第十八話
-神奈川県 横浜市内-
徳屋からの無線を受けた時、仲間班は綱島の駅前にいた。
「こちら仲間班了解!これから向かいます!……もう、七夕の日ぐらいゆっくりさせてよね」
ぶつぶつと文句を言いながらも、仲間らは素早くシルバーのエルグランドに飛び乗り、商店街の裏路地を急発進する。安いアクション映画さながらに、ゴミ箱や段ボールを弾き飛ばしつつ、古本屋の前で少年を跳ねそうになりつつ、赤色灯を屋根の上に装着させ回転させながら大通りに出た。
「こちら仲間班!二十分後の現着予定!」
仲間の報告に徳屋が無線越しに答える。
「西川警視長はかなり危険な状態にあると推測できる!一刻も早い現着を願う!」
西川を案じてのことだとは分かっていても、いつにも増して高圧的な口調に反発心が口を突いて出た
「うっさいわね!こっちも必死なのよ!あんたこそ部屋に引き込もってないで向かったらどうなの?」
焦りを含んだ苛立ちをぶつけるように無線に叫んだ仲間に、意外な返事が帰ってきた。
「こっちも今向かっている!」
-A.K.S.P.捜査車両 車内-
首都高速湾岸下り線。埋立地に立つ工場群の間を縫うように敷かれ、片側三車線でまっすぐと伸びた道路は速度を出しやすく、夜中にはいわゆる走り屋と呼ばれる暴走集団がどことなく現れ、高速を上り下りと疾走している。そんな道をこの日は徳屋自らが運転するスカイラインV36を先頭にして、何台もの覆面パトカーがけたたましくサイレンを鳴らして疾走する。特急班、特戦班にヘリを割り振ったため、各捜査班は陸路での移動となった。
「こちら稲田班!まもなくベイブリッジ!」
横須賀方面から北上中だった稲田からの無線を受けた徳屋は、ヘッドセットに向かって指示を叫ぶ。
「了解!そしたら直ぐにベイブリッジを封鎖してくれ!」
「はぁ?」
稲田は簡潔かつ無謀な指示に素っ頓狂な声をあげた。
「橋を封鎖だ!封鎖しろ!」
「は、はい!」
-首都高速湾岸線 ベイブリッジ-
首都高速湾岸上り線、ベイブリッジの上で稲田班のスカイラインV35とエクストレイルが路肩に止まった。ハンドルを目一杯左にきり衝突事故の被害拡大に備えてから、念入りに後方確認して車外に出る。
「おいおい、これ……、止められるかぁ?」
稲田は時速八十kmオーバーで、次々と荒れ狂う濁流のように走り去る車の群れを眺めた。あまりの無茶な指示に力なく肩を落としたかと思うと、ふと思い立ったように車内の無線をとり叫んだ。
「ベイブリッジ封鎖できません!」
思わぬ形で小さな夢が叶い一人で恍惚としていると、無線の向こうから聞き慣れない声が聞こえた。
「心配するな」
「えっ?」
唖然とする稲田を尻目に、道路を走る車の流れがピタリと止まる。
「我々神奈川県警で橋は封鎖した」
「……えっと、どなた?」
「私は神奈川県警察本部長の真中だ」
「失礼しました!」
無線越しの相手に見えるはずもないが、思わず背筋を伸ばしてしまうのは日本人の性だろう。
「今はそんなことどうでもよい。それより大黒ふ頭に伸びる橋は金沢の第一機動隊と高速隊、交通機動隊で完全に封鎖してある。現場には木月の第二機動隊とSTS、SAT、それに水上署の巡視艇がそれぞれ向かっている。それと、こちらから海上保安庁にも協力を要請しておいた。徳屋君も聞こえているな?責任なら私がとる。なんとしても彼女を救ってくれ……」
稲田は見えないはずの顔も見たことがない相手が、深く頭を下げるのを無線越しでハッキリと感じていた。
-大黒ふ頭 太平水産ビル-
徳屋が到着した頃には大黒ふ頭の封鎖は完了しており、ふ頭内で働いていた人達は皆大黒ふ頭パーキングエリアまで避難させられていた。しかしビルの周辺は決してがらんとすることはなく、神奈川県警や海上保安庁を含め、複数のヘリや巡視艇がふ頭を包囲し、数えきれない程の機動隊員や捜査員、所轄署員がビルや車の間を所狭しと埋め尽くしていた。
徳屋が車を降りると、モーセの十戒の様に警察官の海が割れ、その向こうから先着していた仲間が駆け寄る。
「西川警視長は?」
「県警航空隊からの報告によると、屋上で拳銃を所持した被疑者に拘束されている模様!」
「よしわかった。全員よく聞け!これより被疑者確保に向かう!袋の鼠だが油断をするな!それと、人質は警察官である!しかし、万が一にも死なせてはならない!……あの人は、……これからの警察を担うべき方だ!いいな!行くぞ!」
「了解!」
徳屋を先頭にして、総勢二百人近い警官隊がビルに突入した。念のために一階ごとに警察官を割り振りながら、一気に屋上に駆け上がる。そのままの勢いで息を整える間もなく扉を蹴破り屋上に転がり出た。その後に捜査員が続く。
「西川さん!」
徳屋は西川を目にし叫んだ。
そして、西川に銃を突き付ける犯人を見て愕然とする。
「……野澤警視監……、一体、何をされて……」
