第四章 教会の闇
翌日、エルフの里からフィエットの近くの出口へと誘導されている最中、ルドルフが言った……。
「昨日はすまなかったな。お客人とも知らずに手加減なしにカウンター仕掛けてしまって……我々エルフの長が決まるかもしれない時期で気が立っていたのだよ」
気が立っていた……か、その言葉に奏一郎は実力差を感じた。同じようにカリカリしていたというのに、結果は奏一郎の惨敗……言い訳のしようがない状態である。
「いやいやルドルフさんは強かったですよ。正直、自分がベストな状態で戦っても負けていたと思います。結局は僕自身の実力不足という事です」
正直に負けを認めることも男にとって……いや、性別は関係ないか。誰でも負けを認めることは悔しいことだが認める勇気を持つことも必要だと思う。
鬱蒼とした森の中を歩き続けること三十分休憩も挟まずに歩き続ける。変わり映えしない世界を歩きながら会話をしていた。
「そうそう。今度の長は誰がなるか決まったのですか?」
奏一郎の疑問に長が答える。
「私の中ではほぼ決まりましてな……奏一郎殿に勝ったという事も踏まえて、ルドルフに任せようと思っていますが……私が監査役として着くことにして完全に権力を持たせないようにしようと考えております」
それは賢明な判断だと思った。誰か一人に権威を持たせるのは危険を伴う。下手をすれば暴君になりかねない。
「それが一番いいと思います。今どき一人の判断で全てを任せてしまうなんて、時代錯誤ですよ」
そう呟くとゴドルフィンも続いた。
「そうそう! みんなで話し合って物事は決めるもんだよなぁ⁉」
そう言って「がはは!」と笑う……本当にわかって言っているのだろうか?疑問ではあるが本人がわかっているというならそれでいいか。それにしてもゴドルフィンはこういう行動が多い気がする……いい意味で適当な感じだ。それは奏一郎には無い一面で、見習うべき一面でもある。
フィエットに近い出口はもうすぐそこまで来ているようで、出口からフィエットへの道順を長は教えてくれた……短くて長い一日だったな。つい昨日エルフたちと出会って、戦闘を行い、敗北を知り、別れの時が近づいているのだ。奏一郎は少しだけ寂しさを憶えるが、それを今言う事ではないことは重々承知している。
奏一郎たちは今、護衛の任務の最中なのだ。それを最優先して然るべきなのである。こうして出口からフィエットへと向かうことになった。馬車はそのままだが荷物は持ってきている。ここからは徒歩で向かうことになるが問題はないだろう。
「いろいろとありがとうございました。僕らはこのままフィエットに向かいます。長にはお世話になったにも関わらず、恩を返せないでいるのが心残りですが……お身体大事にしてください。僕も大変良い経験をさせてもらいました」
奏一郎の本心が出た瞬間だった。大変良い経験……負けを知って身につくこともある。それが今回の奏一郎の収穫といえるだろうか?
「私も奏一郎殿が居てくれたから後継者を選定することが出来ましたよ。この老体が後何年生きられるかはわかりませんが、また機会があれば是非遊びにいらしてください。私共も歓迎いたしますので」
老体とはいえ不老長命のエルフだ何歳かは知らないが、そう簡単に亡くなったりしないだろう。そう思って旅立つことを決意した。
出口からは林のような場所に出た……茂みから出るとカルーファ街道が伸び、フィエットへの道を記してくれている。
「エルフの隠れ里なんてあるんだなぁ……未だに実感わかないや」
ガレフが街道を歩きながら口を開く。エルフは稀少でジェフリー達と旅をしていたせいか、リストが居たので不思議には思わなかったがルーナとラストは歓喜していた。
「良いお土産話が出来ましたね! ラスト!」
嬉々として喜ぶルーナにラストは冷静に答える。
「貴重な体験をさせていただきました……これもアリス様のご加護ですね!」
この二人はホントに信心深いのだなぁ。フィエットまであと僅か……明日には目的のフィエットには辿り着けそうで一安心した。想定していたよりも二日ほど早い到着になりそうだ。
野営した翌日、フィエットへと到着した門番は警戒するようにルーナへとこう言った。
「おい! お前たち。今は教会のあるフィエットへの出入りは禁止だ!」
なんだろうこの緊張感は? 違和感を感じた奏一郎は聞き出す。
「あの、何かあったのですか?」
訝しげにこちらを見るもう一人の門番を他所に、ルーナが前に出ようとするのを奏一郎は左腕で抑えると黙って聞いていた。
「ノバラック教皇の体調が思わしくなくてな……次期教皇候補であるルーナ=エドワルド様もお姿を四日前に隠してしまわれて教会内部はてんやわんやの状態だ。ダリル神官がこのまま順当にいけば次期教皇候補から教皇様になるのは目に見えている事実だ。だからその教皇様が決まるまで街に出入りは出来なくなっているのだよ」
なるほど……ルーナを襲い帰ってくるのを遅らせて、その間に自分が教皇の座に就こうっていう魂胆か。しかし、今こちらとしてはルーナ自体が生きていて本人も一緒に居るという事で強気に攻めることが出来る。
そこでルーナがここぞとばかりに前に出る!
