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第四十九話

-東洋貿易 港湾管理棟屋上-


 屋上で西川達を待ち受けていた熊田は、どこか澄ました様子で屋上の縁に佇んでいた。西川を除く全員が一斉に銃を構える。その様子を見た熊田は、品定めするように西川のことを真っ直ぐ見つめてから、ゆっくりとその口を開いた。

「あんたがこいつらのトップか?」

「えぇ、A.K.S.P.指揮官の西川よ」

「ようやく顔を見られたな。まさか女だとは思わなかった……」

 熊田は小馬鹿にしたように口の端で笑う。

「それはご期待に沿えなくてごめんなさい。それとその言葉、そっくりそのまま返すわ」

 その予想の斜め上を行く言葉に、会話の中心だった二人と徳屋以外が一様に怪訝そうな、それでいて驚いたような表情になる。

「それは……、どういう……」

 開葉がかろうじて疑問を口に出す。

「そのままの意味よ、こいつは女なの」

 熊田は微動だにせず、否定も肯定もしようとはしない。

「落ち着いて考えれば当然の結論よ。あんな未知のバクテリアと共存してるんだもの、同じく未知の生物でなければ、科捜研の見立て通り発症の可能性が無い女と考えるのが自然じゃない?」

「そんな……、まさか……」

 森がうわごとのように呟く。自らの足元が崩れ去るなんてものではない、立っていた場所が実は霞の上だったと言われたようなものだ。全く見当違いの前提の上に立ち、捜査を進めていたことになる。

「それに、私達が奴を男だと判断したのは、愛知抗争で撮影された顔写真と、通っていた高校の生徒名簿の顔写真が一致し、さらにその名簿とそこから導きだされた戸籍に男とあったから。けど、誰か奴が生物学的に男だという決定的瞬間を見た?」

 西川の問いに答える者は、答えられる者は誰一人としていない。そんなもの確かめる必要も感じていなかった。

「襲われた子達も口を閉ざすか、熊田に襲われたとしか言ってこなかった。それもそうよね、自分をめちゃくちゃにした当の女によってたかった問い詰められたって、誰が味方かわかったもんじゃない」

 これには聴取班の全員が頭を抱えた。緒賀に至っては顔から血の気が失せて今にも倒れそうである。あの子たちが怯えていたのは、熊田のせいでも、警察官に囲まれたせいでもなく、自分たちのせいだった。職務で命ぜられたこととはいえ、自分たちがあの子たちの傷を無自覚に抉り続けたことには変わりない。過剰なまでの責任感は、今までのすべての行いを刃に代えて自らの心につきたてた。

「そうでしょ?とはいえ戸籍を一から弄るには労力がかかりすぎる。きっと戸籍にあった本物の彼は恐らくもう……。私の推論はこんな感じだけど、違う?」

 今度の問いは熊田に投げ掛けられる。

「ご名答……」

 答えた熊田の声は、さっきまでの低くこもったような声から、若い女性の声へと変わっていた。

 そして左手で右手を掴むと、勢いよく引き抜いて投げ捨てる。コンクリートの床の上を転がる毛にまみれた右腕、その右腕があった場所には細く白い腕がぶら下がっていた。左手も同じように引き抜き投げ捨てる。やがて露になったそのしなやかな両手を顔にあてがい、その皮を一気に引き剥がした。

「本当に……、女……」

 開葉を始め、各班長はあまりのことに呆気にとられ、目を丸くするばかりである。

 それもそのはず、白日の下に晒されたその素顔は、蒼い眼に短い金色の髪で、端正で美しい女性のものだった。西川は相変わらず一切動じた様子もなく続ける。

「……その顔からしてやっぱり北の出身なのかしら?」

「えぇ、そうよ」

 彼女はあっさりと答えた。表情や口調から察するに、どうやら嘘ではないみたいだった。

「詳しく話聞かせてもらえる?」

「良いわよ別に、今さら無駄な抵抗する気なんて無いし」

 そう言って彼女はゆっくり話し始めた


 ――最初はただの遊びだった。まぁ憂さ晴らしとも言うかもね。小さな男の子って可愛いじゃない?だから本来の任務が始まるまで少し遊んでたのよ。

 とは言え、私は素顔を晒け出している訳にはいかない、そこでちょっと戸籍を借りてメイクして歩くことにしたの。別に彼を選んだことに深い意味はないわ。ま、彼にとってはそんなことで選ばれたんじゃたまったものじゃないでしょうけど。

