第六章 ひとりぼっちの信仰
部屋に戻った皆は憔悴しきっていた。今まで捜索していた男の死亡という最悪の事態の中、誰一人として言葉を発せなかった。何かを言葉にしてしまえば皆の努力が徒労に終わったことを表すことになるからだ。
そんな中、口火を切ったのはルーナだった。
「皆さん、お話があります。今まで考えていたこととは全く違った道になりますが、もう終わったことにしませんか? このまま犯人を見つけ出しても私たちの望んだ結末になるとは思えません…………敵対派閥の長が亡くなって、第三勢力の長も亡くなりました。これ以上私は死者を出したくありません!」
依頼主から出た言葉はあまりにも意外なものだった……待ってくれよ……犯人を捕まえて欲しいと言ったのはルーナ本人じゃないか。そう心の中で奏一郎は思った。
「これは教会内部で起きた事件です……教皇に一番近い私が一言言えば、捜査も打ち切られこれ以上犯人を刺激しないで済むかもしれません。私に出来ることはもうこれ以上は無いのです」
とてもこれから教皇になろうという人間の言葉とは思えないような弱々しい発言だった……それだけルーナも困惑しているのだろう。だがしかし奏一郎には思うところがあった。
「敵対勢力の長、第三勢力の長……それって最後はルーナが狙われるんじゃないのかな? 僕にはそうとしか思えないんだけど、だから依頼である護衛はやめるつもりは無いし……これまで共に過ごしてきたルーナを放っておくわけにはいかない!」
正義感と危機感を持ち合わせた奏一郎だからこそ思いついた事だろう。他の皆なら依頼料をもらって終わりだろう。でも、奏一郎にはそれが出来なかった。それは共に過ごした時間による情もあるはずだ。仲間意識が強いと言ってもいいかもしれない。
「どうなのでしょうか……? 私には想像もできない出来事の連続で、そんな恐ろしいことが起こり得るのか判断が付きません」
犯人がどういうつもりなのか? どういう立場の人間なのか? それがわかってくればまだ判断も出来るだろうが、何もわからないというところが不気味だ。
その謎に包まれた犯人がルーナを襲わないという保証はない……むしろ今までの行動を見ていると襲われる心配の方が強い。このまま放置して行けば危険に苛まれるに違いない。そう奏一郎は思ったのだ。
「では、一週間様子を見てみましょう! それで何もなければ良い事ではないですか? そうしましょう!」
なんだろうこの違和感は? まるでルーナが話を終わらせたがっているようだ……しかも一週間なんて様子見にしては短かすぎる。そこが引っ掛かった、奏一郎はルーナに問いかけた。
「ルーナは何をそんなに焦っているの? 僕らは冒険者……その日ぐらしは当たり前なんだから、僕らの心配はしなくても良いんだよ? それとも、何か他に僕らが居てはいけない理由でもあるの?」
核心をつく奏一郎にルーナは言った。
「このような野蛮な事件が教会内部で起きていることが世間に知れ渡ればアリス教団は地に落ちます。ですから早期解決を図りたいのです。正直な話この話は他言無用に願いますよ? ダミュール教徒に知れ渡れば世界の安寧が揺らぎます」
ダミュール教……自分の為にならどんなことをしても良いというような自己都合主義の教団だ。基本的には犯罪者や荒くれ者、暗殺者等々危険な教団であることには変わりない。
そう言われてしまえばそれまでの事で、何もできなくなるのだが奏一郎もそこで引き下がる気にはなれかった。引き下がってしまえばそこでこの事件は未解決のまま終わってしまう。
「他言無用は了解しました。でも一週間というのは納得できません……せめて一か月は様子を見ないと、僕らも安心して旅立つことが出来ません」
その提案にゴドルフィンが乗ってくる。
「そうだなぁ、やっぱ一度依頼として引き受けた以上このままサヨナラなんていうのは納得できないぜ! ルーナ側が良くても俺たちは納得できないな」
ガレフは事の成り行きを見守りながら、うんうんと頷いている。彩花とエスタルトはペロと共に大人しく見守っている。きっと話についてこれず大人しくしているしかないのだろう。
「ルーナおねえちゃんが危ないんだったら、彩花は残るよ? ワタシ一人でも残って守るんだ」
彩花がそう言ったところでルーナが折れた。
「仕方ありませんね……ノバラック教皇もまだ目は覚めていないですし、ノバラック教皇の目が覚めたらというのはどうでしょう?」
その提案に乗ることにした奏一郎たちは、うん! と頷くと同時に再び犯人を捜し始めたのだった。
私は三歳の時、家庭の事情で教会に入信することになった。家庭の事情というのは家族が増えすぎて育てようがない状態になってしまい、孤児院に入れるのは親のプライドなのか? わからないが世間に対する体裁というやつなのだろう。
ルーナ・エドワルドはそうして教会に務めるようになった。
