみやたらに路地裏に入れば、どうなっても知らないと警告された。
大通りを歩いているのにもかかわらず二人はまるで人気のないゴーストタウンを歩いている気分になり少しばかり身体中が強張っていくのを感じる。
家の明かりなどほとんどついておらず南に行けば行くほど廃墟のようになっていく街並み。少しばかり路地裏に視線を移すとぐったりとした人がちらほら見受けられ、この街の闇を表しているような光景だった。
もしも外套で顔まで隠していなければ容赦なく引きずり込まれてしまう。そんな不安感が二人を包み込むほどだ。
やがて遠くに人の賑わいを感じるところが視界に入る。どうやらそこが目的の酒場のようだ。暗闇の中にある一筋の光を連想させるその光景にエレナは安心感を覚える。が、突然その酒場から男が逃げるように出てきた。しかも酒瓶と罵倒のおまけ付きで。
「これが〝比較〟安全な所、何ですかね? 超危険地帯にしか見えないのですけれど」
「ああ……」
「やっぱり引き返しませんか?」
「ああ……」
「お嬢様?」
「ああ……」
なんだか様子のおかしいフロンの顔をエレナは覗き込む。するとそこには目をキラキラさせて興奮しているフロンの姿があった。
酒場といえば旅の基本であり武勇伝でも数多く登場するもの。
だがフロンは今の今まで行ったことがなかった。
その抑圧されていた感情が今、一気に噴出してフロンを包み込んでいる。 こうなってしまっては誰の声も耳には入ることはなかった。
常夜灯に惹かれる蛾のようにフロンはふらふらと店に近づいていく。その姿をエレナは慌てて追いかけた。
店に近づけば近づくほど男達の野太い罵声が外にまで響き渡り、ここはまるで山賊のアジトではないかと疑いたくなるほどだ。
――巨人の足音亭――
そう書かれた看板がかかってある以外はどこにでもあるような酒場だった。
宿屋の亭主に店の由来を事前に聞いたところ、巨人の足音の様に盛大に盛り上がり響き渡る店、だそうだ。確かに沈みかえった通りの中で唯一といっていいほどの賑わいだ。周りが静かな分、余計に騒がしく思える。
「いい……」
「え?」
「すごく良い!!!」
ガシャン!!
「きゃあ!」
フロンの大声と共に酒瓶が窓ガラスを割って飛び出してくる。
思わず身をすくめたエレナの肩を両手で掴み、フロンは自分の中にある猛烈な感情を言葉にして伝え始めた。
「良いぞ!! これこそ、まさに酒場だ!!!」
「お嬢様、落ち着いて……」
「落ち着いていられるか! この日をどれだけ夢に見てきたか……。学校の連中が楽しそうに話していたのを私がどんな思いで聞いていたと思う? 悔しかった……。行きたかった……。その感情を表に出さないために何本の羽ペンをへし折ったと思うのだ!!」
「あは……。あははは……」
「行くぞ! もう一瞬も待てない!」
鼻息を荒くしながらフロンは大股でドアの方へと歩いていった。
その姿を見てエレナはかつての同級生に同情せざるを得なかった。フロンの周囲でその手の話をした連中は間違いなくフロンの実践訓練という名の気晴らしで痛い目を見ただろう。そんなことを考えながらエレナはフロンの後をついていくのだった。