「次期教皇候補第一級神官ルーナ=エドワルドです。訳あってこの者たちと戻ってまいりました。それで⁉ ノバラック教皇は無事なのですか⁉」
焦ったように話すルーナは徽章を見せつける。
「ルーナ様でしたか⁉ これは失礼しました! ノバラック教皇の容態は我々一般の兵士には知らされておりません。詳しくは教会本部の方で伺っていただくのが良いかと……それにしても随分ボロボロの格好をしておられますが、何かあったのですか?」
門が開かれようとしているところでルーナが答える。
「ハルファで何者かに襲われました……そこでこの『明けの明星』の皆さんに護衛についてもらったのです」
開門されるとルーナを先頭にラスト、奏一郎と続く。
「ちょっとお待ちください! 街の中にウルフを入れるのは……」
どうやらペロに乗った彩花が止められたようだ……ペロは彩花を背に乗せ彩花の顔色を窺っている。進んでいいのかわからなくて戸惑っているようだ。
「私が許可します! これで文句はないでしょう?」
ルーナが今まで見せたことのないような威厳を見せている。ルーナにそう言われた兵士は「承知しました‼」と、一言言うと再び歩き始めた。
街は賑わいを見せているがなんだか忙しない空気を孕んでいた。道行く人は買い物をしているが何やら忙しそうにしている……何がこんなに住民を急がせるのだろうか? 考えているとルーナが一言言った。
「どうやら戒厳令を施行されたようですね……事態はそれだけ深刻ということですか……」
戒厳令? 頭の中で?が浮かぶ。戦争中という訳でもないのに?
「戦争状態でもないのになぜ戒厳令が? その戒厳令と街の様子に何か関係があるんですか?」
ルーナは厳しい顔つきで語り始めた。
「戒厳令というのはこの都市における戒厳令で、教皇様の身に何か起きた時にも発令されます。戒厳令が発令されると午後四時以降外出禁止になります……そして自宅に籠り教皇様のお身体が無事であるように祈るのです。でなければこのように民衆が急ぎ買い物をし、そそくさと帰路につくことはあり得ないのです……通常ならもっとゆったりとしているのが本来のこの街なのです。これだけ忙しないのはそういう事でしょう……」
冷静に分析されたその話はきっと本当なのだろう……つまりは戒厳令によって振り回されている民衆の姿がこれという事だ。この街の人間がどれだけ信心深いかはわからないが、余程信心深くないとただの迷惑でしかない。だからこうやって午前中だというのに忙しないのだろう……食料の確保、日用品、生活必需品というものは買いこまないと外出禁止になるのだから皆必死だ。
「つまりはこの状況は本来のフィエットの姿ではない……と?」
奏一郎の問いにルーナは大きく頷き、キリッとした目で教会本部であろう建物へと目をやる。
「行きましょう! 私たちのやるべきことをやってしまいましょう‼」
と、そこでエスタルトが言った。
「私たちのぉ、お仕事はここからが本番ってぇ、事ねぇ」
その通りだと思った……護衛として雇われたんだ。ここからルーナの身の安全を最重要視していかなくてはいけない。人ごみを掻き分け教会本部に辿り着くと、またも門番に引き留められるが……徽章を見せると「どうぞ、お通りください」と通された。
中に入ると静かで厳かだった。見回りの警備員に一礼され進んで行くと、突然ドタドタと騒がしくなった。一つの部屋に集中して人が出入りしている……。
「あの部屋はっ‼ 皆さん急いでください⁉」
ルーナは声を上げると駆け出した。静かだった廊下が走る音で満たされていく。部屋に入ると何人もの人物がベッドを取り囲むように立ちすくんでいる……この感じはもしかして。
「ノバラック様⁉」
駆け寄ったルーナを引き留める暇もなく、そこに横たわる人がノバラック現教皇だということを理解した。近くに居たものは端によると中から一人、坊主頭の僧侶が近寄って来る。
「ルーナ様⁉ 生きておられたのですか⁉ 何の音沙汰もなく消息不明になっておられたので、もしやお亡くなりになったのかと…………」
慌てるように出てきた坊主頭は、いったい何者なのかわからないでいたが……ルーナの事を案じているところを見ると敵ではないようだ。
「カインズ……私は今までハルファで視察に行った帰りに襲われ、ここに居る『明けの明星』の皆さんに護衛についてもらったのです。視察は良かったのですが帰りに襲撃に遭うとは思っておらず、帰りが遅くなったことは申し訳ないと思っています……それで? ノバラック教皇の容態はどうなのです⁉ 私が視察に出た時はそれほど体調が悪くはなかったはずです!」
矢継ぎ早に捲し立てるルーナにカインズと呼ばれた男は答える。
「それは大変でしたね。襲撃とはいったい誰がルーナ様の命を狙ったのでしょう? あまり考えたくはないですがやはりダリル神官でしょうか?」
余程そのダリルという男と仲が悪いのだろうな……別な派閥だっていう話だし、それで仲が良くないのだろうか?