「見ての通りだ。君たちの指揮官に銃を突き付けている」
そう言って野澤は薄汚い不敵な笑みを浮かべ、西川のこめかみに銃口を強く押し付けた。
徳屋は黙って腰のP226を抜く。その顔に一切の表情は無い。
「今すぐ放せ」
「徳屋警視正、撃たないで。確保よ」
西川はまっすぐ徳屋を見据える。そのいつにもまして強い視線に怯みかけたが、それで冷静になれるほど、今の徳屋は落ち着いてはいなかった。
「しかし!」
「ここでこいつを撃ったら、警察は罪を償う事すら出来なくなるわ」
徳屋は西川の剣幕に返す言葉を見つけ出せずに黙り込んだが、それでも銃を納めようとはしない。
「あんたも聞き分けのない部下を持つことがあるんだな」
野澤はヘラヘラしながら西川に突き付けた銃を握る手の力を強める。
「皆良い目してるなぁ……。こいつのどこが良いんだ?あぁっ!てめえらキャリアの大切な天下り先を片っ端から潰してんだぞ!それに、こいつのせいで何度出世のチャンスを邪魔されたことか……わかってんのか!こいつがいなきゃこちとらとっくに警視総監やってんだよ!」
「だからこんなこと起こしたって言うのか!」
どこまでも自分本位で身勝手な言い分に、加山が我慢しきれずに声を荒げる。
「あぁそうだ!こいつがいなきゃ俺が指揮官になって、警視総監へのいいステップになったというのに……」
「なるほど、それで次々不祥事を起こしたわけか。そうやって内輪揉めしてる間にな!何人が犠牲になったと思ってんだ!」
熱くなり今にも飛びかかろうとする稲田を班員達が羽交い絞めにして押さえる。
「放せ!アイツにこれ以上桜の代紋を持たせる訳にはいかねぇ!俺が!警察が!奪い返さなきゃいけないんだ!」
「安心しろ。そんなもんいくらでも返してやる……」
野澤は懐から警察手帳を取り出し、稲田の足元目掛けて投げ棄てた。
「こうなった以上警官は続けられない。だったらよ、せめて派手に恨みくらい晴らさせろや」
野澤は引き金に指をかける。
「止めろーっ!」
徳屋は咄嗟に周りの制止を振り切り飛び出した。
西川のこめかみに当てられていた銃口が徳屋の方を向き、乾いた銃声が七夕の星の輝く夜空に響き渡る。銃から弾き出された9mmパラベラム弾が、徳屋の左胸に直撃した。徳屋は身体を不自然に捻らせながら冷たいコンクリートの上に仰向けに倒れ込む。すべてがスローモーションだった。それを元の時間の流れに戻したのは鋭い悲鳴。
「いやぁーっ!徳屋警視正っ!」
感情が振り切れたように西川が叫ぶ。
野澤は撃った衝撃で腰を抜かし、西川を放して座り込んだ。
「か、確保だ!」
誰かが発した一言で捜査員が一斉に野澤に群がり、その手を捻り上げて手錠をかける。
「……嫌、そんな……」
西川は徳屋に歩み寄り、その体をきつく抱き締めた。
「西川さん……」
「……いいから、喋らないで!」
持っていたハンカチ越しに徳屋の胸に押し当てた手の力が強くなる。
「……貴女と一緒に……、仕事できて……、良かったです……」
「……何言ってんの?……これからも一緒に仕事するのよ!」
「……日本の警察を……、頼みます……」
最後の声を絞り出すと、徳屋はゆっくりと瞼を閉じた。
「……徳屋君?……ねぇ、しっかりして……、徳屋君!徳屋君!」
感極まった西川の頬を涙が伝う。頬を撫でる海風は夜になってもまだ生ぬるいのに、涙の跡だけはやたらと冷たい。そして、周りの反応もどことなく冷ややかだった。
「……何してるの?早く救急車を呼んで!」
お互いに顔を見合わせた後、海老塚が西川の目の前に押し出された。
「あの……」
「何よ?」
「いえ、何でも……」
西川の攻撃的な目と声に海老塚は後ずさり、そろりそろりと逃げ出そうとする。
「何でもじゃねぇよ!早く教えてやれって!」
周りからヤジが飛び出し、退路をヒューマンチェーンで塞がれた。
「あの!」
「何?」
「あの!捜査員は防弾ベストを着用しているため、拳銃弾程度では肋骨くらいは折れても万が一にも……、致命傷は……、無いかと……」
海老塚の声は尻すぼみにだんだんと小さくなっていった。
呆気にとられた表情の西川は、海老塚から徳屋に向けてゆっくりと視線を落としその顔を見下ろす。徳屋は西川の豊満な胸に抱かれ満面の笑みを浮かべていた。そのまま更に視線を胸に移す。確かに冷静になって見てみると、押さえている真っ白なハンカチは、未だに真っ白なままで血は一滴たりとも出ていない。むしろ一連の流れが聞こえていたのだろうか、表情とは裏腹に尋常ではない冷や汗が出ている。
西川も満面の笑みを浮かべ、徳屋のスーツと防弾ベストの前をはだけさせた。
「……本当に、……紛らわしいのよ!」
少し中指を出して拳を握り、徳屋のみぞおちに捩じ込んだ。
「ッ!……ゲホッゴホッガホッ……」
西川は冷たい眼差しで徳屋を見下ろしてから、現場を颯爽と後にした。