Ep.1 世界を超えて
異世界系バトルストーリーに発展する予定です。最初は主人公が異世界へ誘われる所から始まります。是非一度ご覧下さい。
ある朝。我は目覚まし時計のアラーム音でゆっくりとベッドから起床。
右手でアラームを止め、少しばかり訪れる朝の静寂を愉しむ。
暫くの時の後、朝のメールを確認すべく、携帯を見る。そこには、新着メールを告げる表示があった。
『新着メール:70件』
「……」
!?
70!?
一体何があったというんだ。
いや、落ち着こう。我の見間違いの可能性もある。もう一度見てみよう。
『新着メール:71件』
増えた!?
まだ送られてくるというのか!?
一人称を「我」と名乗る少年、徳神 大志は、早朝に襲いかかるメール攻撃に対して酷く驚いていた。
こういう場合、本来であれば知らない相手からのメールに関しては無視するのが最適だ。しかし、70件も、夜中だけでなく朝早くにまでも…となると、何かの緊急連絡の可能性もある。
簡単に無視できるものでもないのかも知れない。
「……」
一切の更新のない携帯を眺め、静まり返った5分が経過する。
メール攻撃が落ち着いたかと思い、徳神が携帯から視線を逸らそうとした、当にその瞬間だった。メールの件数に変化があった。
『新着メール:72件』
それを見た瞬間、怖くなった徳神は携帯をフローリング床へと投げ捨てた。
数字が不意に変わったことに驚いたのもあったが、ここまで大量のメールを処理したことのない徳神にとっては、気味が悪くて仕方がなかった。
床に衝突して摩擦係数が最大の仕事を為したお陰でそう遠くもない位置に留まった携帯は、壊れはしなかった。
しかし、どうやらそれとは裏腹に、徳神の頭の中は壊れてしまったようだ。
携帯の画面から、青いフサフサした物が出ているように見えるのだ。
それは、動物の毛、のように思えるものだ。
その物体はわっさわっさと出て来る。完全に画面から出た頃に、その正体が顕になった。
漸く狭い場所を抜けた、と言わんばかりに満足気な雰囲気を醸し出しているのは、可愛らしいウサギのような小動物だった。
「……」
「…キュィウゥ!」
どうやら鳴いているようだ。
幻覚だけでなく幻聴までもが徳神に襲いかかる。
一体、我はどうしてしまったというんだ…!?
徳神は耳を塞ぎつつ、布団を抱き寄せ、恐怖に怯える。
その時だった。
「トゥルヴィ、どこ?」
「キュウゥゥ」
少女の声がしたのだ。この声高さからすると、まだ十代だろうか。
そして、何故かは分からないが、この上ない安心感を得られた。
握りしめていた布団を手放し、ベッドからそろりと脚を下ろし、ゆっくりと携帯へ歩みを進める。
と、そんな中、
「勝手にどこそこ行かないでよ、もう」
そう言いながら、何やらゴソゴソと音が聞こえ始めた。
直後、今度は携帯の画面から、いつか観たホラー映画のように、人の手が出現した。
「うぉっ!」
「キュウゥッ!」
あまりの光景に叫び声を上げてしまったが、幸いにもその瞬間、同時に例のウサギのような生命体が鳴いたため、ホラーハンドの持ち主の耳には届かなかったようだ。
それにしても、何かを探しているような周囲を確認する動作の手。
徳神は、自らの脳に何かしらのダメージがあったのかも知れないと、本気で考え始めた。
まだ初夏の早朝、気温はそう高くもないのに、額には汗が今にも滴りそうな状態で表面張力をフル活用してなんとか重力に逆らっている。
そんな徳神のことはお構い無しに、少女の声と謎の手は探し物を続投する。
「あれ…、いつもならすぐ捕まえられるのに…」
「キュィウゥ!」
どうやらこのウサギを探しているようだったが、しばらくして、画面の中の少女は溜息をつき、そして、こう言った。
「ミカさん、私、ちょっと行ってくる!トゥルヴィが帰って来ないの」
『行ってくる』ということはつまり、徳神との対面は避けられない。
「おぉ?んー、待て。まさか、また向こう側か?この間は俺も一緒だったから行けたんだぞ。一人で行くには危険すぎる」
「いや、でも、トゥルヴィが…」
「トゥルヴィなら再召喚じゃダメなのか?」
「それが、出来ないの」
「出来ない?」
向こう側?
