第四話
-川崎市内 事件現場-
事件現場周辺には黄色いテープの規制線が張り巡らされていた。その中には、所轄と県警の捜査車両だけではなく、機動隊の人員輸送用の大型バスまで停まっている。辺りを見渡せば、あちらこちらに屈強な機動隊員が二人一組で立ち番をしていて、まるで抗争事件でもあったかのような雰囲気が辺りに漂う。
実際、事態はそれ以上に凶悪かつ深刻なのだが。
「ここか……」
開葉は規制線の外側に群がり黒山の人だかりとなった野次馬と報道陣をかき分けて進む。途中何かを喚きながらマイクを向けられた気もするが、開葉にとっては騒音の一つでしかなかった。気遣わしげな表情を浮かべるレポーターとは裏腹に、好奇の目でレンズを覗くカメラマン。反吐が出そうだった。
ようやく辿り着いた規制線をくぐりながら、現場にいた所轄署の捜査員に事件の説明を求めた。署員は持っていた手帳をめくり、話し始める。
「事件は今日の十五時頃発生。集団下校中だった近くの小学校の児童が襲撃されました。そして、その中のリーダーの男子児童が、下級生を逃がした代わりに被害に……」
濁された彼の言葉がその惨さを強調する。開葉が眉根を寄せて、深いため息をついてから辺りを見回す。
「……で、実際ことに及んだのはどこですか?まさかここじゃないでしょ?」
「あぁ、はい、えっと……」
説明していた捜査員も辺りを見回し、近くにあるトタン屋根の建物を指差した。
「あそこの廃工場です」
-同市内 廃工場-
廃工場の前でも他と同じく機動隊員が立ち番をしていた。
照り付ける日差しは頂点を過ぎて、若干傾きを見せてはいるものの、まだ日陰を生み出すには足りていない。それに加えて明け方まで降り続いていた雨が、高い湿度となり重装備の機動隊員を責め立てる。その過酷さは滝のように流れる汗が物語っていた。天気予報は七月並みの夏日と言っていたが、これではこれからの真夏日が思いやられるようだ。
開葉も汗をぬぐいながら廃工場に足を踏み入れる。廃工場内は外とうって変わって日が入らず、薄暗くひんやりとしていた。カビや機械油の臭いさえ気にならなければ、外よりよほど心地よくすらあった。その中をライトで照らし、所轄署の鑑識課員が鑑識作業をしている。中央の少し開けた所には、まだ乾いていない血痕が点々としていた。
一緒に付いて来ていた所轄署員がまた説明を始める。
「ここの工場は二年前まで金属加工をしていたそうで……」
「それは大丈夫。どうせ関係ないでしょうし……」
開葉は所轄署員を制し、忙しく作業している鑑識課員の一人に声をかけた。
「何か目新しいものはありましたか?」
「はい、関係あるかどうかはわかりませんが……」
鑑識課員はAと書かれた黒い立て札が置かれたところを指差す。
「そこ見てください、床のコンクリートが溶けてるんですよ」
「確かに……」
「あ、ダメです!」
開葉が溶けた部分を触ろうとすると、鑑識課員が素早く制止した。
「あぁ……。すみません……」
鑑識課員は、アルミ製のトランクからピンセットを取りだし、黙って溶けた部分に浸けて見せる。すると、ピンセットは溶け出し、みるみる短くなっていった。開葉と班員達は、まさしく目を丸くして立ち尽くす。
「こ、これは……。一体?」
「詳しく何かはわかりませんが、かなり強力な酸でしょうね。若干液体のようなものが残っていますし、そこから饐えた様な臭気がします。本件はA.K.S.P.案件ということでしたので、先ほど皆さんが乗って来られたヘリで、県警ではなく警視庁の科学捜査研究所に緊急輸送しました。結果は鑑定待ちになりますね……」
「そうですか……。他には何かないですか?」
鑑識課員はネットで覆われた頭をかきながら、ゆっくりと辺りを見回しながら立ち上がり、開葉に向き直る。
「いえ、残念ながらこれといって何も無いですね……」
「わかりました……」
開葉は苦々しそうに唇を噛み締める。
証拠はあっても手がかりがない。今急がれているのは奴らのアジトを見つけ、叩き潰すこと。しかし、愛知で偶然アジトを見つけて以来、噂はおろか、ガセネタすら入ってこない。しかも愛知では返り討ちに遇い、奴らを取り逃がしたどころか、殉職者を多数出してしまっていた。
あらゆる場面で、あらゆる事が後手に回ってしまっている。そろそろ先手を打てなければ本格的にまずい。焦っても仕方がないとはいえ、焦らずにはいられない。
「警視!」
班員に呼ばれ開葉はハッと我に返る。
「悪い……。どうした?」
「周辺の住人に聞き込みしてきましたが、不審な車や人物、今までに変わった出来事なんかも、これといってないようです」
それもいつもの事だった。細かな事件は人知れず。大掛かりな事件は何よりも派手に行われてきた。
「そうか……。とりあえず、本部に戻って捜査班の連中に引き継がせるぞ」
開葉達は現場の捜査員たちに挨拶をして本部へと戻った。
-立川市 A.K.S.P.本部-
本部に戻り指揮官室へと入ると、徳屋と西川が待ち構えていた。もっとも、待ち構えている気になっていたのは徳屋だけだったりするのだが。
「また、手がかり無しですか?」
徳屋が皮肉ったように言う。
「この腰巾着が……」
開葉は徳屋の鼻をへし折ってやりたい衝動にかられたが、悪口をボソッと呟くにとどめた。自分の理性を褒め称えたい。
「何か?」
そしてそれを聞き逃さない。やはりへし折っておけばよかったか。
「いえ。それより、関係あるかわかりませんが、正体不明の強力な酸が発見されたので、只今科捜研で鑑定作業中です」
「そう、関係あると良いわね……とにかくご苦労様でした。少し休んだら、また街頭警戒をお願いします」
西川は優しく微笑みかけると、また捜査資料に目を戻す。そのいつもの凛々しさと違う一面に、開葉は思わず頬を赤らめていたのは、内緒だったりする。