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 憑依した?

 伯爵家の娘ラチェット8歳に憑依したらしき、優美(42歳、夫・娘二人持ち)。

 ここはどうやら、知った物語で、名さえ出ない脇役のようだが、事後手紙で「殺された」ことがわかる娘のようだ。

 優美はラチェットが消えていないと信じ、彼女が生き残れるように、そしてストーリーが変わらないように、全力を尽くす。


 なんで泣いているんだろう、と泣きすぎて酸欠と酷い疲労感の中で、私は我に返った。

 見覚えのない、いや見覚えどころか冬には毎日ここで寝起きしていたではないか?

 小さい手に違和感が。

 いや、これであってますよ?

 相反する頭の中の声が気持ちを揺さぶり、よけいに胸のあたりがむずがゆく疼く。


 大きく深呼吸して、自分は誰かと問い直す。


 ギロ伯の長女ラチェット。8歳。

 証券会社部長 長島優美。42歳。



 うぐ、そりゃあこんなに違う経験値の人間が同居したら気持ち悪いわ。



 転生? 憑依?

 ああ、思い出した。

 泣いた理由。

 母は伯爵夫人だが、侯爵家の娘として育ち、第一王子の婚約者の乳母として大公家にいったまま。

 10歳の姫と年の近い貴族の令嬢が呼ばれて城で茶会をすることとなり、物心がついて初めて実母と会えるからとわくわくどきどきしながら、ラチェットは父と祖父とともに向かったのだ。

 結果は。

 母からの落胆と冷たい罵声。

「いやだわ、私の娘なのに、礼儀作法もできていないじゃないの。お嬢様は貴女より一つ下ですが、きちんとご挨拶できましてよ。いやだいやだ、伯が甘やかしたのね」

 ラチェットは母からの駄目出しに堪えきれずに顔を歪ませ、泣きそうになり。

 それを見て母はさらに、汚らしいものを見る目をして。


 ラチェット視点では、自分が駄目だった、母に叱られたと思っているが、優美(私)視点では「いや、普通にちゃんとできてたわ。母親が完璧主義の毒親なだけ」

 と、理解できた。

 実際、同世代や一個上の子たちと、見劣りするような所作ではなかった。

 でも、ラチェットは王都のタウンハウスに帰宅したあとただひたすら、泣き続けた。泣いて泣いて。


 消えてしまった


「戻ってらっしゃいよ」

 と、心の奥にむけて言ってみたけれど、体のどこからもラチェットの返答はなかった。




 私はアンティーク家具の見本市のような、高位貴族令嬢の部屋をただぐるぐると歩いて、現状を理解しようとしていた。

 ギロ伯というか、元ギロ伯爵夫人という単語に覚えがある。

 王太子妃の乳母で、とある嘘を信じて娘を殺した女。

 優美だった頃、娘が二人いて、末っ子の娘と会話するために、

「今何が流行っているの?」

 という無難な問いかけから、渡された小説の、脇役だったはず。

 娘の名は、ない。

 主人公は平民の少女ランティアで、ラチェットと同じ年で、タイトルは『運命紡ぐ娘ラン』という。姓はない。

 元夫人に、娘に似ていると援助(財産贈与)を受けて、隣国の革命を起こす若き男爵ケビンを手助けして、ケビンは王に、彼女は王妃になる。

 平民だったが、元夫人の教育で、貴族達が文句をつけようもない礼儀作法を身につけていたという。

 で、ラチェットだが。

 王妃になった彼女に、元夫人から懺悔の手紙(遺書)が届く。ここで、娘が実の母親に毒殺されたことがわかる。

 ・・・ナレ死という言葉があるが、事後のお手紙死である。開始時から死んでるし。

 夫人はともかく、ラチェットが主に絡むのは、1ページ分にも満たない、そのお手紙の中だけ。


『私は愚かで、娘がとりかえっ子だという嘘を信じてしまったのです。もう顔を見たくもなく、即、修道院に送り、そこの院長には毒を渡し、あの恥ずべき子を死なせるよう命じました。二ヶ月後、あの子は死に、私は安堵しました。本当の子が手元にきた今、アレは生きているだけで不愉快と、そう思ったのです。ですが、それが、取り替えられた娘だと言ってきた娘と、その母親のぐるの狂言だとわかったのは、ほんの数ヶ月後でした。私はギロ伯の跡継ぎ娘を、讒言に惑わされて修道院に捨て、そこで病死させた酷い母親だということで、ギロ伯から離縁されました』