召喚?
ゲーム以外では聞き慣れないワードが自分の携帯から音声として飛び交う。
徳神にとっては、既にホラー以外の何物でもないのだが。
今のこの瞬間ほど、朝のドッキリを仕掛けられる芸能人のメンタルを尊敬する機会はないだろう。
「トゥルヴィが、召喚拒否してるみたいなの」
画面の向こうの少女の言葉が正しいかどうかはよく分からないが、確かに、ウサギはさっきから光り始めては身体を震わせて光を消すといった行動を繰り返している。
その姿は、単に小動物がよく見せる払いのようにも見えるが、普通の小動物は光ったりしない。
「…拒否?」
「うん、何回もキャンセルされるのよ」
「…分かった。その代わり、呉々も、向こう側の住人には会わないように注意しろよ」
「ありがとう、ミカさん」
時、既に遅し。
「分かってる。まぁ、会ったら会ったでコレ使って記憶消せば問題ないし」
「そいつは流石にひでぇな(笑)」
何やら物騒な内容が話されている。出来れば痛くないのを希望したいところだが。
会話が終わると、先程まで手が出ていた携帯の画面から、黒い線が天井めがけて一直線に伸びた。その後、その線は部屋のドア程度まで面積を広げる。
そして、突如空間に顕れた黒い線によって出来上がった黒い鏡のようなものの中からひょっこりと少女が顔を出し、
「……」
徳神は、少女と出会った。
「…え」
少女は全身の血液を顔に集めたかのように急激に赤面し、そのまま動かなくなってしまった。
「き、貴様は、一体…?」
徳神は少女に話し掛ける。しかし、返答はない。代わりにウサギがベッドに乗って来、徳神の隣でちょこまかと動き始めた。
すると、少女はその光景を目の当たりにしたからなのか、驚いたように目を大きく見開いていた。
「キュイィィ!」
それにしても、なんとフリーダムな生き物なのだろうか。こんな状況下でもウサギはベッド上をぴょこぴょこ動きながら鳴いている。はっきり言ってさっきからうるさい。意外とこの鳴き声は大きい。
それはさておき、少女がじっと見つめてきたのを徳神は感じ、視線を少女へと向ける。
「なぁ、このウサギ、君のペット?」
「トゥ、トゥルヴィ?…この人、知ってるの?」
徳神の言葉は完全にスルーされた。しかしこれは視線を素早く泳がせている所から見て、確実に意図的な行動だと分かる。少女の頬は何故かほんのり朱を帯びていた。
その後、少女の質問に答えているらしいウサギが一際うるさく鳴き終えた所で、少女は酷く驚いた形相になっていた。
「あ、あなた、やっぱり、徳神?徳神…、大志?」
突然名前を呼ばれた。いきなり現れた謎の少女に、ノーミスで名前を当てられた。これは流石に怖い。しかも「やっぱり」って。
一体この少女、何者なんだろう?
そう思いながらも、徳神は答えた。
「そ、そうだけど…?」
自分でも変な声だと分かるほどに声には力が入っていなかった。
「どうして!?どうしてこんな所にいるのよ!?」
モニタから出て来た謎の少女は、突然徳神の目の前まで迫り、叫んだ。
「おわっ!いきなり何なんだよ!?」
「心配…、したじゃない…」
少女はどこか悲しそうな表情になり、感情のままに徳神を叩きつけていた手を静かに下ろした。
「トゥルヴィ…」
次に少女が話し掛けたのはウサギ。いつの間にか徳神の肩まで登って来ていた青いフサフサの小動物は、何故か初対面のハズの徳神に非常に懐いているようで、大人しく肩にちょこんと座っていた。
「………か、帰りましょ、トゥルヴィ」
少女はそう言うと徳神の肩へと手を伸ばした。首を傾げていたウサギも理解したのか、飼い主の手元へと足場を移した。
「ちょ、ちょっと待てよ」
徳神が引き止めるが、謎の少女は謎を残したまま、ウサギを抱いて黒い空間へと消えて行ってしまった。
少女が完全に見えなくなると同時に、黒い鏡のような空間は跡形もなく消え去り、床に携帯が放置されていることを除けば、いつもと変わらない光景が目前に広がる。
「何だったんだ…?」
通常通りの朝が戻ってきた。と言っても、記憶が消えたわけではないが。
………ん?
