第四章『亡友のために』(1)
「ハ〜イッ、おっはようございマース!」
いたって陽気な声が、朝の花屋『月花』に響いた。店の奥から、ひょこっと白銀の髪の少年が出てくる。
「あれー? キミはだれかナ? ボクは時雨サンに会いにきたんだケド」
「時雨さんのお知り合い……ですか?」
明らかに外人の長身の男に、純也は首を真上に上げて応対する。黄土色のマリモヘアーに灰色の瞳の、白人だ。年齢は二十代後半……といったところか。
「ん〜、まぁそうなるかナ。見ない顔だネ、キミは?」
「僕は純也です。このお店の人間じゃないんですけど」
「純也クン? どっかで聞いたコトあるような……シルバーの髪の……」
「僕を知ってるんですか?」
「フッフ〜ン、ボクはこれでも情報屋だからネン。あ、これメーシね」
そう言って外人は一枚の名刺を差し出す。そこには『情報屋ハイテンション、フェイズ・B・イゼラード』という文字が英語の横書きで記されていた。
「ボクはフェイズ。『フェッキー』って呼んでネ!」
「あ、はぁ……。それで、フェッキーさんは何のご用ですか?」
「『フェッキー』でいいヨン。コレは秘密なんだけどネ、時雨サンに頼まれテた《ロスキーパー》の情報を持ってキタんだヨ」
全然秘密にしていない様子で、面白そうにフェイズは純也に耳打ちした。純也は、自分がそのロスキーパーであることを言うべきか悩む。だが、このままだと決まりが悪いと思い、結局は。
「あの、僕もロスキーパーなんですけど……」
「えェ!? しまッタなぁ〜、報酬ガもらえなくなっチャウよ〜。純也クンさ、今の秘密にしてクレない?」
「はぁ……別にいいですけど……」
(それで丸くおさまるのか?)と純也は不安になる。なんだか自分がいけない事をしてしまったみたいだ。
「でもなンデ《ロスキーパー》のキミがここにいるのかナ? 純也クン……あぁ、そーいえバ情報の中にあったナ。確か、最近ロスキーパーに入った子だよネ」
「はい、僕はその……今ちょっと時雨さんのお手伝いをしてて……」
フェイズのテンションにやや押され気味な純也。こんなに解放的な情報屋がいていいものなのか?
「時雨サンもわからないヒトだネ〜。まぁイイや、じゃあコレ時雨サンに渡しといてくれル?」
フェイズは鞄を荒してから、一冊のパンフレットのようなモノを取り出して、純也に手渡した。表紙には『愉快なロスキーパーの全て(中野区支部対応版)』とある……なにやら限りなく怪し過ぎる。そもそもロスキーパー本人に渡していいものか?
「わ、わかりました……」
「アリガト! じゃーネ!」
そうしてまさに『ハイテンション』な情報屋は手を振りながら走り去っていった。朝の爽やかな風を残して……。
「純也さん、どうしました?」
「あ、時雨さん……。あの、フェイズさんっていう情報屋さんが今コレを渡しにきたんですけど……」
「あら、まぁ」
赤い派手なパンフレットを純也から渡され、奥から出てきた時雨は手で口を押さえて驚いた表情をする。そのすぐ後ろにいた少女はまだ眠そうに目をこすっていた。
「電子メールで、とお願いしたのですが……ご丁寧な情報屋さんですねぇ」
「いや、そーいう問題じゃないと思うんですけど!」
「どういう問題でしょうか?」
「だから……それはその……」
どう言えばいいのだろうか? 当事者だとわかりながら情報を渡してしまう情報屋はまずいだろうとか、それを知ったら焦って奪うべきだろうとか……。純也でさえ思いつく常識なのに、それが通じない。裏社会とは案外、こういう人間ばかりなのだろうか?
