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第九話

-科捜研第二研究棟 屋上-


 A.K.S.P.唯一にして、当然ながら日本警察最優秀の狙撃班である床野班は、屋上に展開し敵を探していた。

 その中でも、全国警察拳銃射撃競技大会において五連覇という偉業を成し遂げ、SATからスカウトされ、さらに全国の警察特殊部隊合同の訓練では一度も射撃の成績を抜かれたことのないという、まさしく日本警察一のスナイパーである床野の傍らには、先程まで旧友と会話していた携帯が置かれている。旧友の携帯は、爆発音の後にすぐ切れて繋がらなくなった。しかし床野はあまり心配をしていない。あいつは悪運が強い。何の裏打ちもされていない経験則だが、彼を信頼するにはそれだけで十分だった。

「こちら特急一上津。これより第三研究棟に突入する」

 床野は上津の声を近距離無線(Bluetooth)越しに聞き、了解と一言だけ返す。

「床野さん、何か変じゃないですか?」

 少し離れたところで、バックアップとして配置していた班員が、スコープを覗きながら話しかけてきた。その違和感は、床野もさっきから薄々気にはなっていた。

「あぁ、敵の姿が全く見えない。狙撃を警戒して窓辺に近寄らないんだろうが、それにしたって影も見えないのは不自然だ」

「こちら特急一上津。あるのは研究員の死体ばっかりだ。床野、そっちから何か見えるか?」

「ん?」

 床野はライフルの照準器(スコープ)を覗き直した。建物の窓を一つ一つ確認していくが、怪しい影は全く無い。一度目を離しかけると、その狭い視界の隅で何かが蠢いた。銃身をずらしてそちらの方を向く。だが蠢いていたのは上津達だった。

「お前ら紛らわし……」

 茶化そうとした床野の顔は一瞬にして固まる。なんと上津達が二階の窓から飛び降りたのだ。

 そして次の瞬間、第三研究棟の窓という窓が爆発で吹き飛んだ。

「なに……」

 上津の無線からはノイズだけが聞こえる。

「大丈夫か?」

 床野の呼びかけに息を切らした上津が答えた。だが音声は途切れ途切れではっきり聞こえない。床野は全神経を集中して、声に耳を傾ける。

「……題はな……やら建……全……大なトラップ……しい……認してない……ど……だ……」

 自分たちの安否報告もせず、次を確認してくるあたり無事なのだろう。ならばこちらも応えるまでだ。

「第四研究棟だ」

「……解……ら第四……棟に向……」

「了解した。よし、第四研究棟はこの建物を挟んで反対側だ。移動するぞ」

「はっ!」

 床野達は素早く銃器をまとめると、反対側への移動を始める。

 すると床野の前を歩いていた班員の一人が、床野の方に勢いよく飛ばされてきた。

「おい!どうした?」

「いや、ゲホッ……。何かが……、みぞおちの辺りに当たって……。ゲホッゴホッ……」

 駆けよってきた全員の視線が、彼のみぞおちの辺りに落とされた。何かが当たったとおぼしき場所には、白濁とした液体が付着し、防弾ベストを泡をたてて溶かしている。

「これって……、あの新種の酸じゃ……」

 他の班員がボソッと口走る。その瞬間、全員の顔からハッキリと血の気が失せた。それはこの得体の知れない物体への恐怖だけではない、どこかに奴がいるということを示しているからだ。

「とにかく早く脱げ!他はその場に伏せて周囲を警戒!」

「はっ、はい!」

 全員が伏せる中、一人急いで防弾ベストを脱ごうとしたが、焦る彼の手元は覚束ない。そうこうしている間に、酸はアンダーウェアまで溶かし、地肌に直接触れていた。

「うへぇ、なんかこれ獣臭い……」

「大丈夫……、なのか?」

「えぇ……、なんとも」

 彼は何事もなく至って普通そうに言って、装備を解いていきアンダーウェアを脱ぐと、それを使い体に付いた白濁とした液体を拭う。

 一安心といった表情を浮かべる本人や、他の班員をよそに、床野は得も言われぬ胸騒ぎを覚えていた。本当にこれで終わりなのか。ただモノを溶かすだけで。恐らくその答えは立て籠もる同期が握っている。急いで救出する理由が増えた。

 一方の彼は、解いた装備を再度身に着けると、自らのライフルを拾い上げて異常がないことを確認し、姿勢を低くして前へと進んだ。他の人間もそれに続く。

 第四研究棟側に着き、それぞれに散会してライフルのセッティングを始める。このまま何もなく終わってくれ。

 その床野の願いは間髪入れずに儚く散った。

 先ほどの班員が突然苦しみだし、そのまま俯せに倒れた。

「おっ、おい!」

 床野が駆け寄り抱き起こす。班員は全身を痙攣させ眼球上転をおこし、意識障害に陥っているようで、床野の呼びかけに一切反応しない。素人目にもはっきりと、決して良い状態ではないことが分かる。急いで救急搬送するべく、傍にいた班員に指示をだそうとすると、彼は目を覚ましフラッと起き上がった。

