第六話
-A.K.S.P.本部 会議室-
杉並での熊田との戦闘から一夜明けて、緊急の捜査会議が開かれた。
「これより捜査会議を始めます。報告のある方はお願いします」
西川がよく通る声で会議の開始を告げ報告を催促すると、早速一人の男性が立ち上がる。
「捜査二班の平谷です」
元山梨県警捜査一課長の平谷は、自らも二児の父であり、この事件には並々ならぬ思いを秘めて参加していた。最近ついに買ってしまった老眼鏡をかけ、話し始める。
「昨日、稲田班が襲撃されたのを受け、我々は被害者の対象年齢を三十代前半まで引き上げ再調査しました。その結果、全国で同様の被害を受けたと思われる成人男性が多数確認され、今現在わかっているだけで、八十六名。人手が足りず正確な捜査が行えていません。そのため、この数字はまだ前後すると思われます」
平谷は手帳を閉じてパイプ椅子に座った。
予想していた以上の被害者の数に、西川は顔を曇らせずにはいられない。被害が小中学生に集中していたことから、被害者の的を絞り過ぎた。決して良い形ではなかったが、これ以上手遅れになる前に発覚したのは、不幸中の幸いとしか言いようがない。
「他に報告は?」
部屋を見渡すと奥の方で手が挙がった。
「IT班の赤橋です」
赤橋は元警視庁サイバー犯罪対策課で副所長を務めていた。その卓越したプログラミング知識は凄まじく、赤橋が陣頭指揮を執り構築した、警視庁サーバー用攻撃型防御プログラミングは、それまでにあった大なり小なりの不正アクセスを完全シャットアウト。それだけではなく、不正アクセス禁止法による検挙率を格段に上げ、間もなく政府関係各機関に導入される予定となっている。
「奴らのサーバーに興味深いものがありましたので報告します」
赤橋の指示で班員は手早くカーテンを閉め照明を消し、部屋を暗くしてプロジェクターの準備をする。
プロジェクターに映し出されたのは、鮮明な航空写真と思われる画像だった。その写真には、何やら細かく字が打ち込まれている。
「これは奴らのPC間において最重要で扱われていましたが、我々が丁寧にハッキングし盗み出しました」
何か不穏な言葉がさらりとその口からこぼれ出た気がしたが、西川が何も言う様子がないので皆押し黙り話を聞く。
「コードネームは”ゲイグルアース”。大手ソフトウェアメーカーのバーチャル地球儀ソフトの模造であることは明確です。しかし、大きな違いが一つだけ」
赤橋はパソコンを操作し、写真を拡大してみせた。先ほどまでうまく読めなかった字がはっきりしてくる。大半の捜査員が、その見えてきた文字に唖然とした。
「見ての通り、いくつかの建物の上に個人名と年齢らしき数字が記されています。我々で出来る限りのチェックを行いましたところ、記されているのは十五歳以下の男児の個人情報であるとわかりました。おそらくこれらの情報源は、個人情報をデータベース化している、近隣の店舗、学校、役所、病院等だと思われます」
昨今個人情報の保護が叫ばれ、ネットセキュリティーも格段に進歩したとはいえ、不正アクセスのツールもスキルも同様に進歩している。時に、ふんだんに時間と金と労力をつぎ込み開発のできる政府機関がハッキングや、クラッキングをそれでもされる。そんな状況下で、一般人、一般企業にそれを防げというのは酷な話でもあった。
赤橋は一度言葉を区切り、力強く続ける。
「そして何より注目すべきことは、この個人情報が記されている地域と、事件が発生している地域が合致しているということです」
この衝撃の事実に会議室がざわつく。もし万が一このことが公になれば、パニックは必至だった。西川は話し声を制して赤橋に尋ねた。
「つまり、奴らはそれを使って犯罪に及んでいるということ?」
「はい。情報が手に入っていないのか、地図が空白のところがあります。今のところはですが、そこで事件は発生していません。関連性は高いと思われます」
「これは普通のインターネットからアクセスできますか?」
「いえ、奴らがファイルとして共有しているので、それはないと言っていいでしょう。加えて、奴らのセキュリティーレベルはかなり高い。感心している場合ではありませんが、なかなかです。我々もかなり苦労してようやくハッキングできました。素人にはまず無理でしょうし、個人情報拡散の可能性は低いと言えます」
西川は椅子の背もたれに寄りかかり、額に手を当て深くため息をついた。世間への公表は絶対NGだ。それどかろか上層部への報告もしばらく様子を見た方が良いかもしれない。風見鶏なお飾りの老人たちには刺激が強すぎる。
「すみません。早く気付けなくて……」
西川の無言を苦悩と受け取った赤橋が気遣って頭を下げる。
「いえ……。貴方に責任はないわ。これくらいの可能性、私が気付いて然るべきだった……。全ては私の責任よ……、私の……」
西川は手元のコーヒーの入った紙コップを握り潰した。まだ湯気の立つ熱いコーヒーが手にかかっても顔色一つ変えない。そのまま幾ばくか思考を巡らせ、キッと赤橋に視線を向ける。
「……赤橋警視。……それを逆手にとることはできますか?」
赤橋は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐにその意を得た。もしこの短時間に、単なる思い付きでなくその結論に至ったのだとしたら、かなりの度胸の持ち主であろう。
「もっと深く調べれば可能かと。今はまだ見つけただけに過ぎないので、個人情報ハッキングの方法やパターンが分かれば、ファイルにダミー情報を上書きして誘き出すこともできるかと思います」
「わかりました。では引き続きお願いします。他には……」
部屋を見渡すが挙がる手はない。
「ではこれで捜査会議を終わります」
静まり返った部屋に椅子を引く音だけが響く。西川の剣幕に気圧されたのか捜査員達は誰も口を開かずに会議室を後にした。
部屋には西川と徳屋が残る。
「……あまり、気にしすぎると体が持ちませんよ」
徳屋は新しく淹れ直したコーヒーを差し出す。インスタントだが淹れたてゆえの良い香りが立ちのぼる。しかし西川は受け取りもせず立ち上がり、徳屋に向き合う。
「悪いけど、私はそんな無責任な人間にはなりたくはないの」
西川は徳屋をきつく睨み付け、部屋を出ていった。入れ違いに、一人の男性が入って来くる。
「無責任な人間……。あれは私のことだったりするのかな……?」
「野澤警視監!警備局長の警視監が一体こんなところでどうなされたんですか?」
徳屋は、相手が自分の古巣を統括している二階級も上の人間だということも忘れ、露骨に怪訝な表情を浮かべる。
「いや何でもない。ただ、様子を見に来ただけだ。これだけ派手にやられていれば警備局としても黙ってはいられん。それにしても、部下に嫌われたものだ……。彼女には目をかけてやったというのに……」
「お気持ちお察ししますが、今は……」
「冗談だよ。そう、冗談だ……」
そう言って野澤は軽く笑い、部屋を去っていった。
徳屋はいつまでもその背中を不思議そうに見つめていた。