第十九話
-A.K.S.P.本部 指揮官室-
日本警察史において、前代未聞、最低最悪の不祥事が明かになった七夕の夜から数日後。徳屋の腹の痛みもようやく治まってきた昼下がりのことだった。静かな部屋に電話の呼び出し音が鳴る。
西川は煩わしそうに書類の山をかき分け、何とか電話機を探し出したが、すんでのところで電話は誰かにとられた。受けたのはIT班の様で、電話機に灯る子機一覧のランプのうち、IT班のものが新たに点いた。若干の徒労を感じつつ、今の今まで手にしていた捜査資料に目を戻すと、今度は内線の呼び出し音が鳴った。思わずため息を一つこぼし受話器を手にした。
「西川さん、一番に外線です」
「ん、誰?」
ぞんざいに問い返す西川に、受話器の向こうで班員が困惑した様子で口を開いた。
「……それが、オランダ国家警察の方です……」
「オランダ?」
西川も訳がわからず困惑しながら、とりあえず電話に出た。
「Hello?」
大学卒業以来まともに使ってこなかった英語で挨拶をしてみたが、ハローの一言すらたどたどしく完全にカタカナ発音になっていて、我ながら頭を抱えそうになる。
そんな西川に相手は意外な返事をした。
「もしもし?」
「……あれ?日本の方ですか?」
「はい!私、オランダ国家警察のユキナ・マリー・フランクです。正確には日系三世ですけど」
明らかに満面の笑みで話しているであろう声に、しかもきっとかなり若いであろう声に若干の胸やけを感じた。口には出さないがこういうキャピキャピした声が最近鼻につく。歳は取りたくない。気を取り直して話を続ける。
「……えっと、フランクさん?」
「ファーストネームのユキナで大丈夫ですよ」
若干気後れが増した。日本人だからか。歳だからか。いずれにせよ認めたくはない。
「あっ、えっと……、ユキナさん?……今回は一体どのような御用件で?」
「そうでした。実はですね、この間久しぶりに日本のニュースを見ていたら、例の熊田の事件を報道しておりまして、ウチで今扱ってる事件に似ているなぁと思い御電話差し上げた次第です」
ここまで聞いて西川はいつもの厳しい顔付きを取り戻した。姿勢も自然と前のめりになる。
「と言うと、そちらでも男の子が?」
「えぇ、もっとも、こちらは国内全土ではなく、首都のアムステルダムに限られていますが」
「わかりました。今日中に捜査員を派遣しますので、明日には着くかと」
「かしこまりました。では失礼します」
受話器を静かに置いて、誰を送るべきか思案を巡らせる。人員は常にギリギリで動かしていて、余力は一切ないと言ってよく、どうあがいても一班が限界だった。なので人数の心配はなく、時間的にも今本部にいるどちらを送るか、選択肢は決して多くはない。
両班から上がってきている予定表を突き合わせ、あれこれと考えているとまた電話が鳴り、またしても取り次いだIT班の班員が内線をかけてきた。
「西川さん、三番に外線です」
「今度は一体誰?」
薄々と嫌な予感を感じつつ尋ねると、班員はまたしても困惑した様子で答える。
「……あの、アメリカ連邦捜査局の方です……」
「……ってそれFBIじゃない!」
西川はさっき置いた受話器を慌てて取った。
「Hello?」
もう一度探るような挨拶をすると、またもや同じ返事が返ってきた。
「もしもし?」
「あの、えっと……、日本の方?」
「はい!私はFBI特別捜査官のマイケル・ハザード・フジモトです。正確には日系三世です」
電話の向こうで快活に話す男性はかなり若く感じられた。そんなことよりも西川は奇跡の一致にわざとらしく感謝しながらも話を続けた。
「えっと……、フ……、じゃなくてマイケルさん?今日はどのような御用件で?」
「それがですね、先日国際刑事警察機構の方から連絡がありまして……」
「ICPOからですか?」
「そうです、日本でも同じような事件があると報告が入りました」
突然知らされた国際的警察機関の介入に、さすがの西川も一瞬慄いた。しかもこれだけ被害が出ているというのにその動きは一切知らされていない。もっとも、映画や小説のようなフィクションの世界と違い、現実世界のICPOは独自の捜査員を有しておらず、どちらかといえば各国警察同士の中継役として連絡機関や協議体として機能しているため、上の方で勝手に話が進んでいて西川の手元まで情報が下りてきていなかっただけの可能性もある。そしてこのいつからか機能不全を起こしている日本警察では、その説が一番有力だった。
「……ということはそちらでも男の子が?」
「こちらはアメリカ全土合わせて百人強です。もっとも、確認できている数が。ですが」
「そうですか……、わかりました。大至急そちらへ捜査員を送ります」
「よろしくお願いいたします」
西川は再度受話器を置き、しばらくの沈黙のあと、虎藤と平谷を内線で呼び寄せた。先ほど頭に浮かべていた本部にいる二班の班長である。
「急で申し訳ないんだけど、ちょっと出張してくれないかしら?」
「えぇ……、まぁ、もちろん構いませんが、どこへですか?」
平谷が尋ねる。事件の手がかりがあれば管轄を飛び越え、全国各地へ飛ぶのは地元にいた頃から常である。特にこちらに移ってからはまさしく東奔西走で、今更突然の出張命令に特別の驚きはない。
「虎藤警視にはアメリカ、平屋警視にはオランダに行ってほしいの」
「アメリカ?……ですか」
「両方ともそういうことに明るい国ですね……」
二人は隠す素振りもなく、露骨に嫌な顔をした。二人の頭にある考えが西川には手に取るように分かった。きっと同性性犯罪者を扱ったことのある捜査員と、場合によっては囚人とあってその行動心理でも学んで来いと言われると思っているのだろう。
「行ってもらう理由は多分想像と違うわよ。実はその二つの国でも、男の子が何人も襲われているらしいの」
それを聞いて、ようやく刑事の顔になる。今度は虎藤が尋ねる。
「確実に同一犯なんですか?」
「わからないわ。だからそれを調べてほしいの」
なるほど道理であると虎藤の顔がいまさらの質問に納得したような表情になる。
「わかりました。いつ出発すれば?」
「今日、これからよ。」
平谷の問いに西川がさも当たり前のように答えた。さすがに二人とも度肝を抜かれたような顔になる。
「……えぇっ!これからですか?」
「そう。いいから荷物をまとめて班員連れて、さっさと空港行く!」
「はい!」
二人は慌てて班員を集めに部屋を飛び出した。