第四十四話
-川崎市 市立川崎病院-
川崎に次いでの規模だった福岡の毒島組事務所。
その摘発陣頭指揮を執っていた徳屋の耳に届いたのは、西川が撃たれたというにわかには信じ難い情報。それを受け、徳屋が緊急帰京し病院に駆け付けると、ちょうど西川が手術室から集中治療室に移されるところだった。徳屋は手術室から一緒に出てきた、複数の医師のうち一人を呼び止めた。
「A.K.S.P.の徳屋です。西川警視長の容態は?」
「弾丸は腹部左を貫通。腎臓を激しく損傷したことによる大量の出血があり、搬送時はかなり危険な状態でしたが今は落ち着いてます。まだ容態の観察は必要ですが、もう大丈夫です。峠は越しましたよ」
「そうですか……。良かった……」
医師は徳屋に向かい軽く会釈をし、奥の集中治療室へと歩いていく。徳屋もそれに続いて一歩踏み出したが、何かをこらえるように強く下唇を噛んで、踵を返し病院をあとにした。
-A.K.S.P. 会議室-
一斉摘発から一夜明け、ようやく全員が帰京し捜査会議が開かれた。
「これより捜査会議を行う。まず始めに銃撃された西川警視長の容態であるが、手術は無事成功。先程病院より意識も回復したとの連絡が入った」
強張っていた全員の顔に、自然と安堵の笑みが浮かぶ。しかし、生死の境を彷徨う様な大怪我からわずか一晩で意識が戻るとは、いささか恐ろしくもある。
「では次に今回の摘発の報告を。まず押収武器の報告を虎藤さん」
「はい。押収されたのは拳銃五十二丁、機関拳銃十丁、自動小銃七丁、弾丸千八十二発。加えて福岡の事務所の倉庫からは手榴弾十九枚、対戦車擲弾発射器三基、対戦車擲弾三発を押収しました。一部中国製の劣化コピー品が混ざっていましたが、大半が旧ソ連製のいわゆる純正品で、中国製を独自に、旧ソ連製を熊田経由で密輸したと思われます。現在、押収した資料と逮捕者の供述をもとに捜査を継続中です。」
虎藤は静かに席に着く。熊田のグループは売るほどの純正品武器を持っている。つまりそれだけの量の兵器を輸入する独自のルートを確保し、なおかつ自分のとこには十全に武器弾薬が貯留されているということだ。徳屋の心の中には、これが本当に警察が相手すべき案件なのかという疑問が、少しづつではあるが着実に膨らんでいた。
「次、押収薬物について平谷さん」
「はい。押収した薬物は乾燥大麻五kg、合成麻薬MDMA六千五百二十錠、これは密売用で、事実上の資金源だと思われます。またコカイン、ヘロインも見つかりましたが、いずれも微量で、個人所有物からの発見でしたので、構成員が使用目的で個人購入したものとみています。以上」
正直この薬物についての報告にはあまり重きを置いていなかった。A.K.S.P.自体は当然武器の出所が知りたいだけだったが、かねてより内偵を進めていた各地の組対や暴対からやるなら薬物も併せてと依頼があったのだ。
「次、逮捕者について稲田さん」
「はい。銃砲刀剣類等取締法、麻薬及び向精神薬取締法違反で組長始め幹部十三名、構成員二十五名を通常逮捕。現場での捜査員に対する公務執行妨害で構成員三十七名を現行犯逮捕。……捜査員へ発砲し重傷を負わせたとして殺人未遂及び銃砲刀剣類等取締法違反で構成員一名を現行犯逮捕。……以上」
稲田は最後の一文を険しい顔で読み上げた。その場にいた全員が厳しい表情でそれを聞いた。
「……他には?」
中田が手を挙げた。
「西川警視長を撃った男が持ち去ろうとしたスーツケースの中身について報告があります。あのスーツケースの中には、一種の報告書のような書類が入っていました。内容としては、熊田から購入した武器の密売履歴です。それによると、複数の過激派団体や、テロの危険性がある組織等へと武器が流れていたようで、直接交渉を嫌った熊田が毒島組を仲介させていた可能性もあります」
「共闘されたら厄介だな……」
徳屋は腕組みをして考え込む。熊田の事件が発生してからというもの、共闘、便乗は常に恐れられていた。また今回のように何らかの理由で熊田らにつながる可能性の両方を考えて、公安、外事、公安調査庁、防衛相情報本部、内閣情報調査室がマークしていた目ぼしい団体は全て潰してきた。しかしそれもあくまで目ぼしい団体でその全てではない。人員も予算も有限な中では優先順位がつくのはやむを得ないが、この潰し残しが悪いほうに作用しないかが気になるところではある。
そしてそれより問題なのは、こういった団体にも所属していないパターンである。すなわち昨日の一般人が今日のテロリストになる場合だ。鬱積した社会への不満と、誰とでも繋がれる発達しすぎたネット社会が、容易にテロリストを生み出すようになってしまったのだ。こればかりは各諜報部も対処に限界がある。