ここで徳神は気付いた。そう言えばモニタの向こう側での話ではこちら側の住人に会ったら記憶をどうこうするとか言っていたような気がする。いや、言っていた。
では何故、徳神には何も施されなかったのだろうか。単に忘れていただけだろうか。結局、少女が残した謎は、何一つ解明出来そうになかった。
少しの時間が過ぎ、気持ちも落ち着いた頃、徳神は床に激突したまま落ちている携帯を拾い上げた。大きさは元に戻っていた。その後、メールを確認し、そこで七十三件もの着信の理由が暴かれた。
『通常メール:三件、迷惑メール:七十件』
道理で着信に対する反応が無いわけだ。徳神は友人からの三件のメールを返信し終えた後、迷惑メールフォルダを開いた。削除するにしても必ずは一旦迷惑メールフォルダを開かなければならない、という理由もあるからだ。
しかし、フォルダ内にあった迷惑メールは、日常的に送られてくるケータイゲーム会社からのメールや通販的なメールとは違った。
《Title:ヴェドレーナの雷神様へ
拝啓、徳神 大志様。お元気でしょうか?
こちらは徳神様がどこかへ旅立たれてからというもの、災いが絶えず、情勢は渦巻いております…。
徳神様、どうかもう一度、もう一度我が国『アノードゥル』を平和な世界へと導いて下さい………》
タイトルといい文面といい、何から何まで危なっかしく、イタい内容だった。まず『ヴェドレーナ』って何だ。今の徳神にとって、この内容ははっきり言って陳腐だった。
その後、朝から意味不な事件に遭遇したので遅刻しました、とは言い辛いと考えた徳神は、ベッドを立ち、制服に着替え始めた。何もなければ徳神も極普通の高校生なのだ。
そんな中、不意に徳神の身体はなんだか動き辛くなってきたのを自覚し始めた。どういう理屈なのか、段々と左眼が見え辛くなり、視界が半分になった。そしてその時だった。
「ヴェドレーナか…、懐かしいな…」
徳神自身も、今自分が発言した言葉に対して驚いていた。
一度も行ったことがない所に関して懐かしいだと?
一体我はどうしたんだ我は。
頭がどうかしてるんじゃないかと自分を疑ったが、答えてくれる者はいない。徳神は一連の謎を気にしながらも、この非科学的(少なくとも現在の科学では証明不能)な事件の解決を後回しにすることを決定し、携帯を部屋の机上に置いた。その動作後、着替えたばかりの制服姿で自室を出、居間へと向かう。左眼はいつの間にか解放されていた。
居間、リビングルームには既に二人の存在が確認出来た。無論、両親だ。父はリビングルーム中央よりキッチン側に設置されているダイニングテーブルの南東側の椅子に座り、朝刊を読みながらコーヒーを啜っている。徳神はその父の隣の椅子に腰掛け、母の用意していたパン朝食を口にした。
「あら、おはよう大志。今日は少し遅いのね」
エプロンを着けて朝食の準備やキッチン周りの片付けをしている母が話し掛けてきた。
「あ、…うん。まぁ、急がなきゃいけないんだけどね」
徳神はさらっと言った後、トーストの最後の一口を口に投げ入れて身仕度を整え、自宅の玄関を飛び出した。
「キュィイ!」
そんな鳴き声のような音が聞こえた気がしたが、振り返っても、辺りを見回しても見つからなかったので、空耳だと思い込んだ。
徳神はなんとかギリギリで学校へ到着。遅刻まで残り5秒という記録を残して校舎へ入った。徳神はクラスメイトから遅刻ギリギリの理由を聞かれまくりながら、自分の席へと移動し、座った。ほぼそれと同じタイミングでチャイムが鳴り、徳神にとって最後となる学校生活の一日が始まった。
昼休み。あるいは昼食休憩、と言った方が正しいのかもしれない。この時間を主人公は親友の羅神 祐馬と過ごしていた。
「なぁ、今朝の事なんだが」
「そういえばどうしたんだお前、いつもは遅刻とは全く縁のない時間に来るのに」
「あぁ、その事で少し話があるんだが、我がこれから言う事を信じてくれるか?」
徳神は、昼休みまでの授業中に今朝の記憶を辿っていて、どうも素直に話してすぐ納得、となるのは難しいという事に気が付いていた。羅神は苦笑いを若干含ませた顔で発言した。