「カインズ……滅多なことを言うものではありませんよ! ダリル神官がやったという証拠は何もないのですから。それで、容態はどうなのですか⁉」
焦りの色が色濃く見えるルーナは先を急がせる。
「そうでしたね……ノバラック様は今朝がた容態が急変し、今手を尽くしているところなのですが……芳しくありません。突然こんなに容態が悪くなることも不思議でして、もしかしたら毒を盛られた可能性も…………」
なかなかこのカインズという男は可能性で話してしまうところがいけないなと思った。
「ああ、そうでした……皆さんこのカインズはノバラック様の筆頭側仕えでして、ノバラック様の身の周りのお世話から医療行為まで多岐にわたる事をこなしてくれているのです。カインズこちらは『明けの明星』の皆さんです」
紹介してくれたところ悪いのだが、そんな悠長なことを言っていて大丈夫なのだろうか? ノバラック教皇の容態は芳しくないようだし、毒を盛られた可能性もあると言っていた……ここは、彩花の出番ではなかろうか?
「ご紹介ありがとうございます……しかし今はそれどころではないのでは? 私共の中に回復魔術に長けたものが居ます。一度試してみてはどうでしょうか? 毒の効果も解毒できると思いますよ?」
奏一郎がそう言うと。
「是非お願いします!」
そう二人に言われ彩花を派遣すると、救護班は見守るように円を描いて立ち尽くしている。その中心で彩花が回復魔法と解毒魔法を同時に使っている……これで大丈夫なはずだ。まあ、老衰の場合はどうしようもないのだが…………。
「お兄ちゃんこの人なんか嫌な感じがして回復魔法が効かないよ? 解毒魔法も毒に犯されている感じもしないし……どうしよう?」
嫌な感じ? どういう事だろうか? 詳しく聞いてみると。
「嫌な感じってどういうことだい? 何か回復してて気持ち悪くなっちゃったのかい?」
そう問いかけると彩花は大きく首を振り、横たわるノバラック教皇の胸元に手を差し入れる……何をしているのだろう?
「こらノバラック様になにをするか⁉」
カインズに掴まれ彩花がジタバタすると。
「違うの! 気持ちが悪いからこれを取ってたの⁉」
そう言って彩花は手にした謎のお札を取り出す……これはいったい?
