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第四十話

-東京国際空港 国際線出発ロビー-


 あれからさらに二十分の時間が流れ空港署員の他に、品川区勝島から第六機動隊と所属の銃対が臨場し、ジュラルミンの大盾を手に隊列を組んで店を包囲していた。その後ろでは、警視庁SITも突入部隊と共にいつの間にかやってきていて独自にミーティングを始めていた。辺りは事件発生からほんの三十分足らずで、誰が見てもわかる立てこもり現場の図となり、本格的に物々しくなっていた。

 赤橋はその包囲網に言い知れぬ不安を覚えていたが、それは単純に今回の犯人がかつての部下だったからか、それとも何か別に由来するのか判断ができずにいた。そこへ、新たに五人の捜査員が臨場する。

「すみません、中津さん。遅くなりました」

「やとかときたな」

「全く、誰を呼んだんです……、か……」

 赤橋が振り向くと、そこには――

「矢口さん!一体、どうして?」

「いや、中津さんに呼ばれて……。自分じゃ関東人に言葉も通じないし、FBIで研修したあんたの方が適任だ。って……、言われた気がする」

 そう言って矢口は遠くを見つめ、その後ろで班員達が苦笑いを浮かべる。

「あぁ……、何言ってるかわかんないですしね……」

 赤橋はようやく理解者を得られたような気がして少しほっとしていた。もっとも、実際のところは他の東北地方からの派遣者の中でも中津は訛りが特に強く、皆が一様に対応に苦慮していたりする。

「とにかく、警視庁SITにもこっちに指揮権を譲るように言ってきたし、全力を尽くすまでよ」

 矢口はちらりと警視庁SITの方に視線を向けた。赤橋もちらりと様子を窺うと、確かに先ほどのミーティングから大きな動きはない。もしかするとあれはミーティングではなく、A.K.S.P.の後方支援に回される苦情を隊員が部隊長に進言しているだけなのかもしれない。

 赤橋は視線を戻すと矢口は低めのヒールの音を高らかに響かせ、土産物店を包囲する機動隊員の前に歩み出た。

「A.K.S.P.の矢口って言います。結城さん!少しお話しませんか?」

 ここで、ようやく結城が口を開いた。

「……帰ってくれ……」

 それはまさしく蚊の鳴くような声で、決して静かとは言えないロビー内であり、距離がまだある矢口の耳までには届かなかった。思わず即座に聞き返すと、今度はさっきよりもいくばくか大きく、意思のある声が聞こえた。

「……頼む、帰ってくれ!」

「生憎だけど、それはできないわね。貴方は人質をとっている上に、拳銃まで持ってる。そんな人間を野放しにできないってことは、警察官の貴方ならよくわかってるでしょ。せめて、人質の女性だけでも解放してくれない?」

 矢口が優しく問いかけるが、結城の態度は変わらない。

「ダメだ……。できない……」

「なぜ?」

「……そんなことしたら……、殺される……」

 矢口は大きく深呼吸し、焦らないように心を落ち着ける。焦らずにゆっくりと心の距離を縮めていく。

「どういうこと?」

「……それは、言えない。……言えば殺される。僕も、貴女も……」

 矢口は一つ収穫を得た。結城は矢口のことも案じた。つまり、少なくとも矢口は敵にカテゴライズされていない。少なくとも殺されてほしくはないと思っている。だとしたらこの気を許してる今が、懐に入り込むチャンスだ。

「なら、私にだけ教えてくれない?」

 声は出さずとも戸惑う気配を感じつつ、矢口はおもむろにスーツの上着を脱ぐと、床に置いた。そして、付けていた無線機と拳銃、手錠に携帯までをも外してこれも床に置いた。さらに、着ていた防弾ベストも脱いで床に置く。

「これ以上は勘弁してね。一応女の子だし……。まだ信じてくれない?」

 かなり若い見た目ではあるが、まもなく四十で女の子は若干心苦しい。だがこの場違いな言葉選びは、凍り付き固まってしまった空気を弛緩させるきっかけに過ぎない。矢口は勝負に出たのだ。勝てば懐に飛び込める。負ければただ犯人を刺激しただけで、どこを撃ち抜かれてもおかしくはない。清川村での傷が疼いた。

「……信じて、いいんですね……」

 賭けは勝ちだった。

「もちろん。私を信じて……」

 とは言ったものの、一つ隠し事をしていた。矢口はその長く美しい黒髪の下に、Bluetoothを忍ばせ、携帯を通じて西川に電話を繋いでいたのだ。矢口は髪が大きく揺れないように、それでいてただ緊張しているように装いながら、ゆっくりと歩いて店に向かう。

 店内に入ると、店の奥で棚に身を隠し、女性の人質を抱えて座る結城を見付けた。矢口は結城と一mくらい離れたところに腰をおろす。

「こんにちは。体調は大丈夫そうね。君も、貴女も……」

 矢口が顔を覗きこむと、人質の女性は小さく頷いた。パッと見たところ外傷は見当たらず、顔色も悪くはないが、確実に衰弱はしている。一刻も早く解決しなければならない。そんなことを矢口が考えていると、結城の方から話しかけてきた。

