荷馬車に揺られて・・・
金牛宮、第十二日。
フローリアの叙勲式から約一ヶ月が過ぎた頃、王都から遠く離れた西の街道を一台の馬車が進んでいた。
太陽の日差しが暖かく草木が生い茂る、そんな街道をゆっくりと行く馬車の中からある声が聞こえる。その声は春の陽気と同じ眠気を誘うおっとりとしたものだった。
「起きてください、お嬢様。お嬢様ったら」
紺色の侍従服を着た一人の少女が藁を布団に眠りこけているもう一人の少女の肩をゆする。だが唸るだけでその少女は一向に起きる気配がない。
「もう。フローリア様ったら。もうすぐ着いちゃいますよ?」
「ぅん? んうぅ……」
口の端からよだれを垂らしながら幸せそうに眠っている少女。
彼女が一カ月前に堂々とした恰好で叙勲を受けた騎士と同一人物だと誰が思うのだろう。そんな事を思いながら侍女はのどかな草原を眺める。
彼女たちが今乗っている馬車は貴族達が乗るようなものではなく、行商人が扱う荷馬車であった。屋根は一応あるが元々人が中に乗る設計ではないため隙間風が容赦なく吹き込み、路面の状況を強く車内に伝える。今が春でなければ歴戦の傭兵達でも遠慮するほどの簡素な造りだ。荷台の大きさは大の大人が三人も横になれば埋まってしまうほどの広さ。
そこに二人の少女は乗り込んでいた。ただ、荷馬車である以上商売用の木箱と相乗りだが……。
その為、荷馬車の中には少女二人と彼女達の荷物、そして木箱が数箱と馬用の藁があり、その藁を布団代わりにしてフローリアは眠っているのだ。
ここには二人しかいないため我が主の情けなく無防備な姿を誰にも見られる心配はない。が、それでも侍女は呆れるようにため息をつく。
すでに太陽は真上に登ろうとしているのにフローリアは一回も目を覚ましていないからだ。だがそれもここまでだった。
「おっ、とっと……」
荷馬車が石でも踏んだのか一瞬身体が浮くほど上下に揺れる。
座っていた侍女ですらバランスを崩す揺れに寝ているフローリアが耐えられるはずもなく床に頭を強かに打つことになった。
「うっ……。うう……何だ、一体?」
「ぷっ……」
「何を笑う? エレナ」
「いえ……。別に、何も」
頭を押さえながら起き上がるフローリア。
その姿に彼女のお付きの侍女であるエレナは思わず吹き出してしまった。
未だに寝ぼけて開き切っていない瞳に寝癖と藁でめちゃくちゃになっている髪。顔にはいつもの凛とした締りはなく、肌着の肩ひもがずれて胸の谷間が見えている。普段は凛々しい女性とは思えない光景だ。
そんなフローリアに向かってエレナは後ろを向くように促し、鞄の中からブラシを取り出して彼女の髪を梳いていく。
「だいぶ痛んでしまいましたね」
「仕方がない。覚悟の上だ」
「この髪は私の自慢なのです。もう少し丁寧に扱ってくださいよ」
そうエレナが促してもフローリアは聞き入れてはくれない。この輝くような金髪にフローリアは何の執着もないのだから。
騎士として戦うことばかりを勉強してきたフローリアにとっておしゃれ等は二の次。おかげで髪や服装などを整えるのはいつもエレナの仕事だった。
一ヶ月という長い馬車の旅のおかげでつやのある金髪もだいぶくすんできてしまっている。だが、それでも美しいのがフローリアの髪だった。
「王都を飛び出て一ヶ月……。長かったですね」
「そうだな。なかなかに貴重な体験だった。特に食事はなかなか体験できない物ばかりだ!」
貴族であるフローリアにとって温かいベッドと食事は常識だった。しかし馬車の生活にそんなものは一切存在しない。
歯が欠けそうな堅いパンと干し肉が基本。布団は藁で天蓋は星空。移動中は寝ることもままならないほど揺れ、お尻が割れそうとはまさにこのことだった。それでもフローリアは何一つ文句も言わずに適応していった。
笑いながら自慢するフローリアにエレナは微笑みながら不満を吐く。
「何を笑っているのですか。叙勲式の当日に飛び出さなければこんな生活ではなく普通の馬車の旅だったのですよ? せめてもう一日くらい待てなかったのですか?」
エレナの不満に対しフローリアは頬を膨らませて対抗した。フローリアとてここまで急ぐことには理由があったのだ。
「だって父様がパーティにはドレスを着ろと言うし、貴族達をたくさん呼ぶと言っていたのだぞ? 貴族の欲にまみれた視線でなめまわされる気持ち悪さを知っているか?! 最悪だぞ! 吐き気がする!」
「それは美人に生まれた者の定めです」
「それにしたって騎士たる私が年に何回ドレスを着て媚を売らねばならない。私は着せ替え人形じゃないぞ!」