「こ! これは⁉ サクソンフォードの呪詛ではないか‼」
呪詛⁉ 誰かがノバラック教皇を呪っていたという事か⁉ この部屋に入れたのはほぼ自由に出入りできただろうから、犯人の特定は難しいか……。それにしても今朝方に容態が急変したって話だから、昨日の夜もしくは前日に仕掛けられた可能性もあるな。
呪詛というものがどれくらいの効果があって、どの程度のダメージを与えられるものなのかというところからして知らない。奏一郎はその危険度がわからずエスタルトの方を見ると、エスタルトは一つ頷いて。
「サクソンフォードの呪詛はぁ、一般市民でも知ってるようなメジャーな呪詛でぇ……最悪その人物を死に至らしめるんだよぉ。効果のほどは人それぞれでぇ、老若男女問わず何かしらの効果があるって噂だよぉ……」
しかしそれはあくまで噂の域を出ない。確実に殺せる方法とは言えないのだ……それなら暗殺者でも雇って暗殺するか、薬剤に毒でも混ぜてしまえば簡単に殺せる。なのにそれをしなかった……。奏一郎はそれを疑問に思えて仕方なかった。
「もっと確実に殺す方法はあったんじゃないかな? なんでそんな呪詛なんていう不確実な手を取ったのだろう?」
不思議そうに話す奏一郎に、エスタルトはこう切り返した。
「目的がぁ、死に至らしめることとは限らないんじゃなーい? 死んでくれればラッキー、そうならなくてもぉ体が弱ってくれれば御の字。確実にこっちの派閥には大きな影響を与えることが出来るのはぁ、事実なわけじゃない?」
なるほど……そういう考えもあるのか。派閥的にダメージを与えることが出来ればそれだけで向こうの派閥にとっては利になるということだ。派閥が揺らげば離反するものも出てくる……そうすれば自然と派閥も瓦解するという訳だ。なかなかに賢い判断だ。
「その場合こちら側にはどんな被害がありますか?」
ルーナの方を向いて聞いた奏一郎に答えるカインズ。
「こうやって床に臥せっているだけでも大きな打撃になっているというのに、これ以上は想像もできないほどのダメージになりかねないぞ! ルーナ様! ここはルーナ様が先陣を切って指揮を執ったほうが良さそうではないでしょうか?」
カインズが悲痛な叫びを上げる。ルーナはジッと押し黙り周りの様子を窺った後、大きく声を上げた。
「カインズ、ラスト! ここからは私が指揮を執ります。ノバラック様に安心して静養していただけるように、私が引き継ぎます! ノバラック派の陣頭指揮は私が執り形勢を維持します‼」
するとカインズとラストが「ははっ‼」と声を上げ部屋から出て行くと、二手に分かれ走って行った、残されたルーナと奏一郎一行は心配そうに横たわるノバラック教皇を見つめていた。始めに見ていた時よりも心無しか表情が穏やかだ……これは呪詛の掛けられたお札を剥ぎ取ったからだろうか? いつまでも彩花が握っているお札を見て奏一郎は。
「彩花、それはもう燃やしてしまおう。持っているのも嫌だろう?」
そのやり取りを聞いてルーナは。
「お待ちください彩花さん! それはノバラック派には必要な証拠なのです。燃やされてしまっては困ります⁉」
それもそうか……しまった。自分のしようとしていたことに反省する奏一郎。彩花はポカーンとしていたが、とりあえずギュッとお札を握りしめた。するとエスタルトが言った。
「サクソンフォードの呪詛は対象の相手に貼り付けることによって効果を発揮するのぉ。彩花ちゃんが剥がしちゃったからもう効果は無いけど、また貼り付けたりしたら発動しちゃうから扱いは気をつけてねぇ」
なるほど、対象の人物のみに効くのか……それなら彩花が持っていても大丈夫か。一安心するとルーナが彩花に言った。
「彩花さん、そのお札……私が預かっても良いですか?」
待てよ? これをルーナに持たせたら、ルーナの命を狙ってくる連中が居るかもしれない……それを予見した奏一郎は言う。
「待ってください。そのお札は僕が預かります。何か使う時には僕も同席させてください! もしこれをルーナに渡してしまえばルーナの身に危険が付き纏うことになりかねないですから…………。なのでこれは僕が持っておきますね」
そう言って彩花に持ってこさせるとポケットにしまい込む。これで一時的には問題は無さそうだ。そこからはルーナが段取りとして同じノバラック派の人間である五人の一級神官と話し合った結果、翌日に全体会議を開いて公開することを決めた。
さらにその話し合いで一級神官たちはルーナを次の教皇候補に推すことを決定した。一級神官は全体で八人おり教皇のサポートや今回のルーナのように、地方へ視察に行ったりと忙しいのである。他にも地方を回って布教活動をしたりなんかをするらしい。そうそう出来る事ではない……ましてや信仰心なんて持ち合わせていない奏一郎には目から鱗な話だった。
翌日、午前九時、神官の間での出来事。そこでは激論が繰り広げられていた。
「誰がサクソンフォードの呪詛など教皇様に仕掛けたのだ⁉ お前たちダリル派の仕業であろう? どういうつもりだ⁉」
頭が禿げ上がった男が怒鳴ると、それに対して対抗するように大男が声を上げる。
「何を言うか⁉ そんな証拠どこにあるというのだ⁉ あるならここに持ってこい‼ 見せてみろ⁉」
もはや子供のケンカのように行き交う怒号…………それは終わりが見えない会議の様子だった。
「ダリル一級神官が昨日の朝コソコソと出て行ったという噂もあるぞ‼ そのダリル神官は何処に身を隠した⁉ 重要なこの会議に出席しないとはどういうつもりだ! 雲隠れしたでは話が通らんぞ⁉」
