エピローグ
痛い。痛いなぁ。
「ママっ」
「ママ」
「優美!」
声が聞こえて、目を開ける。
真っ白い壁と、黒いぼやっとした三つの塊。
すこしずつ、焦点があって。
声の方が早く、わかるようになった。
「よかったー、もう目覚めないかと」
「三日も意識なかったんだよっ」
三日。
ああ、一炊の夢のよう。何年もあちらにいたのに。
包帯とか、首の筋がたぶん違えていて、痛い。動かない。
全身麻痺とか、不安になったけれど、手も足も、指を曲げ伸ばしできた。
なら、たぶん、大丈夫、かな。
あの後、ラチェットが言った。
「悲しくて、消えちゃいたかった。でも、私はいなくなることを許されなくて、ちょうど死ぬ貴女を呼んでしまいました。貴女の記憶を見てしまって、私がどれほど頑張ろうと、母は私を殺したいと思うのだって思ったら、怖くて」
「怖くなるのはあたりまえでしょう。まあ、死んじゃったのね、やっぱり私」
「いえ。まだ、死にかけた状態です。感謝を込めて、十年、寿命をお譲りします。ただ、十年です。心残りないように」
「まって、あなたが十年早く死ぬってことでしょ」
ラチェットは笑った。
「本来なら死んでしまった私です。未来を、ありがとうございます。中で、一緒に外を見ていました。私の周りの人たちを大事にしてくれて、大事にしたからこうして伯爵家の娘のまま生き残れたのだと、思います。礼儀の先、確かに貴女から、教わりました。どうぞ、貴女の愛するご家族の元に。ありがとうございました。ずっと私を呼びかけてくれて、ありがとうママ」
加害者との裁判をしながら、無事に退院して、仕事をして。
娘達が学生を終えると私は早期退職した。
雨が降ると、あちこち痛くてね。死ぬ怪我だったのだ。完全には治らない。
夫の帰りを待ちながら、夕食を作る。
結婚28年目。私が先に家にいたことなど、十回かそこらだもの。残りの日々ぐらい、作っていこう。
覚えた刺繍は体が変わっても忘れていなくて、家族に『私』を遺していく。ハンカチや服、小さな小物に。
貰えた寿命、心残りないように。
私は家族と生きていく。