中田はさらに話を続けた。
「この書類が全てなら、今のところ密売されたのは拳銃とサブマシンガンの二種で、火力も小さく警察力で対処可能かと」
「なら早めに探りを入れて摘発した方がいいな。他は?」
徳屋が部屋を見渡していると、勢いよくドアが開いてスーツ姿の男達がぞろぞろと入ってきた。
「指揮官西川警視長の復帰目処が立たないことから、警察庁より新たに指揮官を任ぜられた新城だ。今からA.K.S.P.の全指揮権は私に移行される」
それに徳屋はすかさず食って掛かった。
「待ってください警視監。西川さんの不在の間でしたら私が……」
「これは上の決定だ。君には補佐官を続けてもらうつもりだが、あまり刃向かうようなら降りてもらう」
新城の妙な言い回しに徳屋は引っかかった。
「……君には?」
「あぁそうだ。これより先の捜査は警察庁、警視庁が仕切る。それ以外の者は通常業務に戻れ」
ざわつく会議室で前列に座っていた谷中が立ち上がり詰め寄る。
「ふざけないで。被害者がいるのは東京だけじゃないの!」
「そう言って貴様らを混ぜた結果がこの様だろ!これは国家を巻き込んだテロだ!貴様ら田舎者の出る幕ではない!出ていけ!」
新城に殴りかかろうとする谷中を必死に班員が止める。
「参加したければ察庁にこい。もっとも、地方に下って燻ぶってる様なお前たちには無理な話だがな……」
「この……」
「帰りましょう。谷中さん」
谷中の横に立ちスッと制したのは緒賀だった。
「神奈川県警の出向者集まって」
緒賀の回りに十人の男女が集まる。
「今日から私達十一人が神奈川県警の対熊田専従捜査班よ。こんな本部……、くそくらえよ」
緒賀はいつになく険しい顔つきで、自分のA.K.S.P.の警察手帳を床に叩きつけて部屋を出た。呼び出された十人もまるで決別の通過儀礼のように警察手帳を投げ捨て部屋を出る。他の捜査員達も各道府県ごとに集まり、警察手帳を投げ捨て部屋をあとにした。
空いた席には警察庁と警視庁の捜査員が粛々と座っていく。
「それと、特殊部隊も警視庁SATのみで編成する」
それには上津が反論する。
「経験値が少なすぎます。A.K.S.P.だけでなく愛知の事案に臨場した狙撃班の床野警視と私の班の班員を……」
「負け犬に何ができる」
あまりにも直截な一言に思考が追い付かず、うまく言葉が紡ぎだせない。今こいつは一体何と言った。
「愛知でそいつらが取り逃がしたから今もまだ逮捕できないんだろ!」
「ふざけるな!あの時……」
上津の肩を床野が掴む。
「もういい。お前まで外されたらどうする」
「しかし……」
「お前は!」
思わぬ床野の大声に、上津はもちろん床野自身も驚いたようだった。
「お前は……、ここに残ってあの人の意志を継げ」
床野は軽く上津の肩を叩き、山地、中杉と共に、各班の警視庁以外の班員を連れて部屋を出た。
「それと、後ろの自衛隊。聞こえてるか?」
「なんだ?」
山戸が答える。もう何を言われるかはわかっていた。
「お前らにも出ていってもらう。これは戦争ではなく捜査だ。自衛隊はいらない」
「ふざけやがって……」
芝は自分の座っていた椅子を蹴り飛ばし、足早に部屋を去る。
「おい、コパイロットだけでヘリ飛ばす気かよ」
小野はやれやれといった様子で芝のあとを追った。それに続いて部屋を出ようとする真田と山戸を班員が止める。
「本当に出ていくんですか?」
「当たり前だ。ここにいる理由はない」
真田が冷たく言い放つ。それに山戸が続ける。
「俺達が参加に同意したのはあの人が指揮官だったからだ。だがあの男では無理だ。君達の命を無駄にしかねん」
「しかし……」
「これは命令だ!総員撤収用意!」
自衛隊員達は苦虫を噛み潰したような顔で部屋から走り去った。
結果残ったのは、徳屋と仲間を含めた捜査員六名と、上津を含めた特殊部隊員三名。
「よし。ではこれより今後の指示を出す。警視庁の捜査員は都内で、警察庁の捜査員は東京を含め全国で敵アジトの捜索、割り振りは今配布している資料の通り。それと、あちこちの施設に張り付けている公安を通常業務に、機動隊を山狩りに割り当てる」
徳屋は新城の話に割って入った。
「ちょっと待ってください。それではテロの予防と即応に不備が……」
「それでも君達はテロを防げなかった。違うか?」
違う、あれは特別だったといいかけて言葉を飲み込む。それは言い訳に過ぎず、西川はそれを一番嫌っていた。
「ではせめて熊田と繋がりがあるかもしれない団体の捜査を……」
「必要ない。さっさとアジトをあげるだけだ。以上!解散!」
――そしてこの一ヶ月後、事件は起きた。