第一章『花言葉』(3)
「ただいまぁ〜!」
「あ、純くんお帰り〜」
元気にドアを開けて帰ってきた純也を、希紗が何故か嬉しそうに迎える。大きな花束を抱えた純也を、全員がそれぞれの表情で見ていた。が。空を切って、突然何かが純也に物凄い勢いで襲い掛かってくる!
避けられるけど、でも避けられないいつもの一撃。
「いたっ」
振り下ろされる拳は、本気になればかわせるモノ。それでも、(何か悪いコトしちゃったのかな?)とか思っている刹那に少年の頭にヒットするのだ。
「……人におつかい頼んどいてそれはないんじゃないかなぁ?」
「うるせえ」
純也を殴ってすぐに背を向けた遼平を、不満そうに見上げる。なにやら不機嫌そうだ。
「気にせんでエエよ純也。遼平は自分で淹れた茶で吐いただけやから」
「えっ? 遼がお茶淹れたの!?」
「あのお茶は凄かったわよ〜、だって変色してたもん」
「一体何をどう入れたらあのような異臭を放つようになるのだろうな」
それぞれがあの筆舌に尽くし難い《激茶》の感想を述べる。やっぱり遼平に茶を淹れさせたのが間違いだったのだ。
「遼……どうしてまた」
「俺が聞きてぇよ……」
遼平も後悔しているらしく、がっくりと肩を落とした。自分で淹れて、誰も手をつけなかったので一気飲みしたら壮絶な味がしたのだ、もう思い出したくもない……。
「ところで純くん、その花なに?」
「あぁ、これはね、もらったんだ。花屋のお姉さんに」
「なんだ、アルストロメリアと…………花蘇芳じゃねーか」
「『アルストロメリア』? おかしいなぁ、お姉さんは確か……」
小難しそうな長いカタカナを口にした遼平に、純也は驚きながらも首を捻る。花の名前が、女性店員と聞いたモノと違う。
「あぁ、『百合水仙』とでも聞いたか? 別名なんだよ」
「遼平知ってるん? 花なんて全然似合わへんのに〜」
「一言余計だ。俺はなぁ、博学なんだよっ」
ふんっ、と遼平はデスクに脚をかけて姿勢悪く座り込んだ。純也は遼平の言葉以前に、彼が『博学』なんて言葉を知っていた事に感心していた。
「それでね、こっちの花は遼に、だって。桃色の髪の、綺麗な人だったよ」
「俺に? ……花蘇芳を?」
「うん。一緒にココに飾っておくね」
何か嫌悪そうな遼平の様子には気づかず、純也は小さな花瓶に水を入れてくる。
「珍しい事もあるものだな、貴様が花に詳しいとは」
「ふふん、ついでに花言葉も知ってるぜ。アルストロメリアは『幸い』だ」
「……もはや珍しいを通り越して鳥肌が立つのだが」
得意気な遼平に、澪斗が顔を引きつらせる。もちろん、あまりのミスマッチさに、だ。
ふと、真のデスク上の外部連絡用通信端末がいきなり着信音を発した。いつもはこれで依頼人などと交渉をとったりしている。
「何やろ……依頼やといいんやけどなァ。ポチっとな、と」
画面が表示される、微かな機械音。
「……」
受信ボタンを押した真が止まる。なんだか嫌な予感が全員を包む。
「……こりゃ、ある意味仕事、やな……」
「どうした?」
「ん〜なんつーか、これは……」
頭を抱えてデスクに肘をつく真の姿に、四人が真のデスク上の端末前に集まる。そこには通信メールで、こうあった。
『拝啓
明日、資産家山瀬氏の宝物をいただきに参上します。ロスキーパー中野区支部の皆様、もし私を阻止できる自信がお有りの方は明日深夜、お会いしましょう。
敬具 怪盗・アイリス』
「なんだこりゃ?」
「挑戦状、か」
「アイリスって聞いたことあるわ、たしかスゴ腕の怪盗よ」
「どうして僕達にこんなモノを……?」
「わからん。が、見逃すわけにはいかへんなァ……よし」
そう言って真は端末のキーボードを打ち込み始める。通信をどこかにかけるようだ。何度か呼び出し音を鳴らし、やがて通信が繋がる。
『はい、こちら裏警備会社ロスキーパー本社受付でございます。本日はどちらへ御用ですか?』
「中野区支部代表、霧辺真や。至急情報部の《道化師》へ繋いでほしい」
『了解しました、少々お待ちください』
受付嬢が頭を下げ、画面が保留になる。ロスキーパー各支部には、本社に連絡をとり、その各部署を利用できる権限がある。今回真が呼び出した『情報部』とは、裏社会のあらゆる情報をロスキーパー専属の情報屋が集めて管理している部署であり、その情報は社員に提供される。
「おい真、アイツに頼る気か?」
「しゃーないやろ、背に腹は変えられん」
「久しぶりだね、元気にしてるかなぁ」
少しの沈黙は、すぐに破天荒に破られる。
『は〜い、みんなおひさッ! 僕になんかご用かなッ? 今なら特別キャンペーン中で、殉職の葬儀屋までバッチリ紹介しちゃうぞッ』
「んなキャンペーンいらへんって。変わらんなァ、フォックス」