 でもお陰様で背はあるから、化けるのに一番困る身長は何とかなったわ。詰め物して体格良くして、ついでに性別まで変えたらかなり化けるんじゃないかって。それがだんだんとやり過ぎたんだけどね。

 そして本来の任務が始まった。その腕、雇い主から直々に送られてきたの。そして中に仕込んである液体を撒いて、その効果を確かめるのが仕事。……ただそれだけのはずだった。けど気付いたらこんな戦争ごっこみたいな茶番に巻き込まれてた。噂じゃ傭兵集団が東京で暴れまわって、その鎮圧のために協力という名で事実上の侵攻を本国が企ててたって話よ。

 まぁ私みたいなフリーランスの小遣い稼ぎには、入ってきただけ奇跡な情報だから真偽は定かじゃないけど――


 彼女はどこか懐かしむように滔々と話し終えた。

「他に何か聞きたいことある?」

「そしたら一つだけ。どうしてそこまで素直に喋ってくれたのか、それだけ教えて」

「そんなの簡単よ」

 彼女は自嘲的に笑う。

「さっきも言ったでしょ?私はフリーランスだって。所詮私なんて使い捨てなの。雇い主を裏切らないのはもちろん鉄則よ。ただそれが守られるのは雇い主が裏切らないから。それなら雇い主が裏切ったらすることは一つでしょ?」

「雇い主を裏切り返す……」

「そういうことよ、本当はもっと派手に仕返したいとこだけど、もう無理そうだし」

 そう言った彼女の表情はどこか寂しげだった。

「よくわかったわ。さぁ、諦めて投降しなさい」

 手を差し伸べる西川に、女はポケットに隠し持っていた手のひらサイズの小型の拳銃を突き付けた。突きつけられた当の西川以外が浮足立ち、持っていた銃を構えなおす。

「残念だけど、この道を選んだときに死んでも捕まらないって決めたの、自分の最後くらい自分で決めたいじゃない」

 そう言うと彼女は柔らかな、それでいてどこか薄ら寒い笑みを浮かべ、その体をふわっと浮かせ屋上から姿を消した。

「バカ……」

 西川の声と重なるように鈍い音が辺りに響く。全員が屋上の縁に駆け寄り下を覗き込むと、機動隊員らに囲まれて無惨な姿で横たわる彼女がいた。


-警察庁 長官室-


 捜索を終えた西川は、そのままの足で警察庁へと向かった。

 軽いノックを二度したものの、中からの返事は待たずに扉を開け中に入る。一人書類を捌いていた長官は西川を見るなり表情を明るくした。

「いやぁ西川君、今回は大変お手柄だった!被疑者死亡という結果は非常に残念だったが、それ以上に君の功績が大きい!一時は君の失態をキツく叱責してしまったが……」

「長官」

 一気に捲し立てる長官を冷たい声で遮り、西川は懐から一枚の紙を取り出して突きつけた。

「刑法第八十一条外患誘致罪で逮捕状が出ています」

「な、何を突然そんなバカげたことを……」

「見苦しく言い逃れられると面倒なので、これで如何ですか?」

 西川は机の上に写真を数枚並べた。そこには長官と共に熊田に化けていたあの女性が写っている。

「一国の警察機構の長が、国際指名手配犯と密会していただけでも問題ですが、彼女にはもう一つの顔がありました」

「もう一つ、……あの女はただのテロリストではないのか?」

 長官は立っているのもやっとといった状態で、事実を否定することも忘れ、むしろそれがある種の自供になっていることにも気付かず、声を震わせながら西川に尋ねる。

「確かにアメリカでのテロ行為を理由に国際指名手配されていましたが、本当の顔はロシアのスパイです。もっと分かりやすく言ってしまえば、彼女は今回の一連の事件の斥候だったのでしょう」

 もはや長官の顔に血の気はない。もはや死人の様だった。

「私はただ……、あのテロリストを日本で裁くために……、それで公安に泳がせて……」

「犯罪人引き渡し条約ですか」

 西川は腰に手を当てあきれたように吐き捨てた。

「私はあの女が国内で何かすると思って……、もし国内で政治的犯罪に絡めば日本だけの手柄に……、私の経歴に……」

「そのくだらない手柄と経歴のために何人が死んだ?」

 とどめだった。長官はストンと椅子の上に崩れ落ちる。

「長官、あなたを逮捕します」

 西川は力無いその手に手錠をかけた。

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