第二十一話
そこには――
一人の少女がポツンと佇んでいた。
少女は十歳くらいで、黒い髪に蒼い瞳、透き通るような白い肌の上に、これまた真っ白いワンピースを着て、裏のビルの窓からこちらをじっと見ている。
だがおかしなことに、その少女の顔に一切の表情は無い。ただ黙ってこちらを見ている。
「……平谷さん……。あ、あの子……」
「残念ながら幽霊は信じない……、ちょっと君……」
平谷が声をかけると、少女は黙って踵を返して奥のドアに向かって走り出した。平谷は思わず後を追う。自分達のいる廃屋から裏のビルまで一m弱あったが、窓枠に手と足をかけると思いきって飛び移った。奇跡的にうまく着地できたが、改めて自分のやったことの大胆さに急に冷や汗が噴き出した。
「平谷さん!」
「お前達は下降りろ!遅れんな!」
平谷は体勢を立て直すとそれだけ言って走り出す。こちらのビルもすでに廃墟となっているようで、あちこちに埃が積もり、人の気配は感じられない。
少女がいた部屋を飛び出し左右を見ると、ちょうど少女が左手奥の階段を降りるところだった。
「……誘ってるつもりなのか?」
平谷は独り言を呟きながら、少女の後を追って階段を駆け下りビルの外へ出る。少女は建物の前の通りを右に十m程行ったところを走っていた。平谷はそれを見て全速力で追いかける。
しかし、全く距離が縮まる気配がない。
四十を過ぎたとはいえ、一端の警察官である。走力も持久力も一般人のそれよりは高く、少なくとも齢十歳頃の少女に負けるはずなどなかった。
だが――
「……クソッ!……何で追い付かないんだよ……」
ノスタルジックな石畳の細い路地を走り続け、次第に平谷の息があがり始める。
少女はさらに細い裏路地に入り、その一角のビルに飛び込んだ。
「はぁ……、はぁ……、ここか?」
平谷は少女が入っていったビルを見上げる。こちらも人の気配はなく、壁一面を蔦が覆い廃墟だと一目見て分かる出で立ちだった。ポケットから懐中電灯を取り出し、中に入る。
先ほどの建物よりも古くに手放されたらしく、中は不快な湿り気を帯びて、埃っぽくカビ臭いにおいが鼻を突く。そんな暗がりの中を暫し物色していると、とんでもないものを見つけた。
「これは……」
平谷の懐中電灯の灯りが照らし出したのは、ミイラ化し始めた男児の死体だった。思わず呆気にとられていたが、ふと我に返りユキナや班員達に連絡しようと携帯を出す。
しかし、携帯は力無い手から滑り落ち床に転がる。
目の前に、あの少女がいた。
「……君は?」
「……この子、私の友達なの……」
平谷は初めて耳にした少女のオランダ語が、なぜすんなりと理解できているかなどということまで思考が及ばず、ただ少女の声に耳を傾けていた。
「彼が?」
少女は小さく頷いてから続ける。
「私……、彼を死なせた犯人の持ってたもの……、持ってるの……」
「それは本当かい?」
「うん……。こっちよ」
少女はゆっくり歩き出し部屋の奥にある階段を上がり始め、平谷もその後に続いた。より一段と暗さの増した二階に着くと、そこに少女の姿はなく、部屋の奥から声だけが聞こえる。
「……こっちよ……」
声に導かれるように部屋の奥へと進み、平谷がおおよそ真ん中まで来ると声はピタリと止んだ。
「……ここ、なんだな……」
平谷は動じることなく辺りを探り始める。
そして――
「見つけた……」
平谷の足元には、今の今まで目の前にいた少女らしきミイラ化した女児が、何者かから最後の瞬間まで必死に身を守っていたらしく、体を丸めて横たわっていた。その右手は強く何かを握り締めている。平谷はその手を優しくゆっくりと開き、中にあったものを取り出した。
そこへ、遅れてユキナと班員達が駆け込んで来る。
「平谷さん!」
「遅かったな」
「それより下に男の子の遺体が、……ってこっちにも!」
「ひいぃぃ!こ、この子、さっきの女の子……!」
先ほどへたり込んだ若い班員が、またしても腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。
「みたいだな……。そうだ、これ見てくれますか」
平谷はさっき取り出したものを放り投げた。それをユキナがあわあわしながら受け取る。
「これは?」
「認識票です。戦場で身元不明の死体にならないように兵士が持つものです。その字、ロシア語だと思うんですが、わかりますかね?」
「いやさすがにロシア語は……」
ユキナは申し訳なさそうに分かりやすく萎れて元気を無くす。
「ですよね、気になさらず大丈夫ですよ。とにかく調べてみましょう」
一行は応援要請した地元警察に現場を任せ本部に向かった。
-オランダ国家警察 本部-
本部へと戻り早速ドッグタグの持ち主が検索された。
応接室に通された平谷達がしばらく待っていると、ユキナが難しい顔をしながら戻ってくる。
「平谷さん、あのドッグタグの持ち主ですが、ソビエト連邦極東陸軍テオ・ミッチェル。階級は曹長みたいですね。でも、何でこんなものが?」
「本人が持ってたか、誰かがわざと残したか……」
全員が唸り考えを巡らせるが、この程度の情報では到底答えなど出るはずもない。
「他に情報は?」
「そうでした、この人ソ連崩壊時に退官しているんです。以後行方不明……。当然当国への入国履歴もありません」
「なるほど……」
平谷は深いため息をついて、ソファーにもたれ掛かった。軋む音一つ立てずに平谷の体重をソファーが受け止める。気持ちを切り替えるように一息吐いて再度上体を起こす。
「……とはいえ、関係があるなら大きな進展です。彼と事件との関係を中心にもう少し調べたいんですが……協力してくれますか、ユキナさん?」
「もちろんです!」
ユキナと平谷達は固く握手を交わし、オランダでの捜査継続を決定した。