「不思議な方ですね。貴女は……」

 予期せぬ問いかけに一瞬焦りながらも、平常心で話を聞く。

「何で?」

「僕が凶悪犯……、特に、愉快犯なんかの異常者だったら、今頃一発で撃ち殺されてましたよ……」

「貴方はそうなの?」

 あえて素直に聞き返してみる。結城は目を丸くして矢口の方を見た。

「少なくとも私には、貴方が異常者には見えなかった。だから私はここでこうしてる」

「やっぱり……、変わった人だ……」

 結城は口元に優しい笑みを浮かべる。単に気が緩んだというよりは、きちんと心を許したといった様子だった。矢口は話を進める。

「ねぇ、どうして立て籠ったりしたの?」

「殺されると思ったから……」

 結城は頭を抱える。一体誰にだ。事前の簡易報告によれば、最初に接触したのは空港署の制服警官だったはずだ。

「殺される?日本のお巡りさんは突然撃たないわ。それこそ貴方がよく知ってるでしょ?」

「でも!あの人の手下なら、適当に理由を付けてきっと!」

 矢口は興奮しだした結城をなだめる。

「落ち着いて。あの人って誰?熊田のこと?」

「違う!……けど、言っても信じてくれないし、言えば絶対殺される……」

 結城の声が恐怖に揺らいだ。

「私は貴方を信じてる。さっきも言ったでしょ?だから私はここでこうしてる。お願い、誰なのか教えて。私達が貴方のことを絶対に守るから」

「無理だ!無理に決まってる!全ての警察官が手下になりうるんですよ!」

「ねぇ……、それ、どういう意味?」

 矢口に鋭く聞き返され、結城は明らかにしまったという顔をした。何としても聞きださなければならないが、ここで強引さを向けるのは結城にではない。

「私と二人きりでも言えない?」

「えっ?」

 矢口はさっと立ち上がると、店の外に歩み出た。

「この事件はこれより完全にA.K.S.P.矢口の権限下に入ります。警視庁所属部隊、及びA.K.S.P.各班は直ちに撤収、機動隊は警戒線を後退させてください」

 矢口の言葉に、全員が半信半疑で態度を決めかねていると、警視庁を介して西川から撤収命令が下った。ぞろぞろと警官隊が後退していくのを確認していると、背後から一発の銃声と鋭い悲鳴が聞こえた。慌てて振り返ると、店のカウンターの中に、黒いアサルトスーツを来た人間が立っていた。手にP228を握り、腕には警視庁SATのワッペンをしている。そしてその隊員は矢口と目が合うと、奥の従業員出入口から去っていってしまった。

「何でよ……」

 矢口がふらふら歩み寄ると、店の隅で人質の女性が頭を抱えて震えている。

 そして、結城は胸から血を流して倒れていた。

「しっかりして!」

 矢口が結城を抱き起こすと、結城はうっすらと目を開けた。どうやらギリギリ急所は外れたようだったが、とはいえ決して良い状況でもなかった。

「良かった……。すぐに救急隊を呼ぶから!」

 結城は携帯を取り出そうとする矢口の手を握り、血を吐き出しながら矢口の名前をうわごとのように呼ぶ。

「喋らないで、傷口が開く!」

 矢口はハンカチを取り出して、結城の傷口をこれでもかと強く押さえつける。それでも流れ出る血の勢いは一向に収まらない。まるで血液が意思を持って体から逃げ出そうとそうとしているかのように。それを止めきれない矢口をあざ笑うかのように、とめどなくあふれ続けた。

「黒幕……、は……」

「黒幕!誰、誰なの?」

 結城の最後の言葉は血に交じり口から流れ落ちてしまった。そして静かにその目を閉じた。

「ちょっと……、しっかりしなさい!結城啓輔!」

 届くことのない矢口の悲痛な叫びは、この後救急隊が到着するまで続いた。


-立川市 A.K.S.P.本部-


 矢口は羽田から戻ると、真っ先に指揮官室のドアを叩いた。その音はいつもと違い剣呑だった。

「どうぞ」

「失礼します」

 矢口が中に入ると、相変わらず西川が大量の捜査資料を読み漁っていた。

「この度は私の不注意で、大変申し訳ありませんでした」

 矢口は開口一番に謝罪し、頭を深く下げる。西川は資料から目をあげて自らの髪をかきあげ、そして搔き毟った。

「頭を上げて。貴女が気に病む必要なんてないわ。あれは警視庁にプレッシャーをかけきれなかった私のミスなんだから」

「そんな……」

「そうなの。政治的メンツを守るべく、警視庁には警察庁ルートで早期解決への強い圧力があった。もっと私が動きを注視するべきだったのよ……」

 そう言って西川は強く唇を噛み締めた。今にも音を立てて食いちぎられそうだった。

「とにかく、貴女は通常業務に戻って。聴取してもらいたい被害者はたくさんいる」

「はい。失礼しました」

 矢口は一礼して部屋を出る。

「……黒幕。……か」

 西川は消え入りそうな声で呟いた。

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