フォックス……通称《道化師》。ロスキーパー情報部の中でも最も幅広い情報網を持つ情報屋。おかしなテンションの持ち主だがその情報の信憑性は確か。情報屋の常識だが、常に顔は隠してある。情報屋とは、最も命を狙われやすい職業だからだ。今日もピエロのような仮面をしていて、変声機を使用。本名や素性は誰も知らない。
『やっほ〜、野郎共はどーでもいいんだけどさ、希紗ちゃんはッ?』
「ここにいるわよ〜」
「相変わらず貴様の眼中には女しかいないのか?」
画面に映るように二人も顔を覗かせてくる。画面は五人でぎゅうぎゅうになり、真は既に画面下デスクに押しつぶされる形となっていた。
『……で、この僕を呼び出すなんてどうしたのさッ?』
「あぁ、せやった。あんさんに調べてほしい事がある、怪盗アイリスについてや」
『怪盗アイリス? あはは、それなら今更調べなくても調査済みさッ。読むよ、
女性怪盗アイリス――――三年前から現れた一流の女性怪盗。姿を見た者はほとんどなく、数少ない目撃者によれば、仮面をしていて顔は見えないが女性である事はいつも着物姿なのでわかっている。犯行の手口は基本的だが全く無駄がなく、かえってそれが犯人像を掴みにくくさせている。戦闘を避けるため、武器所有の情報は無し。
……ってトコだね。本社も何度かアイリスには手を焼いててね、情報だけは売るほど有るってワケさッ。君たちは初めてだっけ? どしたの予告状でも来た??』
「ってゆーか、わざわざご丁寧に挑戦状が来はったんや」
『へぇ〜、初めてだな、そんな例。うんメモメモッ。ま、とにかく相手するなら気を抜かない事だね。君たちでも裏をかかれる可能性は充分だからさッ』
「わかった。それと、ついでやけど資産家の山瀬って人の事もわかるか?」
『山瀬? ちょっとお待ちを〜…………お、あったよんッ。
山瀬重蔵。表では株で成り上がった資産家となっているが、裏社会に片足を突っ込んでいる人物で、裏金で大きくなった。美術品のコレクションを持っているという情報がある。金持ちにありがちな、非常に疑い深い性格。
……だってさ。家はかなりの豪邸だね、これまでロスキーパーと接触を図ったことは無いよッ』
「そうか……ありがとな」
『い〜えいえッ! その代わりと言っちゃアレだけどさ〜、希紗ちゃん、今度一緒にお茶でもどう?』
「遠慮しとく!」
ピエロが希紗だけに手を振った途端、画像が真っ黒に。
真がやっと顔を上げると、希紗が勢いよく回線コードを引っこ抜いていた。女子には甘いフォックスの性分は皆よく知っている。
「モテますなァ、希紗も」
「それ嫌味?」
ギロッと睨まれて、真は肩をすくめる。恋愛というものはなかなか思うとおりにならないらしい。
「アイリス……『菖蒲』、か。それでどうするのだ、全員で行くのか?」
「あ〜、ワイ明日からちょっと用事あんねんけど……」
「私も。でも五人で行くしかないかしら」
「いや、その必要はねぇよ」
低い声でそう言い放った遼平を、全員が意外そうに見る。今まで珍しく黙っていた遼平が、切れた端末の画面を見つめながら何気なさそうに呟いていた。
「俺が行ってくる。ンな怪盗なんて、俺一人で充分だぜ」
「遼平が自分から言い出すなんて珍しいやんか。明日はブリザードかもなァ」
「何が狙いだ?」
「やだ、遼平のトコってばそんなにお金に困ってんの?」
「遼、今日は熱でもあるんじゃない?」
「……俺ってそんなに信頼薄いのか?」
今更な質問に、全員が息をそろえてコクンと頷く。遼平はため息を吐いてがっくりとうな垂れた。そんな、全員一致で肯定しなくても……。
「俺に考えがあるんだよ。どうせお前ら用事があんだろ? だったら俺が行ってくる」
「遼平にも『考える』能力ってあったんやねぇ。まァ依頼とちゃうし、行きたいってゆーならワイは止めへんけど」
「だったら僕も行く。遼だけだと不安だし……」
遼平の『考え』に不安を抱いていた純也が手を上げて名乗り出る。何か嫌な予感がしたから。だいたい、怠け者の遼平が自分から仕事に行くと言い出すなんて、大抵金銭が底をついた時なのだ。だが、今月はまだ経済的に余裕がある……同居し、家計を管理している純也はその事を一番よく知っていた。
「なら二人で行ったってや。今回は依頼されたわけやないから信用されへんかもしれんが、その辺は自分達でなんとかするんやで」
「うん、わかったよ」
「……」
真の許可の声が聞こえていないのか、遼平はじっと純也が飾った花を眺めていた。その瞳がいつになく鋭いことには誰も気づかない。
「じゃあ僕これから山瀬さんに連絡をとってみるね」
「あぁ……」
どこか上の空な遼平の返事に違和感を持つことなく、純也は真に入れ替わって椅子に座り、端末を操作し始めた。先程フォックスに送ってもらった山瀬氏のデータから通信アドレスをコピー、送信する。遼平は真のデスクに行儀悪く腰かけたまま、花瓶を見つめ続けていた。
「……ところで蒼波、花蘇芳の花言葉は何なんだ?」
「あ? ――――『裏切り』、だ」