第四十三話
-川崎市 川崎駅-
深夜零時過ぎ。
立て続けに起きた凶悪なテロ事件に、ようやく日本人の眠っていた危機感が目を醒ましたのか、いつもなら酔ったサラリーマン達でまだ混んでいる駅に人は少ない。
そんな人もまばらなホームに徳屋はいた。徳屋は誰も人の乗っていない先頭車両へと乗り込み、進行方向右手、一番前の長椅子の端に腰を下ろす。
発車のベルが鳴ると、スーツ姿の小柄でショートカットな可愛らしい女性が、一人駆け込んできた。女性は徳屋と同じ長椅子の逆の端に座る。やがてドアは閉まり、電車はゆっくりと動き出した。
「……久しぶりだな。佐藤」
徳屋は真っ直ぐ前を向いたまま女性に話しかけた。
「今は鈴木ですよ。もっとも、明日からは高橋なんですけどね……」
女性も真っ直ぐ前を向いたまま答える。そこからしばらくの沈黙が流れた。次の駅についても誰も乗ってこないまま、また電車は走り出した。
「……下の名前なんだっけ?」
「いつのですか?」
「じゃあ佐藤の時」
「……確か優子です」
「あぁそうだ!そうだったな」
一人すっきりした顔をしてる徳屋を尻目に、女性はまた少しの間を置いて、それよりと言い話を進める。
「私にこんなことさせてどうするつもりですか?」
女性はそう言いながら、手に持っていた大き目の黒い鞄からA四サイズの封筒を取り出し、自分の頭上の網棚に置いた。電車の揺れに若干足を取られながら再度席に着く。その顔はどこか疲れたような、うんざりしたような表情だった。
「これが表沙汰になれば、日本警察を瓦解させる大事件です」
「表沙汰にするかは別にして、真実を追及し責任を取らせ、これを機に警察には生まれ変わってもらう。生まれ変わってもらわなきゃ困る……」
ですがと言った女性に二の句はない。そこからは、先ほどまでよりも長い沈黙が続く。徳屋は足を組み直して伸びをし、ゆっくり口を開いた。
「……すまなかったな」
「え?」
予想外な言葉に女性は思わず声が裏返る。この男がこんな殊勝な様子を見せたことは少なくとも彼女の記憶にはなかった。
「他に信頼できる人間がいないんだ」
「まぁ、事が事ですからね。私は信頼して頂けているんですか?」
「他よりましというレベルだ」
「あっ、なるほど。そうですか……」
女性は徳屋とは反対の方へ顔を向けて頬を膨らませる。別に何を期待したわけではない。ただちょっとは認めてもらいたかった、というのはおごりだったようだ。
そこでちょうど電車が武蔵小杉の駅に停まった。
「……お世話になったので出来る限り頑張りました。ですが、はっきり言わせてもらいます。二度とこんなことに巻き込まないでください。……知らない方がいいことは、確実にありますよ」
女性は一切目を合わさないまま、強い口調でそれだけ言うと電車を降りた。
徳屋はその後ろ姿を見送り、電車の扉が閉まるとおもむろに立ち上がって、女性が置いていった封筒を手にとった。封を開け、中の資料を取り出しパラパラと捲る。
「……俺だって警官じゃなきゃ感付きもしないし、調べもしなかったさ……」
徳屋は一人呟きながら資料を封筒に戻し、終点の立川まで電車の揺れに身を委ねた。
-A.K.S.P. 会議室-
早朝五時。まだ日も上らぬ時間だが、会議室には全員が集まっている。寝ずの番で車を走らせ緊急帰京した者もおり、何人かがあくびを噛み殺す。
「全員集まりましたね。では始めます。まず稲田さん、報告願います」
「はい。我々捜査三班は、全国の暴力団対策部、組織犯罪対策部と共に武器の入手ルートを追っていました。が、残念ながらはっきりとしたルートの発見にはいたりませんでした」
日本国内で武器を入手しようと考えた時に、真っ先に思いつき一番確実なのが暴力団ルートだ。中国やロシアなど東側諸国とのパイプも太く、まとまった量を取りそろえようと思えば自然とここになる。他にも個人密売人や在日外国マフィア、そしてあまり知られていないが在日米軍ルートというのも存在する。しかし大量密輸できる在日外国マフィアとはパイプを形成しにくく、個人密売人では大量輸入は不可。在日米軍では西側兵器しか手に入れられないことから、熊田のグループが独自に密輸している可能性を除けば、選択肢は一つだった。
だが、結果はやはりとも言えようか、熊田のグループが独自に密輸している可能性を示す状況証拠が出てきたのだ。
「いったんは中断しかけた捜査ですが、その後しばらく継続していると、熊田のグループから武器を買い取っている団体を発見しました。それが、お手元の資料にある広域指定暴力団"毒島組"です」
全員が一斉に手元の資料を捲る。そこには毒島組の概略等が記載されていたが、日本最大級の暴力団である。内容は警察官であれば今さらと言いたくなるようなもであった。