「実はあの日あなたが帰った後、情報屋さんに警備会社で働いている紺髪の人間はいないかと、検索をかけてもらったんです。そうしたら《ロスキーパー》の中野区支部という所にそれらしき人物がいるという情報をもらいまして……それで先日は挑戦状を出した次第なのです」
「そうだったんですか……」
結果的に自分が引き金を引いてしまった事に、純也は複雑な気持ちになる。自分さえ何も言わなければ、こんな事にはならなかったのに。
「そういえば、どうして時雨さんは怪盗なんてやってるんですか?」
「それは……スカイの資金稼ぎです。グループを保つためにはお金が必要なので」
「でも、どうして『怪盗』を?」
警備員としては不謹慎な言葉だが、純粋にそう思ったので口にする。時雨ほどの器用さなら予告状など出さなければ絶対に捕まらないだろうに。
「だって、いきなり盗まれたらやっぱり困るじゃないですか。ですから前もって心の準備をしていただこうかと」
「はあ……?」
間違ってはいないが何処かおかしいような台詞に、純也は肩を落とす。そんな理由で怪盗をしている人ってこの人ぐらいじゃなかろうか。
「でも、始めたのはここ数年なんですよね?」
「えぇ、以前は違う人間が資金集めをしていましたから。でもその人は――――」
「あねさんっ、大変です!」
いきなり花屋の店先に飛び込んできた若い男が、焦りすぎたのか足をもつらせて地面に倒れこむ。よく見れば、先日純也を追いかけてきた追い剥ぎの若者だ。
「どうしたんです、そんなに慌てて」
「アイツが! 《鬼》が帰ってきたんですっ! あねさんに用が有るって……!」
瞬間、時雨と……純也に戦慄が走る。二人とも考えていることは同じ、『何故自ら来た?』と。
そんな思考を強制停止させる、男の言葉は続いた。
「今、グループの若いやつらが揃って《鬼》に復讐しようと、集結しつつあります……っ!!」
時雨はその言葉に、思わず叫んでしまう。
「そんなっ、相手はあの遼平なのですよ!? いくら人数を集めても……殺されるだけではありませんかっ!」
「でも……でも俺達だって翼さんの仇を討ちたかったんです! 俺達の、恩人だから……」
先日はあんなにガラの悪そうだった男の声色は、素直なモノだった。それだけで、純也には過去のスカイ幹部がどれほど重要な存在だったのかを知る。
「今西エリアの裏路地にいます! 早速リーダーに報告をっ」
「……その必要はありません。私が行きます」
「時雨さん!?」
「あちらからわざわざ出向いてくれたのでしたら良い機会です、復讐を果たさせに来たようなもの。私一人で充分です」
そう重々しく言って時雨は流れる長髪を後ろで結わえた。ちょうど着物姿だった時雨は、そのまま店を出て行こうとする。
「お姉ちゃん! どこ行っちゃうの!?」
「大丈夫よ、必ず帰ってくるから。あなたはお店をよろしくね」
「うん……」
少女はまだ心細そうに頷いた。純也はよく知っている、独りにされるのが怖い眼だ。
走っていってしまった時雨を、純也と少女は見送る。少女の瞳に宿るのは孤独にされるのではないかという不安、恐怖、焦燥。
しばらく立ち尽くしていた純也だったが、やっと我に返り一歩踏み出す。早く行かなくては、もしかしたら遼平は――。
「っ?」
後ろから服を引っ張られる感覚に、純也の足が止まる。振り返ると、自分の服袖を名の無い少女が俯きながら握り締めていた。
「……でよ……」
「え?」
「あたしを独りにしないでよ……みんなあたしを置いてくの……?」
いつも強気だった肩が震えている。独りにされるのが怖くてたまらないのだろう。痛いほど純也にはその気持ちが理解できる。自分も昔、こんな表情で独りで震えていた。
純也は片膝をつき、少女の震える肩に手を置く。目線が少女と重なった。
「そんなこと無いよ、君は独りじゃない。大丈夫、ぜったいに。大切な人を信じている時、人は独りじゃないんだよ。必ず、その人と一緒にあるから……。だから、君は時雨さんを信じていてね」
「うん……わかった」
涙ぐんでいた少女が顔を上げる。にっこり微笑んで、純也は立ち上がり前へ進みだす。
信じていれば……きっと独りじゃないから。それを自分自身に聞かせるように念じながら走る。少女が昔の自分とかぶってしまった。だから、放っておけなかったんだろう。
純也は風を集めるとビルの屋上まで一瞬で跳び上がり、自分の大切な人のもとへと駆けていった。