毎日のお務めは三歳の子供にはまだまだ難しく、失敗も沢山したし、よく理解の出来ない事もお願いされ困惑することも多々あった。しかし、当時一級神官だったノバラック神官の側仕えになることでノバラック神官は優しく迎え入れてくれた……失敗するたびにノバラックにルーナはお祈りをするように言われた。それは当時のルーナには神様にごめんなさいと謝るような儀式だったが、成長していくことによりルーナの考えは変わり次第に神様へのお祈りも自分に出来るような試練を与えてくださったことに感謝するようになった。
失敗することは成長する機会という事でも感謝した。事あるごとにルーナは信心深く、神に祈ることを真面目に続けていた。そうするとルーナ自身も家族の事は自然と忘れ、ノバラックを父親のように感じ始めた……ノバラックは困っている人を助けることを何気なくするという人格者である。そんなノバラックが誇らしくてルーナもそれが嬉しかった。ノバラックはルーナを褒めて伸ばそうという意図があったのかわからないが、滅多なことでは怒ることはしなかった……ただ一度だけルーナが戒律を破って、街に出た時に人形を買ってきたことで怒られた。それも自分が戒律を破ったのだから仕方ないとは思ったのだ。
それにより懲罰房に入れられたが、自身の行いを反省し早くノバラックに褒められるように善い行いをしたいと思いながら過ごしていた。アリス教はそのように子供といえども厳しく処罰されるのだが、信心深いルーナはその教えをきちんと守ることにした。そうして七歳になると洗礼を受け真っ当な教徒になったのだ……そこからは早かった。九歳には頭角を現し三級神官になった。
なぜそうなったのか……毎日の真面目な生活態度を認められたこともあるが、ノバラックの推薦が大きい。当時のルーナには知る由もなかった。ノバラックの思惑はこうだ……自身に懐いてくれているルーナを後継に据えたかったのだ。そんな親同然のノバラックの期待に応えていたルーナも応えることが苦痛ではなく、自己肯定感を高める事にも繋がった。
そうしてルーナは十二歳の時、当時の最年少記録を塗り替え一級神官になったのだった。
後押しがあったとはいえ彼女の信仰心が強かったこともあるのだろう。そこからノバラックは体調をよく崩すようになった齢七十八ともなれば病気をしたり、衰えを感じてもおかしくはない。それを寄り添うようにカバーしてきたのがルーナ自身だった。今では八十歳目前で高齢のノバラックはこの世界では長生きといっていいだろう人間という枠で言うならばだが…………。
エルフやドワーフなどと比べると人間は短命だ。自らまだ生きて居たいと思っていても、そうはいかない……年老いていき、いつかは老衰で亡くなったり、病気などで亡くなることも多くなる。病気の治療として手術ということを推奨していないアリス教は、病気で亡くなることはそれもまた自然の摂理として扱われている。
そう考えると八十近くまで健康体でいられたノバラックは神に愛されているなどと言うものも居たようだ。そんな神に愛された男が自分の後継者として選んだルーナはどんどん立場が大きくなっていく。側仕えが付き、周りの大人たちに交じって会議に参加するということも義務付けられたのだ。それでも信仰心の強いルーナは自分の主張をノバラックの主張と同じになるように努めてきた。ノバラックはそんな姿を見て誇らしく思っていた……自分のしてきたことは間違っていなかった……そう感じた瞬間でもあったが、同時にこれでもう自分の役目は終わったとも感じていた。そうした緊張感から解放されたことにより体調は崩れたのかもしれない。次第にノバラックは寝込むようになり会議にも参加できなくなっていく……そんな中でルーナは見守りたかったが、視察に出なくてはいけなくなってしまった。後ろ髪を引かれる想いで出た視察は非常に良いものとなった。しかし、帰り道に野盗に襲われ兵士たちは散りぢりになり混乱の中ラストと共に難を逃れたのだ。そして奏一郎たちの噂を聞き今に至る。
こんな時、ノバラック様ならどうしただろうか?そんなことを考え政務室に籠っている……ルーナは今回の事件は反ダリル派の犯行なのだとなんとなく感じているが、反ダリル派といってもこの教会の二大派閥……敵は多い。その中から犯人の特定は難しいと思ってもいた。護衛として残っている彩花とペロ、エスタルトは暇そうに欠伸をしていた。
他の三人は各々が思う場所に聞き込みに行ったり、死体発見現場を何度となく確認して回っている。奏一郎は母さんが観ていた推理ドラマを思い出しながら『現場百回』という言葉を重視して何度となく現場に向かっていた。すると奏一郎が現場で何か見落としていないかを確認するために、地べたに這いつくばって何かないか探して回っていた時の事だった。ノバラック教皇の秘湯側仕えであるカインズが現れる……こんな所で何をしているのだろうか?
