第三話
-神奈川県川崎市 住宅街-
頻発する男児暴行事件に対し、全国ほぼ全ての小中学校では、集団での登下校が行われていた。だが、よくよく考えてみれば子供は子供。奴の前では的が集まっているだけであり、全くもって無意味である。
そしてこの日、また新たな犠牲者が出ることになった。
「なぁ君達、俺と一緒に来ないか?」
「でたぁ!」
突如として現れた熊田に、小さな子はリーダーである六年生の男の子の後ろに隠れる。しかし、その子もまたただの標的にすぎない。そしてまた、こういう時近くに大人はいない。
リーダーの男の子は、熊田から目線を外すことなく、必死に頭を巡らせる。学校の授業、テレビのニュース、友達の漫画、家族と見た映画、大好きなヒーローアニメ。今自分が何をするべきか、どう行動するべきかーー答えは見つかった。彼は拳を強く握り締める。
「みんな、合図したら全力で走れ。死ぬ気で走れ」
皆怯えているせいか返事はない。しかし、ここでこのまま固まり続けることほど悪いことはない。返事を待たずに強行する。
「いいな、いくぞ、せーの!」
息を合わせて一斉に散り散りに走り出した。歳も性別も関係ない。ただ逃げなければならないという本能に従って全員ががむしゃらに走った。だが、下級生を守るために幼い正義感を抱き、囮となって最後尾を走っていたリーダーの男の子が、運悪く逃げ切れずに捕まった。
「グフフ……。正義のヒーロー気取りか?」
男の子は何も言わず、鋭く熊田を睨み付ける。
「……反抗的な目だ。……食べごたえがある!」
「よ、よせ!……やめろ。……やめ。……アァ―ッ……」
男の子の悲痛な叫びが静かな住宅街にこだました。
-同市内 市立病院-
被害児童の入院してる病室の前では、所轄署の制服警察官二名と、神奈川県警第二機動隊から派遣された機動隊員二名が立ち番をしていた。お陰でその一角だけ尋常でない物々しさが漂う。廊下を行き交う患者や見舞客、看護師や医師までもが様子を窺がっていく。
そこへ、A.K.S.P.から送られた捜査員が到着した。やって来たのは、一児の母にして神奈川県警の捜査一課長にまで上り詰めた、朗らかで穏やかな表情が特徴的な緒賀千晶警視率いる聴取第一班。そして、長崎県警にて公安課長を務めていた、スポーツマン体系で小麦色の肌をした開葉弘貴警視率いる機動捜査第一班。
この聴取班には、被害児童のことを考慮して男性警察官は配属されておらず、女性警察官だけで構成されている。もっとも、それでも大半の被害者からまともに話を聞けた試しはないが。
「我々は現場周辺の聞き込みに行ってきます。緒賀さんたちは、被害児童と襲われかけた子供たちの聴取を……」
「言われなくてもわかってるわ。それより気を付けてね。アイツ凶暴らしいし、イケメン好きらしいし」
そう言って緒賀は、子供を茶化すような悪戯な笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。狙われたのはみんな男の子。どうやら極度のショタコンみたいですから、僕なんかは選外ですって。それじゃあ。おい、行くぞ!」
緒賀は班員を連れて笑って走り去る開葉の後ろ姿に、油断は禁物と厳しい表情で小さく呟いてから病室に入る。
病室の中には若い私服の女性警察官と、両親と思しき三十代後半の男女が、怯える男の子に寄り添っていた。男の子は左腕に包帯を巻いてベッドに寝かされ、その目は虚ろで焦点があっていない。
その目を見て、被害児童に共通する点だとすぐに頭に浮かんだ。緒賀ははっと我に返り大きくかぶりを振る。こんな時だからこそ、あえて捜査員は捜査員でなくならなければならない。一人の人間として、温かみをもって接しなければ。そう考えていたからだった。
ベッドの近くまで歩み寄り、緒賀はご両親に警察手帳を見せて一礼し、女性警察官を手招く。彼女は緒賀に気付き、周りに配慮しつつもわずかに表情を明るくして、小さな声で話かけてきた。
「緒賀さん、ご無沙汰してます。少年育成課から捜査一課に移られて以来ですね」
「今はA.K.S.P.っていう特別班にいるわ。あなたは今もまだ少年育成課?」
「はい、まだ少年育成課で頑張ってます」
どうやら、女性警察官の中でも子供慣れしているというのが、若さを押しのけて被害者ケアという重役に抜擢された理由のようだ。
「それより話は聞けそう……」
緒賀はチラッと男の子に目をやる。先ほどから微動だにせず、目は虚ろなまま。両親が手を握るも反応はない。これでは突然やってきた警察官に話をするどころでは当然ない。
「にはないわよね……」
「えぇ……。憔悴しきっているようで運び込まれてから今の今まで、一度たりとも口を開いていません。担当医の話では失声症の可能性もあるとのことです」
「じゃあ……、しょうがない。いくら女でも、何人も警官がいたら落ち着かないだろうし、先に一緒に襲われた子達の聴取にいくわ」
「ご苦労様です」
彼女は姿勢を正し敬礼する。緒賀もそれに応え、病室を後にした。
-同市内 市立小学校-
何の変哲のない、至って普通のどこにでもある普通の小学校に、白黒のパトカー、捜査車両、機動隊の車両、辺りに散会する大勢の警察官と、普通ではない光景が広がる。その間を抜け校舎の中に入ると、緒賀以外の独身の班員たちは、十年以上ぶりの小学校の校舎に自然と目線が動き回る。子供たちに合わせて作られた一回り小さい建具たち。下駄箱。一輪車。竹馬。保健室。懐かしいものばかり。緒賀も子供の授業参観などでだいぶ見慣れてきたが、最初はこんなものだった。とはいえ今は仕事中。班員たちを静かに注意する。
やがて辿り着いたのは会議室。立ち番をしている機動隊員に手帳を見せ、部屋の中に入る。熊田と遭遇した子供達は、親と制服警察官、機動隊員に付き添われて会議室に集まっていた。
「七人……、全員いますね」
班員が確認し、緒賀は部屋を見渡す。席に着く子供達は、皆一様に怯えた表情をしている。無理もない。まさしく今の今、彼らは得体のしれないものに襲われたのだ。緒賀達も未だ熊田と直接に対峙したことはなく、その時に竦まずにいられるかどうかは分からない。それで言えば、あの化け物を目の前にして必死で逃げたこの子達は、この子達を庇った被害児童の彼は、とてつもない勇気の持ち主である。
「早速ですが、皆に聞きたいことは二つです。まず、皆の前に現れたのは、この人かな?」
そう言って緒賀は、熊田の写真を子供達の前のテーブルに置いた。子供達は、目を背けたり、余計に怯えたり、終いには泣き出したりとまともな返事は得られなかったが、まず間違いないと言える。収拾がつかなくなる前に、班員と保護者がなだめに入った。一刻も早く捕まえなければ、この泣き顔が延々と増え続ける。緒賀は一つ息を吐く。
「……うーん、じゃあ他に変わったこととか、いつもと違うこと、何かなかったかな?」
緒賀が優しく問いかけるも、子供達の耳には届いていないようだった。今日のところはこれが限界だろう。
「……しょうがないか。それじゃあ、お巡りさん達は帰るけど、何か思い出したら話してね」
緒賀はその場にいた教員と保護者に自分の名刺を渡し、子供達が何か思い出した様子があったら連絡するように頼み、学校を出た。
聴取班、なかなか精神力が必要かもしれない。これが初陣だった緒賀は、班員に聞こえないように小さく呟いた。