第四章『亡友のために』(2)
ゴミがアスファルトの所々に散らばる裏路地。懐かしい暗い路に、遼平は再び立っていた。
(やっぱり変わらないんだな、ココは……)
「おい、誰だてめぇ?」
早速、縄張りに入ってきた侵入者に、ガラの悪そうな若者達から声がかけられる。遼平は面倒臭そうに口を開いた。
「はっ、お決まりの台詞だな。『俺は蒼波だ』って言えば、それでいいか?」
いつものにやつき顔でじっくりと久々に見るスカイのメンバーを観察する。相変わらず、青いリストバンドがメンバーの証らしい。
若者達は、驚愕と憎悪の色を顔に浮かばせて。
「あんたまさか……裏切り者のっ!?」
「なっ、なんでココに来た!?」
「てめぇらに用はねぇんだよ、時雨を出せ」
「お前、今度は時雨さんを殺す気か!?」
「……さぁ、どーだろうな」
ビルに遮られて狭い空を見上げ、遼平は煙草の箱を取り出した。顔を下ろしライターで何気なく火をつけ、紫煙を吐く。
「お前らじゃ相手にならねーよ、早く時雨を呼んでこい」
「くそっ」
若者の内の二人が遼平に背を向けて走り出す。残った者は畏怖の瞳で遼平を見つめ、その場に立ち尽くしていた。だが。
「……ちっ、俺の言った言葉の意味がわからねぇのかよ」
聞き取った音に、遼平は舌打ちする。若者の一人が呼んできたのは、時雨ではなく、スカイの若者達だった。……皆、翼を尊敬し、慕っていた人々。
「翼さんの仇討ちだ!」
「最低の鬼、ここで死ねぇ!」
遼平に罵声を浴びせながらも、《鬼》への恐怖でなかなか襲いかかってこない。だが、その『言葉』という音だけで、遼平の傷をえぐるのには充分だった。
「……じゃあかかってこいよ、俺が憎いんだろ? 翼の仇、とってみろよ」
「てめぇに言われなくたってっっ!」
無防備にも瞳を閉じた遼平に、重い鉄の棒が振り下ろされる。遼平は避ける素振りも見せず……避ける気すら無かった。
(この人数くらいなら袋叩きにされても俺は生きてるんだろうな……身体だけはムダに頑丈だし。ま、今ここで死んじまうとヤボ用が果たせねーし、ゆっくりやられながら時雨を待つ、か)
鉄が直撃する痛々しい音を、遼平の耳はしっかりと聞き取れた。……なのに。
「……は……??」
視覚より聴覚に頼って生きている蒼波の人間だからこそ、目を閉じていても周囲が理解できるはずなのに……全く痛覚を感じない? それを不思議に思って視覚を戻してみると、予想もしなかった光景があった。
「……はァ、これやからアホな仲間を持つと苦労が絶えんのやねぇ」
「フン、そんなコトは随分と前から知っていただろう。何を今更」
「あァ〜、もう今度ホンマに人事相談電話しようかなァ。知っとる? 今、フリーダイヤルで無料なんよ」
「最近は仕事の過労死が多いと聞くからな。……だが、表の人事相談だぞ、何と言うつもりだ?」
「ンなコト、決まっとるやろ」
細い鉄柱を受け止めた木刀は、軽く薙ぎられるだけで鉄を遠くへ飛ばす。そしてその襲いかかってきた男の眉間には、黒の銃口が突きつけられていて。
「職場の仲間にアホで馬鹿でどーしようもないヤツらが多いんですけど、どないしたらいいでしょう? ……ってな」
「……その中に俺も入れているのだとしたら、即行で貴様を射殺するぞ?」
「おー、怖っ」と冗談混じりに苦笑する真と、「で、俺は入ってなかろうな?」と釘を刺す澪斗。自分の前に立ち塞がった二人に、遼平は目を見張っていた。
「何してんだよ、お前ら……」
呆然と、口から率直な言葉が出ていく。何故ここにいる? どうして……。
「……あんたの目的を果たして来いや。それがどんな結末でも……遼平が選んだ道なら、ワイは後悔しない」
「相変わらず愚かな奴だ、このような場所で潰す時間など無いくせに」
「お前ら、《真実》を……!?」
「「知らん」」
キッパリと断言され、肩すかしを喰らう。「じゃあなんでだよ!?」との混乱と苛立ちの声に、二人は背を向けたまま。
「んー、なんとな〜く? ま、過去の清算、してこいや」
「遺言があるのなら聞いてやらないこともないが?」
「…………純也のこと、頼む」
「あァ、心配せんでエエ」
「元より見捨てる気はない」
その返事を聞く前に、遼平はビル壁へ跳躍、さらに壁を蹴り飛ばす反動で若者達の上空を跳んで裏路地の外へ去っていった。だが、仲間の言葉はしっかり聞こえていて。
「お前ら、《鬼》の仲間か!? 何者だっ!?」
「そういう台詞は、まず己が名乗ってから言うモノだ」
「あんた、そのお堅い言葉まだ使っとんの? 相手の自己紹介を待っとる馬鹿真面目な殺し屋って、あんたぐらいやん?」