確かに当人が居ない場での話し合いなど無意味に近い。重厚な壁を突き抜けそうな怒号はますますヒートアップする。荘厳な神官の間には似合わない光景だった。
「ダリル様は身体の調子が悪くて自室で静養されている。この場に現れないのはそういうことだ。これから次期教皇を決めるという大事な時期だ……お身体の心配をして何が悪い?」
ローブに髭の男が言うとノバラック派は黙ってはいなかった。
「教皇様がまだお亡くなりになった訳でもないのに、次期教皇など片腹痛いわ! 出直してこい! 仮にこれからの事を考えるならルーナ様一択だ‼ ダリル神官などもってのほかだ……政策が極端すぎる⁉」
政策という面で言うと支援を打ち切ったり、無駄を省くことも必要だが……そのためにはなにがしかの代替案が必要になってくる。ダリル神官の主張にはそれが無いのだ。自分たちの良いように主張することは簡単だが、それだけでは民衆は納得しないものだ。
「ダリル神官はこの国及びアリス教徒の未来を考えての事だ! お前たち凡人には理解出来ないだろうがな⁉ この国やアリス教を経済的に圧迫していると何故わからん‼」
言いたいこと……言わんとしていることはわからなくもないが、では取り残された者たちはどうなるのだろう? 仮に冒険者になったとして経験も何もない状態の意図しない異世界転移でどれだけの人間が生き残れるだろうか? 今まで剣も握ったことも無ければ、モンスターと戦ったこともない人間だ……もし、彩花のようにチート能力があったとしても生き残れるのはごく一部。それこそ選ばれしものだけになってしまう……そして召喚されるのが何処に召喚されるのかわからない場合もある。そういった時に奏一郎と彩花はジェフリーたちと出会えた……だから生き残れたといっても過言ではない。
彩花だけならば生き残れる可能性もある、しかし齢六歳でどんなことが出来るだろう……一人ぼっちで右も左もわからず、やはり生き延びることは難しい。
経済観念を鍛えて商人になるという手もある。それ以外にもどこかの下働きをして生きていくということも出来なくはない……しかし、召喚者の殆どは帰りたいと願う人が多いと聞く。奏一郎や彩花も例に漏れず帰る方法を探しているのだから、気持ちはわからなくもないし……帰れずにいる召喚者の気持ちを考えると、どうしてこんな世界に来てまで苦労をしなくてはいけないのだろうか? という気持ちもよくわかる。
「勝手に召喚しておいて後は知りませんでは無責任すぎませんか? 私はこの世界に呼んでしまって、帰る方法もない。そんな中、右も左もわからない状態で生きているならばアリス様の教えに従い救いの手を差し伸べるべきだと思います!」
ルーナが真っ当な意見で切り返すと。
「しかしですなぁ……経済的余裕などないのですよ? そんな中、他所から来た民のために割くような金は無いのですよ⁉」
そう捲くし立てる男にルーナは冷静に伝える。
「お金の問題ではありません……人の命の話をしているのです! 人の命はお金で買えるのですか⁉ そのような教えはアリス教にはありませんよ? アリス教教義第二章十一節をお忘れですか? 『汝、隣に居るものを敵と思うなかれ、それは汝の友であり家族であり戦友である。戦友に友に家族に刃を向けるべからず、本当の敵は貴方自身の中に居る』あなたたちは今そのような状況に居るとは思いませんか?」
ルーナの問いかけにダリル派は黙りこくってしまった。私利私欲のために誰かを犠牲にして、私腹を肥やすようでは神官の名が泣く。しかし、ダリル派はそれをやろうとしているのだ……ルーナはそれを止めようと次期教皇にと、立ち上がったのだ。自分がこうしたいという事もあるだろうが、それをとりあえず抑えて自分たちがどういう方向を向き。どういう動きをするか。それがしっかりしているルーナは強い。
「あなた方の申すことは自分たちの事でいっぱいのように聞こえます。それでは教えに反してはいませんか? 本当にアリス教の事を思っての発言なのですか⁉ 自信を持って、胸を張って言える人はどれだけ居ますか? この僅かな人数の中でも少ないのでしょうね……ならば私は戦います‼ あなた方が折れるまで語り合いましょう……時間の続く限り!」
胸を張って言い切ったルーナに反論する者は誰もいなかった……いや、反論できなかったというべきだろう。ルーナの熱意に押されたのか何も言わないダリル派の神官たち。
「これからは私が教皇代理を務め纏めて参ります。これはダリル神官には申し訳ないですが、このような重要な会議の場に居られないのはご自身の責任です! 強硬だと思われるかもしれませんが、サクソンフォードの呪詛によりノバラック教皇はとても弱られております。そのような時の為に私共は居るのです……この苦境を派閥など気にせず、皆で乗り切りましょう‼」
そう言って会議が終わろうかという状況でルーナの独壇場だったなと思っていたが、このタイミングで扉が開かれる。奏一郎たちは警戒するとそこにはヒョロっとした長髪で金髪の男性が入って来た。
「困ったものですねえ……私が居ない間にそのようなことを勝手に決められては」
奏一郎たちは、誰だこの男は? そう思いながら行く末を見守った。
「ダリル神官……大事な会議に遅れるとは、どういうつもりですか?」
ルーナが言うにはこの男が一級神官のダリルのようだ。しかしこんなに会議に遅れてやってくるとはホントどういうつもりなのだろう?