「また、科捜研、及び清川村襲撃事件の犯人グループ内に、同暴力団の構成員が含まれていることがわかりました。このことから、武器密輸、密売の見返りに、構成員の提供を行っているものと見られます」
稲田は手帳を閉じて席に着く。
「これを受け、我々A.K.S.P.は全国の暴対、組対と合同で、毒島組の主要事務所を一斉摘発します。場所は新宿、川崎、札幌、大阪、福岡の全五ヵ所。着手は午前十時。割り振りは手元の資料の通りです。以上。解散」
西川の号令でそれぞれめいめいに動き出し、全国各地へと出発した。
-川崎市 川崎区-
駅前の繁華街の直ぐ近くに、黒塗りの高級車が並ぶ一角がある。地元では知らない者はいない、いわゆる"ヤクザ屋さん"の集まりだ。そのさらに外れの駐車場に、ちょっとした人だかりができていた。
西川達だ。
西川を中心に稲田班、中田班、仲間班、そしていつもの小銃ではなく、九mm拳銃と神奈川県警警備部から借りたケブラー製の真っ黒な盾で武装した真田班。さらにその外側を神奈川県警の組織犯罪対策本部の捜査員二十名と、木月の第二機動隊五十名が囲む。
「建物は地上四階、地下一階。地下には仲間班、一階は私と中田班、二階は稲田班、真田班は二人一組で各階へ。組対の皆さんは四人一班で各階へ。機動隊の皆さんは外周の警戒。犯人の逃亡阻止のみだけでなく、市民を近づけないように願います。では行きましょう!」
西川は白いブラウスの上に羽織ったA.K.S.P.の黒いジャンパーを翻して颯爽と歩き出した。それはまるで将軍を先頭にして敵陣へと乗り込む軍隊の行進のようでもあった。
事務所の前に着き、西川は腕時計を見る。
「十時十秒前……。五、四、三、二、一、着手!」
西川の合図で、先頭の真田がドアを蹴破って突入した。
「警察だ!動くな!」
真田に続いて全員が雪崩れ込み、各階へと駆け出し散開していく。中にいた暴力団員が言葉も態度も荒々しくそれを止めようとするが、より猛り狂う捜査員の前では濁流を前にした小岩のごとく、止めることはおろか流れに逆らうこともできない。よりにもよって先頭は機動隊員以上に強力な自衛官、特殊部隊員だ。喧嘩や乱闘がせいぜいの暴力団員では相手になろうはずもない。
西川は一階のソファーに座っていた、体格のいい初老の男の前に仁王立ちした。迫力は互いに互角だが、風格は年の功で男の方が一枚上手そうだった。
「組長の毒島だな」
「あぁ、そうだ」
毒島は高圧的に迫る西川に対して小動もせず、鷹揚に構えていた。
「銃砲刀剣類等取締法違反、麻薬及び向精神薬取締法違反について逮捕状と家宅捜査令状が出ている。そこ動くな!」
西川はパソコンを触ろうとした男を見逃さず、指摘された男は組対の捜査員に取り押さえられた。
「私達は普通の警察じゃないの。大人しくしないならその頭撃ち抜いたって構わない」
「おぉ怖い、怖い」
毒島がわざとらしく肩をすくめてみせる。
「テロリストから武器買ったでしょ」
「……ふん、それが目的か。じゃあヤクは別件じゃないのかね?」
逃げる訳でもごまかす訳でもなく、ただ西川をからかい品定めするようにわざと話題をそらす。
「買ったでしょ」
「知らないね」
そうは言った毒島だが、一瞬目が泳いだ。西川はその視線の先を横目で追う。
「……中田さん。私の後ろのスーツケース調べて」
「えっ?」
「早く!」
中田がスーツケースを調べようとすると、近くにいた男が素早くそれを引ったくって、窓を突き破り外へ逃げ出した。
「待ちなさい!」
西川はすかさず後を追って走り出す。それに中田と真田が続く。
男は事務所から少し離れた所に停めていたワゴン車に乗り込もうとしたが、行く手を五人の機動隊員に塞がれた。
西川は思わず立ち止まった男を引きずり倒し馬乗りになる。そしてジャンパーのポケットから手錠を出し、男の腕にかけようとしたその時だった。
鋭い銃声が辺りに響き渡り、西川は背中から激しく血飛沫が吹き上げ、ゆっくりと崩れ落ちた。
男は覆い被さるように倒れた西川の下から這い出ると、銃を乱射しながらさらなる逃亡を試みる。しかし、あとから追いかけてきた真田に太股を撃ち抜かれ、銃を落としてのたうち回った後、機動隊員に取り押さえられた。
「西川さん!」
中田は西川を抱き起こし、傷口を強く押さえる。
「真中さんに……、逮捕の時が一番危険だって……、教わったのに……、油断しちゃった……」
「喋らないでください、傷口が開きます!」
中田は傷口を押さえる手の力を強める。しかし出血は止まることをしらず、その手の隙間から止めどなく溢れ続けた。それはまるで西川の魂が体から漏れ出ていくようだった。