第一章『花言葉』(1)
第一章『花言葉』
「遅いなァ……純也のやつ」
あくびを噛み殺しながら、『裏警備会社ロスキーパー中野区支部部長』という、長ったらしい割にはたいして権威の無い職務の霧辺真は、退屈そうに窓を眺めていた。
「ほんとよね〜、もしかしたら迷子になっちゃってたりして。ちょっと遼平、お茶淹れてよ」
今まで顔を上げずに機械を組み合わせていた安藤希紗が、三十分ぶりに顔を上げて手を止めた。
「あぁ? 何で俺が茶なんか淹れなきゃならねーんだよ、飲みたきゃ自分で淹れろ」
接待用のソファの上で寝ていた紺髪の男……蒼波遼平が面倒臭そうに首だけ上げて答える。投げ出された長い脚がソファからはみ出ている。
「だって純くんをおつかいに行かせたのは遼平じゃない。普段なら純くんがお茶淹れてくれるのにぃ〜」
「うっせえな、だったらあいつが帰ってきてから淹れさせりゃいいだろうが!」
「やだやだ〜、今喉渇いたの〜!」
「じゃあ水でも飲んでろっ。ったく、アイツがおせーのが悪いんじゃねぇか」
「ってゆーか、いつの間にか何故か純也がお茶汲み係になってるんやね……」
苦笑しながら、真は今ここにいない白銀髪の最若正社員を想う。別にこの会社に上下関係も先輩後輩もほとんど存在しないが、純也は気が優しく料理が上手いためにそういった役回りに暗黙の内になってしまったのだ。不運といえば不運なのだが、本人がそれを悲観している様子は全く無い。……むしろ、少し楽しんでいるように見えるくらいだ。彼にとっては、この事務所に全員で居ることが楽しいらしい。それでは仕事にならないのに、ただそれが嬉しくてたまらないようなのだ。本当に理解できない発想だと、真は他人事でそう想う。
(何故なら、)真は部長の立場で考える。
自分の言う事を聞いたためしの無い部下達。
事務所、仕事場変わらずケンカの絶えないメンバー。
一応警備会社なのにマトモな依頼の来ない支部。
しかも部下達は一癖も二癖も三癖もありまくる個性豊か過ぎな人間ばかり……一体、ドコに行ったらこんな人材ばかり揃ってしまうのか。真はこの会社の社長の七大不思議の一つだと決め付けていた。
この会社に、雇用制約は存在しない。というか、一応は面接があるのだが、その面接が普通ではないのだ。無法社会であるここ『裏社会』でだって珍しすぎる採用方法が、ロスキーパーには存在する。それは、直に社長と面接、もしくは社長直々のスカウト……なんて事。しかも雇用確率はほぼ百パーセント! ……なのにこの裏警備会社が社員で溢れることがないのは、裏社会でのロスキーパーの評判がすこぶる変、だからだ。
「やだ〜! やだやだやだやだやだぁ〜っ! ……だいたい、いくら《渋谷》に自分が行きたくないからって、」
「……わあったよ、茶ぁ淹れさせていただきますよっ」
手をバタバタさせて子供のように催促し始めた希紗に……いや、《渋谷》という言葉を出した希紗に、とうとう遼平が降参した。普段なら狸寝入りでもするところなのだろうが、珍しく純也をおつかいに行かせた責任を感じているらしい。
「あ、じゃあワイの分もよろしくなー」
「くそーっ、こうなったら俺様の激茶を飲みやがれー!! 言っとくがキザ野郎には淹れねえからなっ!」
ポットの前で遼平は振り返り、先程から気配を消したように黙々と作業していた淡緑色の短髪の男をビシッと指す。その視線にやっと黙っていた男は顔を上げずに口を開いた。
「元よりいらん」
「けっ、後で後悔しても知らねーかんなっ!」
「茶一つで後悔する程俺は貴様のようにひもじくはない……というより、貴様の茶など飲んだが最後、どうなるかわからんからな」
紫牙澪斗の鋭い眼光と言葉が返ってくる。遼平は腹が立って地団駄を踏み、今にも澪斗に飛び掛かろうと殺気を放っていた。澪斗がずっと手元で磨いていたリボルバー式マグナム銃が鈍く光る。
「どういう意味だよ、あぁ!?」
「言ったとおりの意味しか含んでいない。それとも、今の言葉がその頭では理解不能だったか?」
「てめぇのそーいう態度がムカつくんだよ! 人をバカみてぇに見下しやがって!!」
「少なくとも貴様は『馬鹿』であっていると思うが?」
「こっのヤローっ!」
軽い、手を叩く音。
「はいはい、そこまでやで〜。ったく、ケンカだけなら売るほどあるんやね……」
保父のように手を叩きながら、真が二人の視線の間に入ってきた。呆れた表情で遼平をポットへ押しやり、澪斗の磨いていた拳銃を取り上げる。もちろん、死人を出さないためだ。
「ちっ」
「わかったから返せ」
マグナムの撃鉄が今日はまだ起きていない事を確認し、真は丁寧に銃を返す。ここでもし放り投げて返したりしたが最後、澪斗の放つ冷気に耐えられなくなる。哀しいが、真は部下の殺気に耐えられるほど頑丈ではなかった。
「はァ、ココは幼稚園やないんやけどなァ……」
「「何か言ったか?」」
珍しく、遼平と澪斗の声が重なる。
「……なーんも」
お手上げだと言わんばかりに、腕をヒラヒラと振って自分のデスクに戻る部長。席に着いて、真はある事を思い出していた。
そういえば、自然とこんな役目は純也に回っていた。純也がココに来る二年程前までは、二人のケンカを制止するのは部長である真の役目だったのだ。しかし純也が来てからというもの、自分は純也の優しさに甘えていた気がする。お茶淹れ係兼ケンカ制止役……考えてみれば純也が一番の働き者なのかもしれない。
(今度給料の割合を上げてやろうかなァ)と、部長は本気でなんとなく窓を眺めながら考えていた。