 娘に、ごめんね、の一言もないのが怖い。

 本作品で、なぜ元夫人が赤の他人のランにほぼ全財産を渡したかの、無理な説明っぽい気もする。ただともかく、世界はたぶんそう動くし、革命後良政を敷くので、彼らは革命に勝ってもらう必要がある。

 ラチェットの母が離縁されて国境付近で寂しく暮らすことになっても、特になんとも思わない。

 ついさっき、もう先日になるが、あの罵りと汚らわしいものでも見る目を覚えている限りは。

「生き延びるよう、あがいてみましょうか。ラチェットが帰ってくるかもしれないし」



 執事を呼ぶ。

「リッ」

 正しくはリッツベルト。

 リッでくる。

 舌足らずだった頃に、そうおよびくださいと言われて8歳まで来てしまった。

 しばしして、紅茶の入ったポットとティーセット、ふかふかビスケットを載せた銀の盆を手に、リッが入ってきた。

 40代。細身で、前世?の夫に似た感じはある。夫にはメインで家事してもらってたから、家裁担う者特有の、雰囲気が。

「遅くなりました。ラチェットお嬢様」

 サイドテーブルに盆を置き、カップに茶をゆっくり注ぐ。

 リッの後ろから、ラチェット専属のメイド三人が心配そうに伺っていた。

「ごめんなさい、追い出して」

 ラチェット本人が消える前に、「誰も彼も、みんないや。出て行ってっっ」と追い出してから泣いたのだった。8歳児だったんだよ、許してやって。

「いえ、お嬢様。心配はいたしましたが、泣きやまれてほっといたしました」

「何も出来なかった私たちをどうかお許しください」

「目が腫れてます。冷やしましょう」

 声をかけるや否や、世話を始めそうだった。


 とにかく、糖分と水分は欲しい。

 さすがだね、リッ。

 椅子を引いてくれたので、座って、お茶を飲み、ビスケットを割ってジャムをつけて食べた。

 食べながら、母が登場し主人公と初めて会話するシーンを思い出す。

『そう、生きていればあなたと同じぐらい(ラン、この時17歳)。私の娘は3年前に死んでいて。きっとこうして会ったのは何かの縁ね』

 喉にビスケットが詰まりそうになった。

 14歳で死亡確定。

 あと、6年、あるのかな。

 子供に何が出来るっての。



 食べ終わる頃には、続き間の浴室に湯が運ばれて、

「湯浴みをして、ゆっくりお休みください」

 と、リッが盆を下げ、部屋から出て行く。

 ほかのメイドがフルーツバスケットを持ってきて、お腹がすいた時用に置いていった。

 とくに抵抗が無く、湯船に浸かってメイド達に体を洗われ、目元にひんやりした布が当てられた。

 そして、泣き疲れた体から、意識がぽんっとなくなって。

 起きたら、ベッドの中だった。




 朝食を祖父と父と食べるために、食事用の部屋に行き。

「ああ、ラチェット。辛かったな」

 と、私と顔のよく似た祖父が、軽いハグをし、父は一歩出遅れて、手が中途半端に浮いていた。なので、父には自分からハグしにいった。

「泣いてしまって申し訳ありません。もう大丈夫ですが、領地に戻りたく思います」

「ああ、そうだな」

「あのお嬢は昔から気の強い、思いやりのない女だったが、丸くなる気配もない」

 と、祖父は苛っとしながら、言った。

「母とはしばらく会いたくありません」

 私に甘い祖父は一緒に領地に帰ろうと言い、父も反対はしなかった。

 一人で社交は嫌だ、が、さりとて娘をここにとめ置くのも、という消極的賛成な顔。

 食事は根菜のスープ、刻んだベーコンと一緒に卵を焼いたものとチーズ入りのソーセージ、ふかふかした丸いパン(豆入り)。最後に、三種の果物から選ばせてくれたが、結局選ばなかった果物も、一切れ分、祖父と父が分けてくれるので、私も返した。

 大人には、ソーセージ三本パン三つ、私は一本と二つだけれど、お腹はいっぱいになった。8歳だなぁと胃がぽこんと出たのを撫でて思う。小学校低学年終わりぐらいまでは娘が食べた後、こんなだった。