フローリアの言いたいこともエレナにはよくわかった。
アストレア家は大貴族だ。その一人娘であるフローリアには早くから求婚の話が溢れていた。並みの貴族たちでは釣り合わぬほどの権力を持っているアストレア家と婚姻関係を結ぶことができればどれだけ力を手に入れるのか分からないと言われるほどだ。しかもフローリア自身王都でも三本の指に入る美人だと言われている。これで男達が群がってこないはずはなかった。
とある吟遊詩人が屋敷に上がった時には騎士姿は犯しがたいほど凛々しく決して並び立つものがいないほど高貴であり、その身が一度ドレスを纏えば宝石ですら恥じらうほど美しい。世界中の男達があなたの前では頭を垂れ、女達はその美しさに涙し憧れを持つ……等と絶賛していたほどだ。しかもかなり本気で言っていたため、その場の誰ひとり笑い飛ばすことができなかった。その為フローリアの噂は一気に王都中を駆け巡り、今に至るというわけだ。
「まあ~持つもの義務と言うことで我慢してください」
そんなことを思い出して温かい目で見つめていると今度はフローリアが逆襲に出る。
「持つもの……だと?」
「ええ」
「じゃあ、貴様のこれは持っていないと言うのか!」
素早くエレナの背後を取ると、彼女の脇の下から手を出し侍女服を押し出しているその豊満な胸をもみしだいたのだ。
「きゃぁああああああああああああああああ!!!」
「ほれほれ。これは持ってるのではないか? 持ってるのではないか!」
「ちょ! ちょっとやめてくださいよ~」
両手で揉みしだいてもあまりある大きさと張りのある果実をフローリアは怨念を込めながら揉んでいく。
エレナとフローリアは同じ歳だ。しかし性格も体格も全くと言って良いほど異なる。
フローリアは正義感の強い凛とした性格と女性らしさを残しながらほど引き締まった身体をしている。
対するエレナは温和な性格であり女性らしい柔らかさを全面的に押し出した身体をしている。栗色の髪をポニーテールでまとめ、フローリアよりも十は低い身長と未だあどけなさが抜けない童顔が特徴だ。だが幼いと感じることが出来ないのはその豊満な胸の持ち主だからかもしれない。
「ふうっ。満喫した……」
「酷いです。お嬢様~」
嫌がるエレナを存分にもてあそんだフローリアは満足そうに汗をぬぐう。そしてエレナが落ち着きを取り戻した頃にフローリアはぽつりと呟くのだった。
「……さっき、子どもの頃の夢を見たよ」
「夢……ですか?」
「ああ。お前と初めてあったあの街のことを……な」
「あ~。お嬢様が迷子になって大慌てになった時の話ですか……」
「うぐっ! ……確かにそうだが……。って、そんなことはいいんだ!」
そう言って首から下げているくすんだ指輪を握り締めた。遠くを見る目で思い出すのは過去の記憶であり、あの時の少年の事だった。
遠くを見つめているフローリアの姿に先程の仕返しとばかりに顔を意地悪く歪ませながらエレナは耳元へ近づいていく。
「早く会いたいものですね~。黒髪の王子様に……」
「な、な、なっ! 何を言っている!」
「え? だってその彼がいらっしゃったから名のある男性を袖にしてきたの
ではなかったのですか?」
「違うわ!」
「本当ですか~?」
顔を真っ赤にして慌てるフローリアを逃がさないよう抱きしめながらエレナは追及していく。アストレア家ではそういう話だともっぱらの噂だったのだ。
「違うぞ。そんなのでは断じてない。……ただ、私は彼の在り方に憧れただけだ。だけだからな!」
フローリアは無理やりエレナを引き剥がした後、カバンから服を取り出し着ていく。
式典時に着ていた甲冑のない騎士の服装だ。だが今回は胸当てすらない。腰には叙勲式でもらった剣を佩き、その上に真新しい灰色の外套を着て騎士であることを隠す。
物語に出てくる旅の者たちの格好にフローリアは憧れてそれに真似たのだ。ただ剣だけは自分の専用の剣ではなく動きやすさ重視と取りに戻る時間がなかったため、この銀の長剣となっている。
「どうだ! 似合っているか?!」
旅人に変装したフローリアはその場で立ち上がりくるりと回って見せた。ここが狭い馬車の中であることも忘れて。
ガンッ!!
「ひぐっ!! うぅっ……」
「……。お嬢様っ~~~~~~~~!!!」
大きな音を響かせながら、近くの木箱に小指を打ちつけて蹲るフローリアと狭い馬車の中で暴れたために藁が盛大に舞い、身体中藁まみれになったエレナ。 折角綺麗にした髪を再び梳かなくてはいけなくなったことにエレナは青筋を立てつつ無言でブラシを取りだすのだった。