娘はどこに?
今日、この国では三つの異例の事態が起こっていた。
一つ目は最年少女性騎士の誕生。二つ目は叙勲式に王族の者が参加したこと。そして、もうひとつは……。
「何だと!? フローリアがいない!?」
「はい……」
大貴族アストレアの屋敷の一角、当主の間にて一人の男性が侍従長の話を聞いて驚きの声を上げる。
男性の名はデリック・ラ・アストレア。
このアストレア家の当主にしてフローリアの父親だ。
茶髪を短く切りそろえ、力強く引き付けられる眼差しと年を重ねてより男らしさの増した顔には彼の正義感の強さが強く表れ、清廉な騎士であることを表していた。実際、彼は国王からは厚い信頼を受け、国民からは理想の騎士と噂されるほどの傑物だ。
そんな理想の騎士たるデリックは侍従長からの言葉を受け、表情を険しくする。
すでに日は沈み、外は暗闇に包まれ始めていた。
そんな中彼は叙勲式で着ていた騎士姿からパーティ用の正装に着替えていた。それはこれからフローリアの騎士叙勲式を祝って周辺貴族達が集まるパーティが始まるからだ。
このアストレアの豪邸にはフローリアを祝うためすでに大勢の人々が集まり始めている。だがその主役たる彼女がいないと侍従長は言うのだった。
「すぐに探し出せ! あのお転婆娘は何を考えているんだ?!」
「無駄よ」
凛とした声が部屋に響き、デリックの命令を止めた一人の女性が侍従長の横から現れる。
彼女はあまり飾りのない白のパーティドレスを着ていた。派手さはなく地味と言われる部類のものだがそのことが彼女自身の美しさを引き出している。髪の色はデリックと同じ茶色でそれをポニーテールでまとめていた。
女性の名前はテレジアと言い、フローリアの母親でデリックの妻である。
彼女もフローリアに負けず劣らず美しくフローリアは父親の清廉さと母親の美貌を併せ持って生まれ育ったのがよくわかる。
当主たるデリックに唯一対等以上に話すことができるこの女性は呆れた顔をしながらデリック歩み寄った。
「部屋にこんなものが……」
デリックに向けてテレジアは一枚の紙を差し出す。
それはフローリアからの手紙だった。
『お父様、お母様。叙勲を済ますことができれば自由に出歩けるという約束、それを果たしたため旅に出ます。心配しないでください。後、エレナは預かっていきます。愛する娘フローリアより』
読み終えて顔を上げたデリックにテレジアは問う。
「心当たりは?」
デリックの顔が一層険しくなり、頭の中で娘の言葉を数度反復させた。
「っ……。あっ!」
小首を傾げていたデリックが思いだしたのはフローリアがまだ幼い頃の話だった。
昔、デリックは仕事の付き添いとしてフローリアを辺境の街に行ったことがあった。すると彼女はその街をとても気に入り何度も行きたいとデリックに強請ったのだ。
だが多忙の身であるデリックはフローリアを連れていくことが出来なかった。かといってかわいい一人娘だけで行かせるわけには当然いかない。そう考えたデリックは幼い娘を諦めさせるために「立派な騎士になったなら自由にしろ」と言ったのだった。
それ以来、フローリアは騎士の修行に必死になっていく。
父としては貴族としての自覚が生まれたということを喜び、今の今まで成長著しい娘を嬉しく思うだけで約束のことなどすっかり忘れていた。
「あるのね……」
頭を抱えて呆れかえるテレジアにデリックは慌てて近寄る。その姿には騎士としての誇りも当主としての威厳もない。ただの親馬鹿の姿は他者には見せられないほど哀れだった。
「そ、それでもまさか今日出発するなんて思ってもみなかったんだ! どうやって……」
デリックの疑問を横にいた侍従長が答える。
「先程確認したところ、夕方荷馬車が一台王都を離れたとか。おそらくそれに乗り込んでいると思われます」
「ああ~。もう~。なんで、私に言わない! パパがそんなに嫌いか!」
「言えばあなた、止めるでしょ?」
「勿論だ! かわいい娘を誰が外に出したがるんだ! フロ~リア~」
敵が恐れを抱くほどの勇猛果敢さで知られ、戦場では決して動揺しないことで有名なデリックが娘が旅に出たというだけで驚くほど慌てて取り乱す。
娘の溺愛ぶりにテレジアはため息を深めて見ていた。
「しっかりしなさいよ。あなたはアストレア家の当主でしょ?」
「でも~、テレジア~。フローリアが……フローリアが~」
テレジアは眉間がピクリと動くのを感じる。すると言葉よりも先に手が出てしまった。
バシン!!
情けなくすがってくる大騎士の顔を妻は一切の手加減もなく、平手ではたいた。部屋中に乾いた音が響きわたり、デリックの頬には綺麗な紅葉が浮かび上がる。
「それでも私の見こんだ男か! 情けない!」
「でも……」
バシン!
「誰が口答えを許した!!」
「ううっ……」
両方の頬に同じような紅葉を作りながら、デリックはテレジアの前で崩れ落ち自然と正座をとる。決してよそでは見せられない大騎士の説教される姿に長年この家で働いている侍従長は必死に表情を維持していた。この光景を見なれた侍従長以外であれば間違いなく笑っていただろう。
そう。
この家ではテレジアこそが全ての長なのだ。
正座をしてうつむくデリックをテレジアは小さくため息をついてから腰に手を当てて見つめる。
「いいですか? アストレア家の当主たるあなたにはもっと自覚と責任を持ってもらわなくては困ります」
「……はい」
「それといつまでもフローリアを子ども扱いするのはやめなさい。あの子も
もうすぐ十八です。いい加減、子離れなさい」
「……でも……」
「でもじゃありません! それにエレナもついていったのでしょう?」
テレジアは侍従長を視界に入れる。自分よりも年齢の下の奥様に侍従長は一切の礼を欠かずに言葉を返した。
「はい。その通りでございます」
「なら安心じゃない」
そう言って笑いかけるテレジアにデリックは心配そうな表情を浮かべた。
「……確かにエレナはフローリアの付き人をさせるほど優秀だ。けど誰よりも抜けている所がある」
「確かにこの家の誰よりも〝ぶっ飛んだ〟行いをする子ではありますが、むしろ心配かけなくて済むかと……」
侍従長の苦笑交じりの言葉を最後に部屋にある時計が音を鳴らした。それはパーティの始まりを告げる音だった。
「さあ。フローリアの心配は後にして、さっさと着替えなさい。あなたにはこれから長い演説をしてもらいますからね」
「……演説?」
侍従長の助けを借りて着替え直すデリックにテレジアは不吉な言葉を残してドアに向かって歩き始める。そして部屋を出る直前に振り返って告げたのだった。
「フローリアのいないパーティに誰が長々といると思って? あなたの英雄譚で会場を包み込んでもらわないと。今日だけは無礼講にしますからね」
「は、はは……」
微笑みながら会場に向かって歩いていくテレジアを間の抜けた顔で見送るデリック。彼女は娘が見ていないと分かり、久しぶりに羽目を外すつもりなのだ。
両頬に大きな紅葉を作った大騎士はただただ苦笑するしかなかった。こうして三つ目の異例、主役不在の祝賀パーティは始まるのだった。