「何日も帰ってこなかったかと思っていれば今更になって帰ってくるとか、どういう神経しているのやら……私はてっきり死んだものだと思っていましたよ? それなのにこうやって帰って来たかと思えば、自分が中心になって教会を担う? ちゃんちゃらおかしいですよ!」
なぜ死んだと思われたのか? まあ、生き残って逃げ延びていた兵士が襲われたことを報告すれば、死んでいるかも? と、思う事もあるだろう。しかしだ、ルーナとラストの話によればどこに行ったかはわからないという状況……生き延びているかもわからない。兵士が生き残っていても戻ってくるとは考えにくい……殺されかけるような職場に誰が戻りたいと思うだろうか? そういうもの好きも居るかもしれないが…………。
「…………私が生きていたことがそんなに残念ですか? 私が中心となることがそんなに障害ですか⁉」
まあ、あんなことを言われて良い気分はしないだろう。ルーナもよく耐えていると思う。
「そのようなことは一言も言ってはいませんよ? 私は無断で連絡もなしに帰ってこなかったというのに、仕切っているのがどういう気持ちのなのかわからないのですよ……一つご教授願えますか?」
小バカにしたような態度のダリルはゆっくりとテーブルにつく。ルーナはワナワナとして怒りを抑えながら冷静に言った。
「自力で生き延びて帰って来たことに対して文句を言われる筋合いはありません。それにこうやって堂々と遅れてくるような方に仕切りがどうとか言われたくないものですね……」
そう言って皮肉を言うとダリルは開き直って言う。
「私はただの体調不良ですよ……自室で休んでいたのです。それの何がいけないというのですか? それにたかが十三の小娘に教会の事を仕切れるとは思えませんがねえ……。何を思ってこのような小娘に未来を託そうというのか……教会の未来を真剣に考えているとは思えないですな!」
そんな……年齢で教会の未来を考える事が否定されるのは納得がいかないだろう。なぜならそこは信仰心で決めるべきであって年齢は関係ないのが本当のところだと思ってしまうのは奏一郎だけではない筈だ……ゴドルフィンやガレフも何か言いたげな顔をしていたがジッと我慢しているのだ。
「信心深さに年齢は関係ありません‼ 私がこれだけの事をやっているのは信仰心の賜物です。それを見下したりする行動や言動は教えに反していますよ……直ちにおやめください!」
毅然とした態度でいうルーナはとても十三歳には見えなかった。幼さの残るその顔と相反した発言、とても立派でいろいろな人々の事を想っていることがわかる。その為に地方を視察しているだろうことは明白で、その頑張りは報われるべきだと奏一郎は心から思った。
そして会議は平行線を辿ることになる……それが教会内部の実情と、入り混じった黒い思惑の結果なのだろう。
翌日も会議は開かれた話が平行線なのは変わらず、何かにつけてルーナのやろうとすることを糾弾している。この話し合いは無意味だ……心底そう思った奏一郎は一言だけこう言った。
「皆さん、話し合うのは構いませんけど……論点が纏まってないんですよね。ルーナが言っていることに対して批判するのは、それはそれでいいと思います。でも批判している皆さんの言っていることは、ルーナの草案に対しての批判ではなくて……ルーナ自身への批判なんですよ。それじゃ、話は一向に進まないですよね? 言ってることがわかりますか?」
いい年をしたオッサン連中が挙って十三歳の女の子を罵る姿は、正直言って気持ちのいい物ではない。そんな中での奏一郎の発言で部屋の空気は凍り付いた。
「外野は黙っていて欲しいものですな!」「教会の何を知っているわけでもないのに口を挟まないでもらいたい!」「小娘風情を担ぎ上げてるのだから批判されて当然のことなのが何故分からん⁉」
という、集中砲火を浴びることになってしまった……ルーナの手助けが出来ればと思って発した言葉はより強固な炎となってこちらへ返って来た。
「皆さん落ち着いてください! 私の雇った冒険者が出過ぎた真似をしてしまい申し訳ありませんでした……」
