お手紙
今年も香りのよい綺麗な白い花が、お庭いっぱいに咲いております。
古いお邸ですが、庭園のお世話に抜かりはありません。
わたくしは、学園が夏季休暇なこともあり、庭師のグリアムと一緒に花のお世話に精を出しております。
お姉様が大好きなリリの花。
後宮の広い庭園にも咲いていればよいのですが。
学生時代から、伝説になるほどの美しさを放っていた二つ上のアイラお姉様。
それでいて性格は控えめでお優しく、お姉様はわたくしの憧れであり自慢でした。
我が家は伯爵家でありながら、曾祖父がろくでもない賭け事で財産の殆どを食い潰し、あまり裕福ではありません。
これまでお姉様を手に入れるため、お金をちらつかせた成金や好色な貴族どもがどれほどお姉さまに群がってきていたことか。
それでも、父母と兄は邪な輩をきちんと見極め、お姉様を家のために犠牲にするようなことは決してなさいませんでした。
幸せになれないと分かっているお相手に、お姉様を嫁がせるつもりは欠片もなかったのです。
それはわたくしも同じでした。
そんな大切なお姉様が、皇帝陛下の目に留まり、突如後宮に上がることになったのは、今から半年前のことです。
陛下はお姉様より十四歳年上。既に陛下には正妃と二人の側妃がおりました。
ですから、お姉様は陛下の三人目の側妃ということになります。
側妃とはいえ、没落寸前の伯爵家からは異例の抜擢。
陛下の目に留まるなど、誉れ高いこと以外のなにものでもありません。
陛下は若くして皇帝になられ、眉目秀麗、才気煥発、歴代でこれほどまでの人物はいないと謳われたお方です。
お姉様は頬を染め、「実は密かに憧れておりました」と、そっとわたくしに打ち明けてくださいました。
その姿のなんと愛らしいこと。
わたくしは「幸せになってくださいませ」と言い、笑ってお姉様を送り出しました。
けれど、実はほんの少し不安があったのです。
それは今も巷で流れている噂で、数年前から陛下は人が変わったかのように傍若無人になり、政は官吏任せ、気に入らない者は問答無用で切って捨てると言うのです。
ただの噂とはいえ心配で、わたくしはお姉様に定期的に手紙を送りました。
お姉様からはいつも同じ内容のお手紙が返ってきました。
『陛下のお傍にいられて、とても幸せです』と。
お母様は笑って、「これは完全に惚気ですね」とおっしゃいました。
ですから、わたくしは安心しておりました。
昨日、お姉様の侍女であるマチルダから手紙が届くまでは。
マチルダからの手紙には、わたくしが思ってもいないことが書かれてありました。
お姉様は後宮に入ってひと月ほどで体調を崩し、ほぼ立ち上がれない状態になっている。更に酷いことに、薬師に診てもらってはいるけれど、病名も分からず一向に回復しないと。
邸であんなにお元気だったお姉様。
後宮に行った途端に倒れ、数ヶ月もの間、はっきりとした病名も分からず回復しないなんてあり得るのでしょうか。
手紙の内容は全て正妃の側近にチェックされ、このマチルダからの手紙は、見つからないよう出入りの商人にどうにか運んでもらうとありました。
不穏な情報は、身内とはいえ漏らしてはならない決まりらしいのです。
逆に、わたくしからの手紙は内容に問題がなかったため、お姉様の元にきちんと届いていたようです。
マチルダの手紙にはそういったことも書かれてありました。
お姉さまの世話をする者は、決して彼女一人というわけではありません。
でも、彼女は特に賢く思いやりの深い侍女でした。
だからこそ、お姉様と一緒に後宮へ行ってもらったのです。
手紙を読み終え、わたくしは絶望感に打ちひしがれました。
やはり後宮は、得体の知れない怖い場所のようです。
お姉様は何か悪いことに巻き込まれているに違いありません。
わたくしは、冷静に考えを巡らせました。
そうしてお姉様を救うため、お姉様の侍女に成りすまし、後宮に入ることを思いつきました。
その考えを両親とお兄様に伝えると、とんでもないと反対されました。
もっと別の方法を考えるべきだと。
きっとわたくしの身を案じたのだと思います。
しかし、今この時もお姉様は苦しんでいるのです。
説得し続け、両親とお兄様にはどうにか分かってもらいました。
ただ、事情もなく安易に侍女を増やしたり、交代したりできるわけではありません。
わたくしはお姉様に手紙を書きました。
侍女のマチルダの身内に不幸があったため、彼女を一度家に帰らせてほしい。喪が明けた後はすぐに戻しますと。
程なくして、マチルダは我が邸に戻ってきました。
勿論、彼女の身内に不幸があったなんて全くの出鱈目です。
マチルダは後宮を出るとき、後宮内でのことを外部に漏らさぬよう強く口止めされたようですが、彼女はわたくしの意図を知り、自分が知る限りのことを話してくれました。
「お姉様は強要されて、あのお手紙を書いているのですか?」
一通り話を聞き終えた後、わたくしはマチルダにそう尋ねました。
あのお手紙というのは当然、幸せを語るお姉様からのお手紙のことです。
「いいえ、違います。アイラ様は皆様に心配をかけないよう配慮され、ご自身の意思でお手紙を書いております。それに、臥せっていても、暗い表情はしておりません。陛下も時折お見舞いに来てくださいます。私は席を外しますので、何をお話しされているのかまでは分かりませんが」
「陛下はお優しい方ですか?」
「……私には、とてもお優しい方には見えません」
マチルダは言いにくそうに俯き、答えました。
「それは、陛下がお姉様を傷つけることがあるということですか?」
彼女は左右に首を振ります。
「分かりません。アイラ様はそういったことは話してくださいません。ただ、陛下は常に苛立って、誰に対しても威圧的に話されます」
「そうですか」
やはり、巷の噂は本当なのかもしれません。
わたくしは言葉を続けました。
「マチルダ、あなたは身内に不幸があり、心労から体調を崩してしまいました。それで、戻るつもりだったけれどお姉様の元に戻れなくなりました。だから後宮にはあなたの代わりに、新しい侍女に行ってもらいます」
「新しい……侍女ですか?」
「ええ。心配しないで。わたくしが絶対にお姉様をお救いします」
わたくしは自分の胸に手を当て、そう言いました。
「フィアナ様」
マチルダは一瞬驚いたように瞳を大きく見開くと、その瞳を潤ませながら「申し訳ございません」と呟きました。
マチルダも具合の悪いお姉様を見ているだけでどうすることもできず、きっと辛かったに違いありません。
それからわたくしは髪を短く切り、ダメージを与えるような染料で、その髪をスモークグレイに染めました。
肌は浅黒になる草花の汁を塗って絹のような白い肌を隠し、お姉様から形がよく綺麗だと言われた胸は、硬く平たい布をきつく巻くことで潰しました。
もはや伯爵令嬢としての美しさは少しも残っておりません。
見かねたお兄様が、流石にそこまでする必要はないと嘆きましたが、侍女になりきるためには必要なことです。
後宮で目立つようなことがあってはいけません。
大好きなお姉様をお救いしたい。
必要であれば、わたくしはどうなろうとも、陛下に直談判する覚悟すらあるのです。
わたくしがマチルダの代わりに後宮に上がる手続きは滞りなく進み、いよいよお姉様の元に行けることになりました。