「貴様は礼儀作法というモノを教わらなかったのか?」
「えぇー、しょっちゅう人を射殺しようとするヤツに言われたかないわァー」
この人数相手にふざける二人組。「とりあえず、名乗っといた方がエエんちゃう?」と銃を握る男に背を預けて。
「……《消去執行人》、エクスキューショナー」
「と、《愛の剣士》、ここに見参!」
黒い銃と木刀が、同時に構えられる。どこまでも気高く、勇壮に。
「消去執行人っ? どうしてあの暗殺屋が!」
「なぁ、エクスキューショナーは知ってるが、『愛の剣士』って誰だ?」
「「さぁ??」」
東京裏社会で有名な澪斗の二つ名以前に、『愛の剣士』とかいう変テコな若者も注目を浴びていた。複数の若者が怪訝そうに首を捻る。
「なんやっ、ワイを知らんとはモグリかあんさんらァ!?」
「ココは裏社会だから、全員モグリではないか?」
澪斗の適確なツッコミが。本名を名乗ると素性がバレるので、お互いの名は決して口にしない。遼平がロスキーパーと繋がっているのを、知られてはならない。
「せっかくの夫婦水入らずの新婚温泉旅行を邪魔しおって、よくもーっ!」
「貴様らの仲に水が入ったことなどあったか?」
「ワイとユリリンの幸せな時間を邪魔した罪は重いでェ! わざわざ特急で帰ってきたんやからなっ!!」
「俺が連絡したら勝手に帰ってきたくせに……」
関西弁の若者は、隣りの男の言葉を全く聞いていない。ため息を吐く《消去執行人》と誰に怒っているのかわからない(自称)《愛の剣士》の耳だけに、声が届く。
『二人とも、真面目にちゃんと大騒ぎしてよね!』
「くだらん、何故俺が蒼波の囮を」
『澪斗、腹筋でお腹から声出してっ!』
「何と叫べばいいのだ?」
「『このタコどもが、オラに刃向かって犬のエサになりたいんかバーカ!』とかって叫べばエエんやない?」
『真それナイス!』
「……音速で貴様らを畜生のエサにしてやりたいのだが、まずはこいつらを引き留めるのが先決だ。やるぞ」
イヤリングからの希紗の無線を聞くかぎり、どこか屋上からでも監視しているのだろう。スカイの若者達の目がなければ、澪斗はそちらへ睨みつけたい気分だった。
澪斗から事情を聞いてすぐ、真は東京に戻ってきて、遼平の裏切りの《真実》を知っているであろう獅子彦に連絡を入れた。そして駆けつけてみれば案の定、というわけだ。
怒声をあげて襲いかかってきた一人の若者が引き金となり、二人と乱闘が始まる。
「俺を援護しろ!」
「あァ、後ろは任せとき」
息が合ったように銃口を、剣先を、お互いに向け合う。
刹那にして二人の位置は逆になり、互いの背後に迫っていた者を倒すっ!
真は地を蹴って澪斗を横切り、彼を殴ろうとしていた者へ。澪斗は真の後ろで鉄パイプを振り上げていた者へ。
そして接近戦になると不利な澪斗のために、真は木刀状態の阿修羅で衝撃波を放って澪斗の前方を空け、自分の死角に迫っていた者への回し蹴りも忘れない。
本来、『援護』とは敵に近づく前衛者を後衛者がフォローするための作戦だ。しかし、彼らの場合はそれが逆。遠距離戦を得意とする澪斗を、中距離戦の真がカバーするのだ。意外にも、このタッグで戦う彼らは社内でトップの実力を持つ。
「粘着性があるようだが、希紗、今回のノアの弾丸は何だ?」
『はーい、今日の弾丸は《とりもち》でーっす! スカイの人達を傷つけないように無害なモノにしたのよ。手足を狙えば、負傷無く身動きを止めるわ』
「《とりもち》……俺は今、殺し屋を名乗っておきながら《とりもち》を撃っているのか?」
すんごく複雑そうな澪斗の声色に、希紗は屋上で笑い転げていた。その音に、どんどん澪斗の顔が不機嫌に染まっていく。
そんな仲間を横目に、真はざっと若者達の気配を読む。
「希紗、スカイのやつらは今どれくらいおる?」
『私の最新メカ、《PISW》によると、半径二十メートル以内にはざっと五十人ね。このレーダーにかかれば熱によって生体反応がわかるんだから!』
「なんやえらい機械作ったなァ。英語か? ハイテクやねぇ」
『命名したのは私だけどね! 「《ピ》ピッと《生》きてるか《死》んでるか《わ》かーるメカ」、略して《PISW》よっ!』
「……すまん希紗、さっきの言葉、前言撤回してもエエ?」
脱力しながらも、真は澪斗の死角でナイフを振り上げた若者を左手のみの突きで吹き飛ばすっ!
『スカイ』を傷つけないように、けれど遼平を追わせないように。
それが、あの仲間に出来る最後のコトかもしれないと、真は一刹那だけ空を見上げた。
「ワイは知っとるよ、東京を治そうとした青い《空》の希望を、あんたも担ってたことを」