EL『愛しき花へ』(2)
「おい純也、いい加減マトモな食事をしろ」
「でも、先生……」
病室に入ってきた獅子彦が、ベッド横のイスに座る純也に声をかける。ベッドには、ずっと目を覚まさない男。
「手術は成功している。後は、意識が戻るのを待つだけだろう。そんなに心配する必要は無い」
「だって、もう四日もこのままで……」
ずっと涙を堪えているのがわかる、少年の震えた声に闇医者は悩み……そして、決めた。
「遼平は必ず目を覚ます。翼に頼まれたから……護るために、必ず戻ってくる」
「やっぱり遼は翼さんを裏切ってないんだねっ?」
「……こいつはな、本当に馬鹿で不器用で……強いヤツなんだよ。幼い頃から愛を与えられなかったせいで、自分の存在価値を知らない。初めて愛情を教えてくれたスカイという《家族》を、本気で愛しているんだ。今もなお」
《真実》の核心は語らない、獅子彦の遠い眼。それでも、何故か純也には、純也だけには、遼平の想いを知っていてほしかった。
「だから純也、お前は、遼平を見放さないでくれないか。こいつが自分の価値に気づけるまで」
純也の答えが返ってくるのが怖かったが、それは杞憂に終わる。
「うん、僕が生き続ける限り。遼の大きな価値を、僕の力で気づかせてあげられたら」
(わざわざ言うまでもなかったか)と、苦笑して獅子彦は純也に食事を促す。「遼平は俺が診ているから」と。
それに頷いて純也が席を立とうとしたそんな時、不意に寝ていた遼平の指が動く。
「遼!?」
「っ、あー……?」
状況のわかっていない遼平が、ぼーっと天井を見つめ、しばらくして横に立つ純也へ顔を向けた。
「あ、あぁ……遼……戻ってきてくれたんだ……」
「は? って、おい純也!」
力無く床に座り込んだ純也に驚き、遼平は上半身だけ起きあがらせる。近くに獅子彦が立っていることに気づき、『どうなってるんだ?』と瞳を合わせて心で尋ねた。
「お前が昏睡状態で四日も眠ってたんだよ。俺の腕と、渋谷に棲む蝙蝠達に感謝しろよ。お前一人の『覚醒の調べ』だけじゃ、身体が保たなかったんだぜ? 歌の効力が切れた後、蝙蝠達が《音》でお前の覚醒状態を継続させたらしい」
「そうか……今度礼を言いに行かないとな」
「あと、忘れるなよ、一番大切な恩人を」
そう言って獅子彦が指差した先には、まだ泣き崩れている純也。どこまでも翼に似ている少年、他人のために泣いてしまうその姿さえ。
「ったく、いつまで泣いてんだ純也。とりあえずイスに座れよ」
「だってさ、遼が……わざと時雨さんに殺されようとしたからっ」
困った表情の男の前で、少年は安堵なのか泣き続ける。両眼を押さえるが、雫は止まらない。
「遼は死にたいのかなって思ったけど、でも、僕は死んでほしくなかったし……けど、遼の命だから、僕はワガママ言っちゃいけないのかなって……」
かなりの葛藤をずっと心に秘めていたらしく、言葉の順序など考慮できないほど素直にそのまま声に出していく。そんな純也に、遼平は。
「……おい純也、お前何か勘違いしてねぇか?」
「え?」
もはや呆れを含んだ男の声色に、少年は顔を上げる。大きなため息を吐いて。
「別に俺は、最初っから死ぬ気なんて無かったぞ? 俺はただ、時雨にヤボ用があっただけだ」
「でもっ、時雨さんに抵抗しなかったしっ」
「俺はあンくらいの傷じゃ死なねーことぐらい、お前も知ってるだろ? これで少しは時雨の気が晴れれば、と思ったんだ」
「本当にっ?」
「ぐ……そ、そりゃ、あんな時雨の顔見てたら、『復讐を果たさせてやるべきかなー』とか思ったり思わなかったり……」
親の逆鱗に触れそうで恐れる子供のように、遼平の語尾が段々と小さくなっていく。「バカ遼ー!!」と鳩尾をモロに正拳突きされ、悶絶する遼平。
「ぐあああ!? そ、そこ、傷口……っ!」
「よくやった、純也。もう一度傷口開け、俺が何度でも縫合してやる」
「てめっ、獅子彦! それが医者のセリフか!?」
痛みで半泣きになりながら、遼平は闇医者を睨む。今怒ったと思ったら、また少年は泣き始めて。
「遼が何かを護ろうとしてるのはわかるよ、でもさっ、それじゃ遼の『心』はどうなるの!?」
「……ンなこと、考えたことも無かったな。俺は、」
『親から存在を望まれなかったのだからそんな価値は無い』と言いかけて、やめた。これ以上、自分の重荷をこの小さな少年にまで担がせたくなかった。
だから、代わりにその場しのぎの言葉を。
「悪かった、純也。ありがとな」
軽い、上辺だけの言葉。(またこいつは独りで……)と、獅子彦は遼平に苛立ちと尊敬の念すら、同時に感じて。この男は、他人に心開くことなど二度と無いのだろうか。独りで、闇を背負うのだろうか。
「僕、遼にもう会えなくなるんじゃないかって思って……」
「あぁ、俺はもう、お前に……ロスキーパーに戻る気は無かった。東京のどこかで生きていくつもりだった」
「じゃあ、遼はどこかへ行っちゃうの!?」
怯えて震える青い瞳と、腕をぎゅっと握ってくる白い手。全てはその身を巻き込みたくないだけなのに。
「……行かねぇよ、どこにも。こんなチビを残して行けるかっての」
その白銀の髪に手を乗せるのは、不器用な彼の感情表現。男は気づかない、それが自分の『心』の想いだというコトに。
(遼平が己の価値に気づくのは……もうそんなに遠くないかもな)
闇医者は嬉しそうに口元を引き上げていた。