 食後の紅茶を飲んだ後、帰り支度をする。

 リッとはしばらく会えないだろう。執事は屋敷を管理するので、タウンハウスに所属するから。

 そういうラチェットが知っている常識的な記憶は優美に共有されている。

 執務室に入り込んで、壁にかかっている王都のマップを確認する。

 修道院の確認。

 王家支援と公爵家支援のものは、母が脅せないだろうから除外する。

 ああ、もしかしたら領地の修道院かもしれない。

 うん、そうね。

 王都だと、

『伯爵令嬢を毒殺せよと命じられたんです』 っと、修道院の人が城やら役場に駆け込みやすそうだ。



 感触として、父と祖父はまっとうにラチェットを愛している、ようだ。

 14歳で修道院というのは、『礼儀作法が出来てないから預ける』という名目をされたら、父や祖父は文句をつけられないのではないか。

 修道院って、貴族子女の監獄、ではなくて、裕福な家の娘達が預けられる、学校的なところがあるから。

 祖父に関しては、私が殺されるときには生きてない可能性もあるね。孝行しておこう。そして小遣いを貰おう。

 あとは、ギロ伯家は、使用人も含めて父と祖父と私の味方で、母の言うことは、伯爵夫人だからまあ聞いておく、ぐらいだった。

 生まれた時から、王太子妃。ゆくゆくは王妃になる大公家のお姫様の乳母になるのだからと、祖父は家督を息子に譲らされ、母は伯爵家嫡男の妻ではなく、伯爵夫人として大公家に行った、というなんというのか、横暴とは言わないけれども、ちょっとねというギロ伯爵家がしこりのあることを強要したあと、それぞれのわだかまりを解かずに、行きっぱなしで、帰ってこないありさま。

 なので、祖父から好かれていない。

 息子と結婚させたのも、格上から縁談をもたらされて、断れなかったという。

 父もほったらかされているので、二年ほど前からメイドの一人と深い仲だ。子爵家の三女なので、釣り合いはとれている。

 たぶん、母と離婚したら、彼女と再婚するのではないかと。ほかの女と再婚したら、ラチェットの父とはいえ、盛大に呪ってやる。



 礼儀作法とか、茶の飲み方や、茶会の開き方、等々、たぶん今代随一に美しく完璧なのだろう、母は。

 家族に対して、他人に対して、機微をはかれない、という問題点が大きいが格上相手にはそれで通るのだろう。完璧な礼儀があれば。

 同等の立場となる家族は、挨拶と礼儀の一歩先があるのだ。

「完璧な人間はねぇ、子育てでつまずくんですよ。理想通りにいかなくて。そして、計画から、青写真からずれていき、修正する手だてがわからなくなったとたんに、子供捨てたり、虐待したり、殺したりするのよ。知ってるわ、私。夫と出会えなければ、そっちに近い人間だもの。理想と違う、予定と違う、こんな人生、違う」



 予定では仕事に復帰している頃なのに、二人目を産んで、体が回復しなくて、娘はなぜか夜泣きが酷くて眠れなくて。

 ああ、この子さえいなければと、思ったとき。

「僕が面倒見るから、優美はとにかく眠って」

 と、夫が言った。

 そして私が仕事に復帰すると、

「家事をメインに僕が見るから、勤務は時短にするよ。だから、稼ぎ頭としてがんばってくれる?」

 と、やってくれたから、なんでもそつなくこなせる女、みたいな見られ方をしたけれども、察して、ぐらつく部位をさっと支えてくれる人がいたから、やれたのだよね。

 ああ、そして。

 私はここに来たのは。

「お前さえ居なきゃ」

 と、同期の男に背中を押されて、階段から突き飛ばされたからだ。

 私のせいじゃないよ。だって、お前、ストレスと逆恨みで人殺すクズじゃないか。人事は見る目があったよ、私を部長にした。

 まあ、私も一歩間違えば、子殺しだったけれどもねっっ。




 優美は自分が、たぶん死んだところを思い出した。

 次女は18歳。長女は20歳。

 生命保険。オッケー。

 仕事中に事故? 殺人事件だから、会社の何かの保険や見舞金等々出ることだろう。

 キャリアを諦めさせてしまった夫に、残せる金と家。

 学費は、積み立ててある。

 留学したいとかは無理だけれど、二人とも自宅から通えるし。

 ならば、稼ぎ頭としての責務はとりあえず果たした。


 ごめん、ママはあんたたちが学生終えられる前に死んだ。けど、馬鹿なことさえしなきゃ、大卒履歴は手にはいるからね。さぼんじゃないわよ。単位はぎりぎりでもちゃんと取りなさいよーっ。

 ママはこっちで、三人目の娘みたいなラチェット生き残らせることに全力注ぐわ。

 なんか、私の、このラチェットの肉体のどこかに、息を殺して潜んでいる気がする。希望的楽観かも知れないけれども。


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