「何だよ、またお前のお得意の設定か?」
「違う、我にも未だ不可解な点が多すぎるんだ…。それといつ我が設定とやらを作った?」
「いつもの『我は電気人間だ!』は設定じゃなきゃ説明つかねーだろ」
「き、貴様は何を言っている!?電気人間ではない!『雷を操る神』だと何度言えば…、って、今はこんな事を話している場合ではない!」
徳神が『雷を操る神』について語り始めないのは珍しい事であり、羅神は少し真面目になって、
「分かったよ、とりあえず話を聞いて信じるかどうか考える」
と徳神に話を求めた。
「そうか、まぁ、それもそうだ。信じてもらえなくても無理はない…。羅神、お前は青色の毛を持つウサギのような小動物を見た事があるか?」
徳神の話は未だ始まったばかりなのに、羅神は笑い始めた。
「やけに真剣に言うから何の事かと思ったけど、なんだよ、また空想話か」
どうやら羅神に信じてもらうのは難しいようだ。
「やはり、お前もそう思うか…。我がおかしいのだろうか…」
自分がおかしいなどと発言する徳神を知らない羅神は顔を真面目にして応えた。
「どうした?いつもと反応もテンションも何もかも違うじゃねーか。まさかとは思うが、その、青色のウサギってのはガチなのか?」
静かに徳神は首肯し、羅神はどうしたものか、と頭を抱えた。
「羅神…、信じてくれた事に感謝する…。それで、相談がある」
徳神は羅神にメールの内容を話した。もちろん、証拠であるメールは下校したらすぐ転送するという条件で、だ。
「んー、信じたいところだが、流石に難しいな…」
羅神の言う事に無理はない。寧ろ謎の生命体と突如として携帯画面から出てきた少女の事を聞いて、現実だと言える方がどうかしている。徳神はそうだよな、と羅神の意見を尊重した。
「まぁ、もしかしたらそれが全部夢だったって事もありそうだしな。少なくとも現実じゃねーよ、それ(笑)」
羅神の言う事は全て納得出来る。もしかしたら、本当に単に寝過ごしただけで、携帯のメールも何もかも夢だった、という事である可能性もある。友人の意見に賛同し、徳神は学校生活最後の昼食を終える。
「次、何の授業だ?」
「確か数学だな」
「やべっ!宿題やってねぇ!」
どこの高校でも聞けるようなセリフを言い合いながら、昼休みは過ぎて行った。
放課後。昼からの数学で脳と耳と精神に大ダメージを喰らった主人公は脱力状態で教室を後にする。と、教室を出る直前、美化委員長の音神 吏子に呼び止められた。
「徳神くん、明日、委員会あるから!忘れないでね」
「あぁ、なんかそんなのあったなぁ」
「もう!前もそう言って忘れてたじゃない!いい?今度は出席するのよ?」
「はいはい」
「全く、いつもそーやって…」
察しの良い人は気付いていると思うが、徳神は美化委員である。毎回のように委員会をサボる為、委員長に怒られる事もしばしば。だが、怒っても怖くないのが音神の良いところだ。
その後、徳神は教室を出た。暫く歩き、階段を下り、靴に履き替え、まさに校舎を出ようとしたその時だった。
「今朝の女の子って、音神!?」
自分でも驚く程凄い大きさの声で叫んでいた。さっき改めて視界に入れたからなのか、容姿、体つき、口調、声音、全てが限りなく近かったことに気が付いた。だが、それなら何故だ。何故今朝部屋にいたのか。謎は深まるばかりだ。
「そんなはずは…」
ない、と言いたいところだが、何の証拠も無い今は疑わざるを得なかった。校舎を出、まだ音神が残っているだろう二階の教室を見上げる。
「……、まさかな」
結局、徳神はそれ以上何のアクションも起こさずに帰路についた。
自宅に帰り着いたのは夕方、太陽が沈むか沈まないかで迷っている時だった。しかし、帰り着いたのに、徳神は自宅の玄関前で立ち止まっていた。そのまま既に五分が経過している。
「……」
近所の子供達は走りながら各々の自宅を目指している。時計を見て急ぎ始めたサラリーマンもいる―電車の都合だろうか。徳神家の前にあるアスファルトを勢いよく通り過ぎるトラックもある。
だが、徳神は自宅の玄関前で立ち尽くしていた。
「……、頼む。夢だって言ってくれ」
徳神はそう呟いていた。
