表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

魔法とパンの午後三時

朝の仕込みが終わって、焼きあがったパンが並ぶ工房に、やわらかい光が差し込んでいた。

おばあちゃんは椅子に座ってひと休み、マヒナは、その隣でひとつの古い本を開いていた。


昨日、町の古書店で買った――魔導書。


「“初学者のための詠唱と元素論”……って書いてあるんだよね」


マヒナは小さな声でつぶやいて、指先で書かれた文字をなぞる。

くるりと巻いた筆跡、魔力の波長を込めるための呪文の音律。

前の世界では見たこともないような記号が並んでいたけれど、不思議と“読める”ことにマヒナ自身も驚いていた。


この文字……わかる。うん、たぶん、“マヒナ”が昔に教わったんだ


前世の記憶と、この世界の身体――その境目は、日が経つごとに曖昧になっていく。

でも、それがなんだか心地よくて、まるで自分の中で新しい言語が芽吹いているみたいだった。


「基礎魔法五系統――風・火・水・土・雷」


一文を指でなぞりながら、マヒナは声に出して読む。


「“これらの基本元素を用いた詠唱は、身体の魔力流と共鳴し、術者の意図を現象化させる”。……うんうん」


ふと、横から湯気のたつお茶が差し出された。おばあちゃんだった。


「魔導書、面白いかい?」


「うん。すごく……知ってるようで知らなかったことが、ちゃんと書いてあるって感じ」


「そうだろうとも。マヒナは小さいころ、詠唱よりパンの焼き時間にばかり気を取られてたからね」


「え、そんなこと……!」


「ふふ、冗談さ」


おばあちゃんが笑って、肩をすくめた。

その声を聞くだけで、どこか心がほどける。


マヒナは再びページに目を戻す。


「風の魔法は“軽さと流れ”の制御。火は“熱と速度”、水は“浸透と調整”、土は“堅さと防御”……」


「それを組み合わせて、魔法は多彩になる。たとえば、パンを焼くときの熱を調整したり、捏ねる空気を均一にしたりするのも応用さ」


「そうか……パン焼きにも関係あるんだ」


おばあちゃんはひとつ頷いて、少しだけ真剣な顔をした。


「魔法は、なにも“戦うため”だけにあるんじゃない。暮らしの中で使えば、心の在りようだって変わっていく」


「うん……」


ページをめくると、詠唱の例文がいくつも並んでいた。


「堅き大地の守り手よ、盾となりて我を囲みたまえ 揺るがぬ意志の殻として――『ロックシールド』」


「凍てつく眠りの精よ、静かに降りたまえ 透明なる静寂の刃となりて――『フロストレイン』」


そしてその下には、魔法の“型”の図解と、魔力の循環図が。


(この詠唱、昨日おばあちゃんが釜に使ってたのと似てる……)


マヒナは、ふっとひと息つきページをめくると、そこにあったのはひとつの項目――


『無詠唱について』


「……無詠唱?」


声に出して読んだその単語に、おばあちゃんがちらりと目を向けた。


「ほう……そこまで読んだかい」


「これ……呪文を言わなくても、魔法が出せるってこと?」


「そうさ。詠唱は本来、“魔力の型”を定めるための導線。だけど熟練すれば――言葉のかわりに、“意志”と“回路”だけで動かすことができる」


マヒナは目を丸くして、さらに本を追った。


『無詠唱は術者の“記憶”と“身体魔力循環”に大きく依存する。魔力操作に慣れた者は、意図だけで発動可能となるが、その分だけ暴走・誤作動の危険も大きく、訓練を積んだ者以外の使用は非推奨とされる』




「記憶と……身体の魔力の流れ?」


「そう。詠唱は、初心者のための“道しるべ”さ。だが熟達した術者は、その道を覚えているから、わざわざ言葉にしなくても、心の中で扉を開けられるようになるんだよ」


マヒナは思い出していた。


昨日、あのパンを焼いたとき。


薪釜に魔法を点けるとき。

確かに、おばあちゃんの呪文をそのまま口にした。


でも――

自分の中では、すでに“どうなるか”が、わかっていた気がする。

まるで、魔法そのものの形が、すでに掌の中にあったみたいに。


「……もしかして、私も……無詠唱、できる?」


「ふふ。あんたは変な子だったからね、昔から。言葉より先に、手が動いてた」


おばあちゃんは冗談めかしてそう言ったけど、マヒナは真剣な顔で手をかざす。


風の魔法。“空気を撫でる”程度の、微細な魔力。


……風よ、動いて


声には出さず、ただ心の中で呼ぶ。

すると、マヒナの指先から、わずかに空気がふわっと動いた。

テーブルの上のハーブの束が、かすかに揺れる。


「!」


「……やっぱり、向いてるんだねぇ。魔法ってやつに」


おばあちゃんは頷いて、マヒナの頭をぽんと撫でた。


「けどね、無詠唱は“便利”だけど、“粗雑”になりがちでもある。形をきちんと制御できなければ、ただの力任せで終わるんだよ」


「うん……気をつける」


マヒナはページを閉じ、魔導書を大切そうに抱えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