第三十一話
-西東京市 住宅街-
多摩川に男児の溺死体が浮かんだ同日午後九時過ぎ、失声症から回復した被害者の聴取に来た仲間班。しかし、被害者の男の子は仲間らを見ると完全におびえてしまい、結局は目新しい情報を得ることはなく、肩を落とし帰署するところだった。暗い車内で助手席に座る班員が口を開く。
「特に何もなかったですね……」
ただ沈黙が苦しくて何気なく発した一言だったが、仲間の表情は悔しげに歪んだ。
「そうね……、ただ治りかけた傷を蒸し返しただけ……。最悪ね……」
仲間は言い知れぬ感情に襲われ、ハンドルに拳を強く叩きつける。
より一層暗くなったシルバーのエルグランドの隣を凄い勢いで、モスグリーンのハイエースが追い抜いていった。もちろん、仲間は法定速度を厳守して五〇kmで走行している。速度違反は明白だ。
それに加え――
「仲間さん!今の車って……」
「間違いない!赤色灯くっ付けて!……飛ばすわよ」
仲間は赤色灯を屋根の上に乗せたのを確認すると、けたたましいサイレンをならしてアクセルを目一杯踏み込んだ。タイヤが甲高いスキール音を上げ、エルグランドは一気にその勢いを増した。仲間は左手で無線を取る。ナンバーまではよく確認できなかったが、あれは間違いない。
「至急!至急!聴取二班仲間よりA.K.S.P.本部!」
本部で無線を受けたのは好都合にも西川だった。これが他の人間だったら取次ぎなどでワンテンポ遅れが出てしまうとこだった。
「こちら本部西川、送れ」
「現在西東京市田無付近にて手配中の車両を発見!都道十二号を西東京消防署田無出張所方面に南下、追尾中!応援求む!」
「了解。本部からは、ヘリで特急三班を向かわせます。加えて、西東京市周辺のA.K.S.P.車両及び警視庁車両は至急応援に向かってください」
この呼びかけに近くのいくつかの部隊が応じた。
「こちら機捜四班中田。小金井から向かいます」
「こちら警視831。ただいま後方を走行中。至急向かいます」
「機捜304より追尾中各車!手配車両にあっては田無出張所前交差点左折!北上中!」
「聴取二班了解!……ならこっちが近い……」
仲間は急ブレーキをかけて素早くハンドルを左にきり、路地に入った。狭く暗い路地をギリギリで疾走する。広い通りの前で一旦停止し、再度発進しようとしたちょうどその時、目の前をあのハイエースが通り過ぎた。
「ビンゴ!……行くわよ」
まさしく目の色が変わるのを助手席の班員は見逃さなかった。車が走り出すと共に強くシートに押し付けられる。思わず班員たちは足を踏ん張り、キリスト教徒でもないのに十字を切って神に祈りをささげそうになった。車に同乗するというのは、運転手に命を預けることなのだと今更のように思い知らされる。
「……逃がさない」
ハンドルを握る仲間の手に力が入る。前を走るハイエースは巧みなドリフトで交差点を右折し都道四号に入った。仲間もそれに続いて交差点に進入する。ブレーキを強く踏んで減速させると同時に右にハンドルをきり、車が向きを変えたのと同時にブレーキを離してアクセルを一気に踏みこんだ。さっきよりも大きなスキール音が住宅街の静寂を破る。けたたましいサイレンの音と合わせて、班員達の鼓膜は既に限界に近い。
「……仲間さん、……一体どこでこんなドライブテクを?」
体を目いっぱい横に振られながら、助手席の班員が必死に尋ねた。
「横羽線といろは坂」
仲間は愚問と言わんばかりに一言短く返した。
「……走り屋……」
「何か言った?」
「いえ!何でもないです!」
これ以上突っ込むといよいよ命にかかわりそうで、班員は慌てて口を閉ざした。
「あらそう……。喋ってると舌噛むわよ!」
そう言うと仲間はさらにアクセルを強く踏み、一瞬の隙をついて前のハイエースと並走した。運転席の窓を開けて、マイクを使わず直接呼び掛ける。
「止まりなさい!逃げ切れやしないんだから早く止まれ!」
渾身の警告だったが、運転手は言うことを聞くわけがない。急ブレーキをかけてそのままバックする。明らかにタイヤではなくエンジンの方から、悲鳴のような嫌な音をさせつつ十数メートル手前の路地に入る。後続の機捜隊と自ら隊は突然のバックに緊急回避した拍子に、中央分離帯とガードレールにぶつかり走行不能となってしまった。
「野郎……」
仲間は唇を噛み締めながら、急いで車を反転させ後を追う。狭い道を紙一重の運転で進みながら、何かを決意するかのように右手でショルダーホルスターのP226を触った。
一方のハイエースは新青梅街道に出たところを右に曲がる。そして後輪が側面を見せた一瞬を突き、仲間は銃を抜いて窓から出し、引き金を引く。銃弾は見事にタイヤを捉え、タイヤはそのままバーストして粉々に散っていった。
助手席の班員は、いつか射撃の腕は贔屓目に見て並みと言ってなかったかと記憶を掘り返していたが、もっと掘り起こせばそもそもこの御仁は警備部の機動隊上がり。いかなる引き出しがあってもおかしくはない。
そしてタイヤが一つ無くなりコントロールを失ったハイエースは、道路沿いの中層ビルに頭から突っ込んだ。すると中から五人の男達が降りてきて、仲間の乗る車に向け威嚇射撃のような、ただでたらめに撃っているような曖昧な射撃をしなががら、突っ込んだビルの中に消えた。仲間は車から降りて後を追う。
「至急!至急!聴取二班より追跡中の各隊!手配車両は新青梅街道沿いのテナントビルに突っ込み停車。中に乗っていた男五人は、同ビル内に逃走。尚、全員銃器を所持している模様。要注意せよ!」
それに答えたのはよく通る温和な男の声だった。
「特急三班中杉より聴取二班仲間。このまま突入せず周囲の警戒活動に移れ」
声の印象とは裏腹に冷静かつ端的に指示を出したのは、元北海道警SAT中隊長で特急三班班長の中杉だった。
「しかし……」
「危ない仕事は野郎に任せておけばいいんだよ」
反駁する仲間に対してぶっきらぼうにそう言うと、中杉は一方的に無線を切った。
「……そういうの大嫌いなんだけどな」
仲間は近づくヘリを眺めて小さく呟き、拳を握り締めた。