場を収める為にルーナがとったのは謝罪だった……奏一郎はそんなことをしてほしくて発言した訳ではない。それはみんなわかっている。しかし……だ。話し合いというこの場では頭の凝り固まった連中には火に油だったのだ。口撃をさせるためのチャンスを与えてしまったのだ。
そんな中寡黙に黙り込んでいたゴドルフィンが口を開いた。
「どいつもこいつも玉の小せえ連中だなぁ……十三の娘がそんなに気に入らねえのかよ? これは所謂老害ってやつだな……若さが羨ましいのか? それとも弱い者いじめが楽しいのか? どっちにしても小せえよな。なあ奏一郎‼」
「小さい、小さい!」
ガレフも一緒になって言ってくる。これは二人からのアピールなんだろうなぁ……仕方なく奏一郎も。
「確かに小さいね! 彩花の方が余程聞き分けが良いよね。七歳児より小さいって、どういう事なんだろうね? しかもいい大人が寄って集って一人の女の子をイジメるなんて最低だね‼」
そうやって言ってやるとざわざわとし始めた……やれ「なんだこの失礼な奴らは⁉」だったり「ルーナ様は我々ノバラック派の大切な神官だ! 今までの非礼を詫びろ‼」といった感じで騒ぎ出す始末……いい大人が何をしてるんだか? そんな中沈黙を守って来た彩花が大きな声で言った。
「もう! みんなうるさい! 静かにして‼」
そう言って誰もいないところに雷魔法を放った……雷は地面に落ちるとドーンという大きな音と共にパリパリッという音を残して消えた。近くという程近くもないが神官の一人が「あわ……あわわ……」と怯え、一気に神官の間は静まり返った。
「無詠唱魔法だと……この方々は召喚者ですかな?」
ダリルが冷静を装って聞く。召喚者だったらなんだというのか? 別に教会に保護を求めている訳でもない……奏一郎たちに疚しいことなど何もないのだ。
「彼らは『明けの明星』の皆さんです。召喚者である奏一郎さんや彩花さんを筆頭になかなかの実力者ぞろいですよ……」
ルーナが応えると眉をピクピクさせながらダリルは言った。
「このような無粋な輩をこの神官の間に入れるとは、困ったものですねぇ……これは明白な脅迫行為ですよ! 自分たちの良いように進められるようにこの者たちを雇ったのでしょう? どんな言い訳をしたところでその事実は隠せませんよ⁉」
そんな訳ないじゃないか? 俺たちはルーナの護衛を頼まれただけで確かに依頼料は破格だったけど、今のところさほど護衛として以外は役に立っていない。
「……それではこの者たちに聞かれてはマズい話でもあるのですか? 彩花さんが放った雷魔法だって無人の場所に落ちただけですよ? それを脅迫というならばあなた方が今私にやっている行為も、侮蔑以外の何者でもないですがそれは許容されるのですか⁉」
ルーナの中には今までと違って怒りがこもっていた。ルーナにとっても仲間意識が生まれているのか仲間を馬鹿にされていることが許せなかったようだ。まあ、短い時間ではあるが濃密な時間を共にしてきた仲間だ……それを馬鹿にされたら誰だって怒るくらいはするだろう。
「そうカリカリしないでくださいな。私だってこんなこと言いたくはないのですよ? でもねぇ、ここに居るのが私だけならいいのですが……如何せん他の神官たちもいるのでねえ、恐怖する者もいると思いますよ? 私は大丈夫ですがね!」
私はと強調するところが逆に強がっているようにしか見えない……神官といっても所詮は人の子、見栄っ張りなんだな。そしてなんだか言いづらいが三下感が強い。
「もしかしたらルーナを襲ったのもダリルさんだったりして……」
奏一郎がそう疑問を口にすると。
「なな! 何でそうなるんだ⁉ 私がやったという証拠でもあるのか!」
思っていた以上に動揺を見せるダリル……こんなもの自分が犯人ですよと自供しているようなものだ。
「いやあ、証拠なんて立派なものは無いんですけどね……さっきまでのルーナへの言動や行動を見てると怪しいんですよね……。」
と、カマをかけてやるとまるで子供のようにダリルは言った。