「このようなところで何をなさっているのですか?」
逆に質問されてしまった……恥ずかしそうにしながら奏一郎は立ち上がり。
「いやなに、現場百回という言葉を胸に秘めて犯人捜しの痕跡でも見つかればなぁ……なんて思いながら見落としが無いかをチェックしていたんですよ」
しどろもどろになりながら奏一郎は答える。
「それで? 何か見つかりましたか?」
やけに冷めた口調でカインズは話し掛けてくる。
「んー、残念ながら今のところ何も……」
そう言って返すと。
「それはそうでしょうな。死体があった現場とはいえ、そうやすやすと手掛かりが見つかったら苦労はしないでしょうからね。こういったことは聞き込みとかをした方が効率がいいのではないでしょうか?」
至極真っ当なことを言われて諦める奏一郎、そんな姿をカインズは訝しげに見ていた。そこへルーナと彩花、エスタルトがやってくる。どうしたのだろう?
「おやおや皆さんお揃いでどこかお出掛けですか?」
カインズが三人に声を掛けると、ルーナはこう答えた。
「政務室に籠っていると気が滅入ってしまうので、少しお散歩に教会内を見回ろうと思いまして。こんなことが続いているので、教会内で不安が広がっていないかと……」
「それは大丈夫ですよ」とカインズが何の根拠があって言っているのかわからないが、そう言って廊下を去って行った……それを見送りルーナはこう言った。
「それで奏一郎さん、何か見つけられましたか?」
顔を覗き込んでくるルーナに、奏一郎は一瞬ドキッとして顔を背けながら言う。
「それが何もなくて困ってたんだよ……そっちは変わりなく警護は順調かい?」
「何もなくてぇ、暇すぎて死んじゃうよぉ」
奏一郎の質問にエスタルトがそう言うと「何事も無いのが一番ですよ……」ルーナが呟く。それは確かにそうなのだがルーナ一人になるのは危険でしかない……その為に彩花とエスタルトを常に警護できるように配置しているのだ。そう思っていると彩花とペロが再び高く集積された草山に向かって走り出すと、ペロが草をまき散らして遊びだす……彩花もそれを見て草をペロに向かって掛けてやると、ペロはブルブルとして草を振り落としていた。しかし、ペロの身体には草が少し残っていた…………そこで奏一郎はハッとなった! そうかっ⁉ 自分でも驚きの可能性を思い出し、急いである部屋へと向かう。そう……それは洗濯室だ。ペロがあんなに身体を振るっていても草は簡単に取れなかった。それは人間だって同じではないだろうかと考えたのだ⁉
洗濯室は孤児院に居る子供たちの仕事でいっぱいだった。この中に何か知っている子供が居るかもしれない! 子供たちは洗濯を真剣にしていたが奏一郎が入ってきたことで一気に奏一郎に注目が集まる。
「最近、草のついた服を選択した子はいないかい? 少しお話を聞きたいんだけど?」
子供たちはみな顔を見つめ合って一言も言葉を発さず選択を再開した。突然やって来たよくわからない男に、そんな話をする必要はないと言わんばかりだ。そんな中ルーナはハアハアと息を切らしついてきた……そして一言放つ。
「皆さん、聞いてください! これは大切なことなんです。皆さんの言葉にとてつもない重要なことがあるかもしれないんです‼」
ルーナの言葉に反応する子供たち、その中には中学生くらいの少年が居て取り仕切っているようだった。少年は他の子供たちにも声を掛け何か知っているかを聞き出してくれた。
「どうやらコイツが洗濯したみたいです。何か問題でもありましたか?」
少年は五歳くらいの女の子を連れてくると、そう言って前に差し出す。奏一郎は彩花に接するよりも優しく言葉を掛けた。
「キミが洗濯したんだね? それは誰が着ていたかわかるかい? 思い出せる?」
奏一郎は優しく目線の高さが合わさるようにしゃがみ込む、すると女の子は不安そうにしながらこう答えた。
「あの……誰の物かはわからないです…………洗濯に不備でもありましたか? 私懲罰房には入りたくないです」
何か女の子は誤解をしているようだ……別に何か罰するために来たわけじゃない事を話すと、女の子は安堵したのか急に元気になった。すると少年が口を挟んできた。
「でも特別な二級神官様以上じゃないとそれ以外はみんな同じ服ですよ? 洗ってしまえば皆同じ服だから見分けはつかないじゃないですか?」
それでも奏一郎は食い下がる。洗濯した女の子にどれくらいの大きさだったかとか、それは今ここにあるのかを聞き出した。女の子はおずおずとしながら洗濯中の服を絞って持ってくる。
「草がなかなか取れないんです。葉の先端に返しが付いていて引っ張ると千切れちゃうし、繊維に潜り込んじゃうんです」
困り果てている女の子から服を受け取ると、確かに服には草が刺さっている。これか…………奏一郎は服のサイズを確認した後、服をペロの前に持っていく。ペロはクンクンと匂いを嗅ぐと、暫く臭いがわからないのか臭いを嗅いで確認する。ペロは臭いを嗅ぎつけたのか、ゆっくりと臭いの元へと向かい始める。
ここはウルフであるペロの嗅覚が頼りだ。もしペロが洗濯したことにより、臭いの元に辿り着けなければこの作戦は終わり…………そして犯人には逃げ切れるということになってしまう。