目の前には、多分この世界のどんな動物図鑑にも載ってない謎の青い生命体、ある少女曰く『トゥルヴィ』が風を気持ち良さそうに受けて眠っていた。
そう。つまりこれは、今朝の出来事も、あの少女も、全てはリアルだったということを示唆していることになる。
「マジかよ…」
いつまでも立ってるわけにはいかないので、とりあえず青いウサギを抱きかかえて玄関ドアを開けた。
「ただいまー…」
玄関先で張りの無い声で帰宅の挨拶を済ませる。帰り着いた自宅内は徳神の母による夕食の料理音が響いていた。二階の自室へ入ると、徳神の夢物語はさらに具現化する方向に傾いた。
「トゥルヴィ…って、徳神!?な、何で徳神が…!?」
それは徳神が一番聞きたい事である。
「いや待て、その反応はおかしい!逆に聞くが、貴様は誰だ!?」
徳神は条件反射的に質問していた。対する少女は「何を言ってるの?」とでも言いたげな顔をしている。
「だから、貴様は誰なのだと聞いているんだ!」
音神似の少女は何か言いたげに口を開いては閉じを繰り返す。徳神は少女から声が出るまでの間、何も言うことは無かった。そして、少女は声を発した。
「べ、別にどうでもいいじゃない…。徳神には、関係ないことよ」
そう言われて「はいそうですか」と言える程器量の大きくない徳神は即座に応答する。
「関係ありありだろ!我が部屋に不法侵入して(携帯のモニタは戻ったけどどうなってるのかは未だ謎だが)!訳分かんないウサギ連れてきて(今抱いてるけど)!それで何の関係もないなんて、普通に考えてそれは無いだろ!?」
徳神は自分で言いながら納得する。言葉にすると、今、本当に訳が分からない状況になっている事がよく分かる。音神似の少女は少しの間顔を伏せていたが、質問に答え始めると同時に上目遣いで徳神を見た。
「…本当は、こっちにいる人間に関わっちゃいけないんだけど…。徳神だから、その、いいよね?」
「わ、我に聞くな!知るはずが、無かろうが…」
音神似の少女は徳神を見る目に少し力を入れた。その途端、まるで人が変わったかのように雰囲気ががらりと変わる。そして、話は始まった。
「私は、徳神を探していたの。理由は、今は、言えないけど…。トゥルヴィには、人を見つける、こっちの世界で言うGPSのような能力があって、徳神が異世界にいる事までは一年前から分かってたわ」
異世界。徳神はその単語に対して思い当たる事が幾つかある。迷惑メールの内容や、少女と出会う直前に携帯の向こう側で話されていた内容、その直後に他人のような自分が発した謎のセリフ。しかし、それらが異世界という非常に便利な設定で弾けるなら、どれだけ楽であろうか。徳神もそれなりの判断を瞬時に行い、結果を出した。
「異世界だとか、我が何人いようが知らないが、そんな内容で話を進められても何も解決しないだろう。いい加減、真実を話したらどうだ?」
徳神は少女の話を途中で遮り、真っ向から非難した。対する少女はきょとんとした面持ちで徳神を眺めている。
「あのね、これが事実なのよ!もしこれが空想の設定だって言うなら、この子の事はどう説明するつもりなのかしら?」
トゥルヴィを指差しながら先程とは真逆のテンションで話し始めた少女に若干の違和感を覚えながらも、徳神は応答する。
「それは…」
確かに、この少女の言う事には不思議な説得力がある。それに、この世界の何処の携帯会社のモニタにも、物理的拡大機能は付いていない。
「これは、受け入れるべきなのか…」
暫く考えた末に、徳神は頭を抱えながらそう呟いていた。対する音神似の少女はトゥルヴィに何か言っている。
徳神が、仕方がないと、そう納得しかけた矢先だった。
「…って、おい!な、何してんだよ!?」
トゥルヴィは突然目を光らせて空中に浮かび出し、少女も何食わぬ顔をしてこちらを見ている。だが徳神が叫んだ理由はそれだけではなかった。徳神の目の前に真っ黒い謎の空間が現れたのだ。
「徳神…、あなたは、本当に徳神大志なのよね?」
いきなりすぎて最早何語を話してるのかすら分からなくなってくる。
「信じるわよ、私は勝手に」
