花とパンと、記憶の香り
マヒナが市場の通りで花を選んでいると、後ろから「マヒナ?」と声がする。
振り返ると、ミアがいた。
「……ミア」
声が思わず震えるのは、“自分”の記憶にある少女と、目の前にいる少女が重なったから。
「あれ? なんか、久しぶりだね。こっち来るの、春祭り以来?」
「うん……ごめん、ちょっと、いろいろあって」
「ふーん……まあいいけど。元気ならそれで」
そんな何気ないやり取りから、二人の再会が始まる。
マヒナは知っている。この子と過ごした記憶を、自分の奥底に持っている。
でも、今目の前にいるミアは――“過去の友達の続きを知らない”。それが少しだけ、苦しい。
朝のうちに焼いたパンを冷まして、昼下がり、マヒナは市場通りを歩いていた。
かごの中には、今朝試してみた「ローズマリーの平焼きパン」がいくつか。
(……ミア、今日もいるかな)
きのう見かけた、花屋のあの子。名前を聞かなくてもわかった。
小さいころ、毎日のように一緒に泥だんごを作っては怒られ、色んなことで競い合ったあの子。
前の“マヒナ”の、いちばんの友達――ミア。
(変わってないなぁ……声も、笑い方も)
花屋のテントに近づくと、ミアは一輪の白い花を抱えていた。銀白色の葉が風にそよぎ、淡い香りが漂っている。
「あ……マヒナ?」
ミアの目がふわっと見開かれた。
「また来てくれたの?」
「うん。あの、よかったら……これ、焼きたてのパン……」
マヒナはかごから、ローズマリーのパンを取り出した。
ハーブの香りが、ほんのり漂う。形はちょっといびつだけど、焼き色はこんがり。
「わっ、いい匂い! これ、私に?」
「うん、えっと……試作品なんだけど、もしよかったら……」
ミアは目を輝かせて、パンをそっと受け取る。
「ね、ちょっと、一緒に食べよう!」
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二人は市場から外れた小道を抜けて、小さな丘の上へと登った。
そこには古い石のベンチと、風でなびく花畑。ここも、昔ふたりでよく来た場所。
「ねえマヒナ……なんだか不思議なんだ」
パンをかじりながら、ミアがぽつりと呟く。
「あんたといると。昔のことを思い出す……って変かな?」
「……変じゃないよ」
マヒナは笑った。涙をこらえるみたいに、でもやさしく。
「私も同じ気持ち。ミアといると、ずっと昔のことを思い出すよ」
ふたりは顔を見合わせて、ふっと笑った。
春風がベンチのまわりをくるくると吹き抜けて、ミアのスカートの裾を踊らせた。
「じゃあ、また一緒にパン作らせてよ。あたし、こねるの好きだったの。覚えてるでしょ?」
マヒナはうなずいた。
「うん……覚えてるよ。あの頃、ずっと一緒に、遊んでた」
小さな声だったけど、ミアにはちゃんと届いたようだった。
花の香りの中で、ふたりは肩を並べて笑った。