騎士の誓い
――カツン、カツン、カツン。
飾り気がなく歴史の積み重ねによる厳かさがにじみ出ている大聖堂を今、一人の少女が革のブーツを鳴らして歩いていた。
この大聖堂、名をユーグ大聖堂という。
初代聖騎士―ユーグ・ド・パイアンが騎士叙勲式を行なったとされる歴史的な場所であり、騎士叙勲式の為だけに存在している場所だ。
腰まである長く綺麗な金髪に気高く澄んだ蒼の瞳。あどけなさよりも凛々しさが目立つ顔。スラリと引き締まっているが女性らしい柔らかさを一切失っていない肢体。
もし彼女が身に着けている服が豪華なドレスであるならば、男女問わずその美しさに感嘆の声をあげただろう。
だが今着ているのは飾り気のない騎士甲冑。
白と青を基調とした服に真新しい胸当てだけを付けた簡素な装備だ。しかしその軽装備がより少女の凛とした姿を強調していた。
その姿はまるで犯しがたい純潔の乙女の様だった。
周囲には名だたる大貴族・騎士の方々が通路の両脇をびっしりと埋め尽くし彼女の晴れ姿を一目見ようと集まっている。
彼らの反応は様々。
純粋に彼女を褒め称える者。彼女を自分の物にしようと欲望で血走った目線を投げかける者。少女がこの神聖な大聖堂を歩いている事に対して疑念の眼差しを投げかける者など……。そんな中で一番多かったのは彼女の美しさに目を奪われ、声を上げることすらできない者達だった。
そのような様々な視線を一身に受けながら少女は一人祭壇へと歩み寄る。
聖歴七二六年・白羊宮、第十日。
今日この日、この国に最年少女性騎士が誕生する。
女性騎士は少なからずいるが弱冠十七歳という若さでの叙勲は彼女が初めてだった。
この国の騎士叙勲には二種類存在する。
一つは騎士学校を卒業し、正式に騎士と名乗ることができる実力が伴った事を初代聖騎士ユーグに報告する『騎士叙勲式』。もう一つは騎士本人が一生をかけて尽くせると考えた主君に剣を捧げる『騎士任命式』。
今回は前者だった。
「フローリア・リ・アストレア。前へ」
「はッ!」
上段にいる髭を生やした老騎士に名前を告げられて少女――フローリア・リ・アストレアは祭壇へと続く段差を一歩一歩登っていく。
この国――グラディウス王国は剣を信奉する国だ。
国旗には剣が描かれ、剣を帯刀するにはそれなりの地位と名誉が必要だった。もし許可なく帯刀すれば極刑に処される程の重罪になる程だ。その為騎士となることは大変名誉であり民の憧れだった。
フローリアは祭壇の前まで階段を上り、そして片膝をつく。
正面の壁にはステンドグラスで聖騎士ユーグ・ド・パイアンの活躍と勝利が描かれており、その古き名誉に向かって宣言する。
「我、フローリア・リ・アストレアは騎士訓練課程を修了し、正式に騎士として認められたことを、我らが祖、ユーグ・ド・パイアンに告げる」
すると祭壇の横に立っている老騎士は彼女に向かい誓いの言葉を投げかけた。
「汝が剣は民を守るための剣であることを、ここに誓うか」
「誓う」
「汝が剣は祖国を最悪から守らんが為に振るうことを、ここに誓うか」
「誓う」
「さすれば、我らが祖、ユーグ・ド・パイアンの名の下に汝を騎士として認める」
登場の時のざわめきはすでになく騎士の叙勲が厳かに進行していった。後は学園長たるこの老騎士が正式に騎士となったフローリアに剣を授ければ式は終了する。
だが、彼は動かない。
その代りに舞台袖から豪華なドレスを身に纏った女性が剣を腰に佩き、フローリアに近づいていった。
従来とは違う式典内容に観客から動揺の声が聞こえてくる。
この国の騎士は貴族が多い。
その理由は貴族が初代聖騎士に付き従った騎士達の末裔だからである。だが貴族だけでは騎士の数が少なすぎる為、実力があり経済力豊かな民も騎士になることができるのだ。
騎士になるには基本的にこの国の各都市にある騎士訓練学校に入り、訓練課程を修了しなければならない。その課程があまりにも難関でこのユーグ大聖堂で叙勲を行えるのは年間で数人程度だった。ここで騎士として叙勲をしない限り、学園を卒業しても騎士見習いとして扱われ、決して出世することはできない。
今行われているのはこの国でただ一つの学校の、しかもたった一人の生徒の為に行われる卒業式だ。この式典は普段なら学園長である老騎士と教師である騎士達、そして学友たちが見守る小さなもの。それが名立たる大貴族達がこのように集まるのは異例の事だった。
それはフローリアが大貴族アストレア家の一人娘であり、過去に例を見ないほど優秀であっただけではない。
女性はフローリアの前で立ち止まり彼女を見る。
その立ち振る舞いに迷いはない。
彼女の顔を見た大半の観客は彼女の正体に驚き、言葉を失った。そして彼女の式典参加を知って参加した貴族達は自分が主役であるかのように空気を緊張させたのだった。
「フローリア・リ・アストレア」
「はい」
女性の優しい声が大聖堂に木霊する。誰もがその声に耳を傾け、緩みかけた空気がピンと引き締まる。
空気が静寂になるのを待ってから女性は腰に佩いていた剣を両手で持ち上げて鞘から半分だけ剣を抜き、銀色に輝く刀身をフローリアに見せた。この剣が贋作ではなく人を斬る事が出来る本物であることを示したのだ。
「あなたにこの剣を授けます。どうか立派に騎士を務める事を望みます」
そう言って女性は刃を鞘に収め、刃の部分と柄を握り直してフローリアに差し出す。それをフローリアは頭を下げながら受け取った。
「ありがたき幸せでございます。王女殿下」
剣を受け取り顔を上げるフローリアに女性は微笑みかける。
そう。
この女性こそがこの国の王女殿下その人であった。
フローリアと同じ髪の色、瞳の色だがその表情はとても柔らかで慈愛に満ちている。
今まで叙勲式に王族が関わることは滅多になかった。しかし彼女は歳が近く昔から仲の良かったフローリアの叙勲にわざわざ立ち会ってくれたのだ。
そんな彼女に背を向けてフローリアは観客の方を向いた。そして今先程受け取った剣を抜き、天に掲げる。
「「うおおぉぉぉおおおおおおおお……!!」」
フローリアの叙勲を見ていた人々が一斉に拍手と喝采の声を上げた。今この時だけは誰もがフローリアを称えていた。
観客の歓声が響く中、後ろにいる王女殿下はフローリアの耳元に近づき彼女にだけ聞こえる声で耳打ちする。
「今日、発つのでしょ?」
「ええ。そのつもりです」
「御者の手配は済ませておきました」
「ありがとうございます」
誰もがフローリアの叙勲を喜ぶ中で彼女たちだけは冷静に話を進めていた。そしてフローリアが王女殿下にお礼を言うと剣を収めて出口に向かって堂々と歩き始める。
「気をつけてね、フローリア」
フローリアの背に向かって呟く言葉も喝采の中では決して聞こえないだろう。だが、王女の言葉はきっとフローリアに届いている。
そう信じて王女は彼女の歩みを見つめ続けていた。