本当に勝手だな!と言いたいところだが、口は開かなかった。脳からの司令が口の筋肉に届くよりも早く、徳神は謎の空間の中へと吸い込まれていった。
「ごめんなさい、大志」
徳神の後に続いて、少女も空間へと。最後にトゥルヴィが中へと飛び込み、刹那、黒い物体は徳神の部屋から跡形も無く消え去った。
徳神が目を開くと、そこは異世界であった。
「…って、んなわけあるかっ!?」
思わず大声でツッコミを入れる。だが、目の前に広がる草原は、明らかに徳神の家ではない。
「おーい!」
徳神は草原のど真ん中で叫んでみた。返事はまだ無い。
「ここ、何処なんだ…?」
「徳神、大志…」
「誰d…って、何だ、貴様か」
声のした方へ振り向くと、音神似の少女がトゥルヴィを抱いて立っていた。
「って、そんなこと言ってる場合じゃねぇ!ここは何処だ!?その前にまず貴様は誰なんだ!?」
「何処って…、やっぱり、憶えてないの?私の事も、思い出せないの…?」
不意に強い罪悪感に襲われる。自分が誰なのか分からなくなる。
「な、何を言っているんだ…?何度も言うが、我は貴様など知らない。ましてや、ここが何処なのかなど、知るはずもない」
徳神は、今自分が言える事を述べた。これが事実であり、本音だ。
「嘘よ、本当は絶対に知ってる!私が、その証拠!もし、徳神が本当に何もかもを忘れてると言うのなら、思い出させてあげるわ!」
「それが出来るものならやってみろ!」
「……」
少女は黙り込んだ。答えられない訳ではない。気持ちを落ち着かせているのだ。
「やってみろと言っているんだ。これ以上怪しい行動をとるならこちらにも考えがある」
否、本当は考えなど何一つ思いついていない。ただ、この状況のまま時間が流れると、自分自身がどうにかなってしまうという、そんな焦燥感に駆られての発言だった。
数秒後、少女は息を吸って、
「私の名前、当てられるでしょ?」
そう言い切った。だが、徳神は何の焦りもなく質問に対処した。
「無理だ」
実際のところ、選択肢があれば当てられたのかもしれない。しかし、それを言うにしてはまだ確証がないのだ。
「どうして…?何でそんな嘘をつくの…?」
少女は胸に抱いていたトゥルヴィを解放した。全身から何かが抜けたように地面にへたり込む。そして、今まで溜めていたものが湧き出るかの如く、その場で声を上げて泣き始めた。
何時間、少女は泣いていたのだろうか。徳神は、漸く泣き終えた少女に声を掛ける。
「その…、さっきは、ご、ごめん」
悪いという訳ではないが、この状況は苦手だった。そんな徳神のことを察したのか、音神似の少女は静かに息を吸って応えた。
「えっと…、その、私が、悪いの…」
もはや徳神がその子に言えることは皆無となった。
暫くした後、少女にある施設へと案内された。その施設は所謂要塞、基地のようなものだと説明を受けながら順調に歩みを進めていた。
「徳神、私の名前、本当に覚えてないの?」
突然の問い掛けに多少の驚きを見せる徳神は、その直後に問い掛けに反応し、首肯した。
「そっか…。忘れてるんだ、やっぱり…。でも、もしかしてコレはもしかするかもしれないよね…」
何やら小さな声でぶつぶつ呟く少女を気にしながらも、徳神は周囲の景色に目を配っていた。何処までも続く砂漠なら嫌だが、何処までも続く青々しい草原は徳神にとって初めて見るものであり、自然に囲まれているようで落ち着いた。そして、少女の言う施設も目で探してみるが、要塞どころか建物の一つすら見えていなかった。…一体何処にその施設はあるのだろうか。…本当に存在するのだろうか。今の状況であれば当然の疑問が複数浮上する。
「…ね、ねぇ、徳神。何処まで行くつもりなの?」
不意に少女に呼び止められる。振り返ると、少女は草原の真っ只中に立ち止まっていた。
「え?」
徳神が不思議そうな顔をする。
「え?」
今度は少女が状況を理解できていないというような声を上げる。この時点では、まだ徳神はここが異世界であるということを理解していなかった。だが次の瞬間、徳神は強制的に頭脳へここは異世界だとインプットさせる光景を見せられる。
「い、今…、何をしたんだ…?」
