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風はパンを焼き、波は魚を連れてくる

家へ戻るころには、日が西の空に傾いて、屋根の端が金色に染まっていた。


玄関の扉を開けると、パンとハーブのやさしい匂いがふわっと迎えてくれる。焚き火の薪がぱちぱちとはぜる音が、工房の奥から聞こえてきた。


「ただいまー」


靴を脱ぎながらそう言うと、工房の扉がきいと開いて、銀髪のおばあちゃんが顔をのぞかせた。


「ああ、おかえり。遅くならなかったね」


「うん、町の広場まで歩いて行って、焼きリンゴももらったよ」


「それは良かったねぇ。ほら、手を洗ってきな。今日はちょうど良いミルクが手に入ったから、夕飯はポタージュにしようと思ってるんだよ」


「うん……あのね、えっと」


マヒナは、少し躊躇ってから、そっと口を開いた。


「明日の夕方……日が落ちるころに、もう一度、外に行ってもいい?」


おばあちゃんは、少し意外そうにまばたきをした。それから、すぐに穏やかな笑みに変わる。


「誰かと約束でもしたのかい?」


「うん……今日会った子。漁師の息子で、リュクっていうの。お魚とパンを交換しようって話になって……」


おばあちゃんはしばらく黙っていたけれど、やがて「ふふん」と笑った。


「まあ、パン屋の娘らしい理由じゃないかい。いいとも。けれど、日が暮れる前には戻るんだよ。火が灯る前にね」


「うん、わかった!」


マヒナはぱあっと顔を明るくして、荷物を置いて着替えに向かった。



次の日の夕方、籠にパンを包み直して、西の埠頭へ向かったとき、空は紫と藍の境目をなぞっていた。


リュクが言っていた波止場の角には、古びた木の柵があって、その隣に、ちゃんと少年の影があった。


「お、来たか」


リュクは、手に小さな布袋を持っていた。


「干す前のやつ。まだピチピチしてるぞ。たぶんさっきまで泳いでたやつ」


そう言って見せられたのは、銀色に光る小ぶりの魚が三匹。  マヒナは自分の籠から、あたたかさを残した丸パンを取り出す。


「ハチミツとナッツ入り。さっき焼いたやつ」


「……匂いがすげぇな。うちじゃ嗅いだことない匂いだ」


リュクは受け取ったパンをじっと見て、それからひと口、かじった。


「……んぐ」


「どう……?」


「……うまい。やばい、これ。なんだ、パンってこんな……甘いのか?」


「魚も、ありがと。塩して干せば……おばあちゃん、きっと喜ぶと思う」


二人の影が並んで、海の匂いの中、静かに揺れていた。


そしてその夜――


マヒナはおばあちゃんと魚の下ごしらえをしながら、リュクのことをぽつぽつと話した。


おばあちゃんは、うんうんと頷きながら魚をさばいて、最後にこう言った。


「……ふしぎな子と出会ったね。でも、悪い気はしないよ。魚も良い顔してるし」


マヒナは小さく笑った。


この世界で、誰かと「何かを交換する」って、こんなに嬉しいことなんだ。


焼きたてのパンと、釣りたての魚。


それは、マヒナとして生まれ変わった私の小さな人生の中で、確かな第一歩だった。

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