「証拠も無いのにそんなこと言っちゃいけないと教わらなかったのか⁉ 全く失礼極まりないな……何があったかは知らないがなんでも私のせいにされては困るのだよ‼」
ダリルじゃないのか? もしかしたらダリル派の誰かの仕業の可能性もある。それか、しらばっくれているかどうかなのだが……それを確かめる手立てはない。
「証拠はありませんが雇った人間ということも証明できないではないですか⁉ 疑わしきは罰せずともいいますが、あまりにもこう立て続けに事件が起きては疑わざるを得ないですよ……私の襲撃然り、ノバラック様の呪詛然り、あからさますぎます!」
それはその通りだと思う、だがしかし…………あからさますぎるという言葉に疑問を持つ奏一郎。誰かが罪を擦り付けようとしている? そんな言葉が頭をよぎる……。だが、これもまだ推論の域を出ない。結論付けるにはまだ早い。
「そ、そんなこと言われたって私は知らない⁉ 知らないのは事実だ! 信じてくれ⁉ そんな奇襲を掛けるなどという恐ろしい事、わ、私に出来るわけないだろう⁉」
これが演技か……はたまた本音か? それはわからないがこの男は要注意、奏一郎たちの仕事はルーナの警護だ。危険分子と思われる人物には気をつけなくてはいけない。
「では、何故ノバラック様の部屋から出てきたなどという話が出てくるのですか? いったい何をしていたというのですか?」
核心をつくセリフに皆注目する。
「あ、あれはそうだ。体調を心配して人の少ない時間に見舞いに行っていたのだ。言っても敵対派閥の長だ……おいそれと会いに行く訳にはいくまい。だから、そんな時間になったのだ。そう言えば、それを言うなら私が訪れた後にカーラム神官とすれ違ったぞ。」
カーラム神官? 誰だそれは? 突然出た名前に驚く一行。
「カーラム神官は独自路線を行く新しい一派です。第三勢力といっても過言ではないでしょう。しかしなぜ三級神官のカーラムさんがノバラック様の下へ? 彼はお付きの当番でもないでしょう?」
ルーナの疑問も当然で三級神官までがお付きの任務を任されるのだが、当番でもない人間がそこに居るのは不自然そのものである。
「カーラムがそこにいた理由など私にはわからないが、アイツが当番なのだろうと思い込んでいたからな。気にも留めなかったぞ? 行った先はすれ違ったからな角部屋のノバラック殿の下に行ったのだろうな」
そう言うダリルは自分は何もしなかったとアピールする。バレるのが嫌で嘘を口にしているのか……それとも本当にすれ違ってそのカーラムという男が呪詛をかけたのかもしれない。
いずれにしても判断材料が少ない。今はまだ判断すべき時ではないなと奏一郎は感じていた。
「カーラムをここに呼べ! 聞き出したいことがある!」
ダリルの怒りに任せた一言が室内に響いた……が。
「ダリル殿! カーラムは三級神官です! この部屋への入室は禁止ですよ⁉」
客人扱いの奏一郎たちはともかく、同じ教会内の人間が規則を破ってしまうことは許されないのだろう。訓戒というものがある以上それを守るのが信徒というものなのだろうな。
「ええーい! では、仕方がないカーラムの下へ行くぞ‼ 三級神官ごときがこの私に罪を擦り付けようとするなど許せん! 懲罰房送りにしてやる⁉」
そう息巻いて飛び出していくダリル、どこにいるのかわかっているのだろうか? 奏一郎はそう思いながら飛び出していったダリルを見送る。ルーナもポカンとしたまま会議の途中だというのに出て行ってしまったダリルを見守った。これで解決してくれるなら良いんだけどなぁ……そうはいかないのだろうなぁ。
「ルーナ…………会議は一旦これで終わりにしようか? どうせすぐには帰ってこないだろうし……」
こうして教会に帰ってきた奏一郎たち一行は、忙しない二日を過ごした。これでもかという程のルーナへの批判や、奏一郎たちに向けられた白い目が印象的な二日だった……それにしてもノバラック教皇の意識は戻るのだろうか? 明日には目覚めるかもしれないし、もっと先になるかもしれない……それでも希望を持って明日へ望むことが奏一郎たちに出来る唯一の事だった。