突然、空間が顕れたのだ。少女が空気を握ったかと思った次の瞬間の出来事であった。それはまるでドアのように、内部の空間と外とを隔てているらしく、少女はそれをゆっくりと剥がして行く。そして、『施設』の内装が見え始める。
「ここが、その施設よ。…って、徳神は本当に全部忘れてるのね」
少女は徳神を見、哀しそうな表情を浮かべていた。
「忘れてるも何も、すまない。我にこんな場所の記憶は無い。それ以前に、未だに事実が受け入れきれないでいる…、慣れたくはないが、この環境に暫しの間滞在させられるのなら受け入れなければならないというのは分かってはいる…」
徳神は本音を並べる。この施設、そして今までの少女の行動や少なくとも現代科学に於いて証明不可能な事を現実として受け止めるには、徳神に限らず普通なら難しい事だが、実際に見てしまった以上は信じないわけにもいかない。まさしく異世界を受け入れる必要があるという事になるのだ。
「さぁ、徳神!今までの事は、まぁ良いとして、改めて。ここが、私の属する組織『ヴェドレーナの5神』の管轄地域、『ヴェドレーナ大要塞都市』よ」
少女はそう言うと、入口となっているのであろう空間へと徳神を誘う。
「あれ…?ここって…」
施設内部に入った徳神は思わず呟いていた。何故かどうしようもない既視感に襲われたのだ。
「どうかしたの?」
少女が若干首を傾げながら質問した。しかし徳神は内装を見るなり少女の事など視界にすら入っていないかのような表情で立ち止まっていた。すると、そんな入場した二人に気付いたのか、一人の男性が二人へと近づいて行った。
「あ、ミカさん!」
突発的な少女の声で我にかえった徳神は少女の声先、『ミカさん』を見た。
「ん、どした?俺の顔に何か付いてるか?」
『ミカさん』と少女に呼ばれている男性は徳神に気さくに話し掛けてきた。
「あ、いや、そういう訳ではないです」
不思議と敬語になってしまう。相手はよく見ると、眼鏡とスーツの似合う渋い格好良さを漂わせた好青年だったからだ。
「おいおい、冗談はよせよ徳。お前に敬語使われると何か狂っちまうだろ?」
好青年は苦笑しながら徳神に言った。
「んで、一体何処に行ってたんだ?」
徳、というのはこのシチュエーションからして明らかに徳神の事である。しかし徳神は少女の時といい今といい、名前をノーミスで当てられてある種の恐怖を味わっていた。そのせいで、口から出るはずの言葉さえ固まってしまっていた。
「あれ?徳だろ?もしかしてそっくりさんだったりするのか?」
今度は少女に話を振っている。
「徳神よ、その事だけは間違いないわ」
少女のその言葉に好青年は笑いながら応えた。
「ははは、吏子が言うなら間違いはないな」
その瞬間、徳神の中で何かが嵌る音がした。吏子とは、音神の名前として徳神は知っていた。そう。つまり、この少女はその音神である可能性が一際高くなったのだ。
「音…、神…?」
自然と零れたその言葉に少女が反応する。
「え、ちょっと待って、もしかして本当に私の名前分からなかったの?」
「いや…、その名前なら知ってる…。だが、それなら何故学校で我にこの世界について何も言わなかったのか、気になってて」
少女は首を傾げる。
「が…、ガッコウ?何言ってるのよ、分かりやすく説明しなさいよね」
どういう事だろうか。この少女の名は音神だと判明した。だが、学校という存在を知らないようだ。
「え…、もしかして音神のそっくりさんだったりするのか?」
つい先程の好青年とほぼ類似した質問だ。それに対し、少女、音神は応える。
「何よ!?私は私よ?本当に全部忘れてるのね!」
何故か徳神は怒られた。その状況で好青年ミカさんが入ってくる。
「忘れてる?…ちょっと待て、徳は記憶でも失ってるのか?」
だから忘れてるのではなく初めから知らないのだ、と言いたいところだが音神がそれを制した。
「失った…、まぁ、そうなのかもね。でもただ忘れてるだけって訳でもなさそうなのよ」
徳神を横目に見ながら話す音神。好青年ミカさんは少し考えて、その直後、何かを思いついたように頷いた。そして、改めて徳神の方を向いて、
「ようこそ、ヴェドレーナへ」
こう言い放った。




