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パンの香りは、二人の記憶

カーテンの向こうから、やわらかな朝陽が差し込んでいた。

どこか、昔の絵本みたいな風景。古木の床、石張りの暖炉、天井から吊るされたドライハーブ。


「あ、起きたね。おはよう、マヒナ」


声の主は、小柄な銀髪の女性だった。やさしそうな顔、しわの刻まれた手、笑うと目尻に深いしわが寄る。


「え、あの……?」


喉がからからだった。言葉がうまく出ない。

でも、女の人――“おばあちゃん”は、ゆっくり水の入ったマグを差し出してくれた。


「昨日、頭ぶつけたかい? ちょっと様子が変だったけど……寝たら元気になったようね」


マグから立ちのぼる水の匂いが、妙に清らかだった。

口をつけると、ほんのり甘く、冷たく、するりと体の中に染みこんでいく。


(なにこれ……美味しい!?)


そして、部屋の奥――開け放たれた扉の向こうから、ふわああっと香ってくる匂い。


パンだ。バターと、少しのハチミツ。

生地がふくらむ甘い香りに、胃が思わず鳴いた。


「さ、起きておいで。今日はパンを焼く日だよ。マヒナの腕の見せどころさ」


腕の見せどころ? なんで……?


おそるおそる身を起こして、自分の手を見る。

細い。白い。爪は短く、指先には薄く粉が残ってる。

体も……軽い。どこか、前の“自分”よりも小さい。


そして――


「マヒナって……私の、名前?」


問いかけると、おばあちゃんはふふっと笑った。


「そうさ。あんたは、マヒナ・ロッセ。あたしのかわいい孫娘だよ」


孫? まさか。あたし、孫なんて年齢じゃ――いや、今いくつだ? 何歳?


混乱する頭を整理しようと立ち上がった瞬間――足がもつれて転びそうになった。


「おっとっと。まだ疲れてるのかい」


おばあちゃんが肩を貸してくれる。どこか懐かしい匂いのする、あたたかな腕。


導かれるまま、あたし――いや、“マヒナ”は、隣の部屋――パン工房へ入った。



そこは、夢みたいだった。

天井には乾燥させた花や穀物が吊るされていて、窓から朝陽がさしている。

壁際には魔道具っぽいガラスの器具や瓶、石造りのパン釜。

作業台の上には、寝かされたパン生地が、ぷっくり膨らんでいた。


「火を入れるよ。見ててごらん、

紅き衣の火精よ、我が掌に宿りたまえ

静かなる炎の吐息を今ここに――『ファイアスモール』」


おばあちゃんが指先で円を描くと、薪釜の中にふわりと赤い火が灯った。

魔法。ほんとに、魔法だ。


「……すごい……」


「すごくなんかないよ。マヒナ、あんたは火と風の魔法が得意だったじゃないか。……やってごらん」


すすめられて、あたしは釜の前に立った。


火の魔法。えーと、どうすれば……? 同じように言えばいいのかな?


「紅き衣の火精よ、我が掌に宿りたまえ

静かなる炎の吐息を今ここに――『ファイアスモール』」


声に出すと、魔力の熱が体の中をすべった。

すると――ぱちん、と薪釜に赤い火が走る。


「できた……!」


心臓がどきどきする。でも不思議と、怖くなかった。


「やっぱり、マヒナは魔法を扱うのが上手だねぇ。」


おばあちゃんはにっこり笑って、焼く準備を始める。


「生地はもう仕込んであるから、成形とトッピングは任せるよ」


そう言って差し出されたのは、甘いミルク生地。ほんのりあたたかい。


生地をこねる感触。押し返す柔らかさ。

トッピング用のナッツやジャム、ドライフルーツがきらきらしてる。


「……楽しいかも」


気づいたら、没頭していた。

気泡を逃さないように、ふんわり丸めて、クープを入れて。

上にはハチミツとアーモンドをのせてふわっと仕上げる。


焼き上がったパンは、ちょっと不格好だけど、ふんわり丸くて香ばしい。


「……うまくいった!」


「さすが、料理上手なマヒナ。昔より腕あげたねえ」


でも……おかしいな。教わったこともないのに、手が勝手に動く


生地に手を触れたとき、そう思った。

粉のまとまり具合、発酵の見極め、焼き加減――全部

頭で考える前に指先が動く。身体が覚えている。まるで何年も焼いてきた職人みたいに。


だけど、それだけじゃない。

頭の奥に、知らない誰かの記憶があるのを感じる。

やさしいおばあちゃんに褒められたこと、小さな薪窯の前で笑っていた自分……階段から落ちて、その時頭を打った……いや、“この体の元の少女”だ。


階段から落ちて、頭を打って、きっとその子はもう戻ってこられなかった。

でも……その一瞬、ふたりの魂がすれ違った。そのとき私が、入り込んだんだ。


私の中には、確かにその子の記憶があって――

あたたかい日差し、パンの焼ける音、おばあちゃんの優しい笑顔。

それらを大事に、大事に抱えてる自分がいる。


「どうしたんだい? 焼きたて食べてみる?」


おばあちゃんの声で、ふっと思考がほどけた。

私はうなずいて、小さな丸パンをひとつ、両手で包む。


ほんのりと熱くて、ふかふかしていて、香りだけで泣きたくなった。


かじると、中はふわふわで、ほんのり甘い。

表面はさっくりと焼けていて、アーモンドが香ばしい。

初めて食べるパンなのに、何故か、なつかしい味がした。


「美味しい……」


涙がにじんだのは、熱いからじゃない。

多分――思い出したからだ。

自分がもう、あの世界には戻れないことも。

でも、ここにいても、こんなにも幸せを感じられるってことも。


「マヒナ、いきなり泣いたりしてどうしたんだい?」


おばあちゃんがそう言って、私の髪をやさしくなでた。


私は静かに俯いた。

“佐伯まひる”として生きた記憶も、“マヒナ・ロッセ”としての想いも――

全部ひっくるめて、私はいま、ここにいる。


たとえ名前も世界も違っていても、

この手でパンを焼いて、食べて、笑ってくれる人がいるなら。

きっと、私はまた生きていける。


ううん、生きていくって、決めた


そう、今日が、私の新しい朝。

“マヒナ・ロッセ”としての、スローでやさしい魔法とパンの日々の、はじまり。

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