 その目は充血し、体の表面には血管が浮かび、何より爪が刃物のように鋭く伸びている。変わり果てた仲間の姿を見て、誰も声を発せなかった。

「うぅっ……」

 苦しそうなうめき声をあげながら、また一歩、また一歩と他の班員達に近付いていく。

 そして遂に、足が固まってしまった班員の一人に彼は襲いかかった。己の欲望を果たさんと、仲間のズボンを鋭い爪で裂こうとする。捕まった班員は間一髪逃げだしたがあえなくまた捕まった。今度は首元に食らいつこうとしている。

 捕らえられた方の班員は、完全に腰が引けてしまっていて、まともな抵抗が出来ていない。

 ここでようやく床野は我にかえり、仲間を食そうとする彼を羽交い締めにする。だが恐ろしいほどに力が強く、全く引き離せない。

 床野は何かを決意するように、大きく息を吐き二人から離れると、腰に携えたグロッグを抜き、襲いかかる彼の頭に照準を合わせた。

「床野さん……、何を……?」

 傍にいた班員が、何もかも理解できていない様子で床野に尋ねる。

「お前達は……、こいつをまだ仲間だと思えるか?悪いが俺は……、思えない……」

 ゆっくりと床野は引き金を引く。

 弾き出された弾丸は一直線に彼の頭を貫通した。彼は一瞬苦しそうな顔をして力なく倒れた。

 全てが一瞬の様な、永遠の様な時間だった。誰も押し黙って口を開けないでいる中、床野は上津を呼び出す。

「……こちら狙撃班床野だ。特急一上津、聞こえるか?」

「どうした?」

 床野の声が一瞬詰まる。上津は急かすことなく返事を待った。

「奴の発する酸には人を凶暴化させる効果があるみたいだ。気を付けろ。そして、酸に触れて凶暴化した奴は……、迷わず撃て……。以上だ」

 床野は無線を切ると、膝を打ち付けるように崩れ落ちた。膝にあてがわれたプロテクターが乾いた大きな音を立てる。

 床野は右手を強く握り床に叩きつけた。

 まるでその手に残る感触を振り払うように。仲間を助けるために、仲間を殺した、その感触を--


-第四研究棟前-


 上津は無線の向こうの苦し気な床野の声に、何があったかを察していた。邪念を振り払うようにかぶりを降って、後ろに向け突入の合図を出す。周囲を確認し一気に屋内に突入する。

 突入してすぐ、建物の奥から銃声が聞こえた。発砲音から察するに敵が持つのは自動小銃といったところか。まともに撃ち合えば短機関銃しか持ち合わせない自分たちに勝ち目はない。勝利は火力ではなく作戦に委ねられた。

 音のする方に慎重に歩を進める。百戦錬磨の彼らでも、いつどこから熊田が襲いかかってくるかわからない、この言い様のない恐怖には馴れられそうになかった。

 幸運にも何事もなく、地下へ続く階段に辿り着くと、銃声はその先から聞こえる。上津は、ハンドサインで班員に指示を送った。上津ともう四人が突入。残りの五人がこの場で後方警戒となった。

 足音と気配を消して階段を降りる。折り返しの踊り場に到達し、さらに下を確認する。地下の踊り場に二人、部屋の中に向けAK-47を撃っていた。部屋の中の様子は死角となり全く見えない。上津は数秒の思考の後、慎重策でいくことに決定した。

 腰の音響閃光手榴弾(フラッシュバング)を手にとり敵の足元に転がすと、素早く身を翻し物陰に隠れ目と耳を塞いだ。階下では強烈な閃光と凄まじい爆音が、犯人の視力と聴力を奪う。

 音と閃光が収まったを確認して上津達は階段を飛び降り、目の前にいた犯人を結束バンドで手早く捕縛した。白煙の立ち込める中、他の敵と森達を探すが見当たらない。白煙が収まると、部屋の奥の扉が開いた。

 警戒して銃を構え直したが、中から出てきたのはよく見知った顔だった。

「なんだ森か……。大丈夫だったか?」

「俺は大丈夫だが一人頭打って重症だ。早く救急車を。それと、あの酸について本部に連絡を……」

「わかった。俺は救急車を要請するから、報告はお前達で頼む」

 二人は互いに顔を見合わせて頷き、それぞれに電話をとった。

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