後編
オリエンテーションは、フィールドワークである。
学園の管理下にある森を走破し、数か所あるポイントを巡って印を集め、出発地点に戻ってくる。ただそれだけであるが、契約獣とペアを組んだ同級生との絆づくりが目的であった。
とはいえ、森の中には肉食の獣も居るし、少ないながらも魔物がいる。
強い個体は年に数回の教員総出の討伐で狩られ、卒業間近の生徒たちの演習でも駆逐されているので、弱い魔物が残っていても比較的安全な行程である。
なにしろ契約獣は可愛い小動物の姿をしていても、その辺の魔物より強い魔法生物なので、野生生物の方から逃げてくれるのだ。
とはいえ、まだ契約獣とのきずなが淡く、使える魔法が少ない新入生たちにとってはちょっぴり危険なイベントでもある。
と、いう訳でエリスとアレスは森の中をテクテクと歩いていた。
座学に関する謎を解き、運動面を試されるポイント巡りもあと一つを残すだけである。
「すげーすげーと思ってたけど、エリスって頭いいよな」
「ゼヒューゼヒュー」
「エリスが問題を解いて、俺が罠を抜けてクリア」
「ゼヒューゼヒュー」
「思ったより俺ら、良い感じじゃね?」
「ゼヒューゼヒュー」
返事にもならない荒い呼吸が「ゼヒューゼヒュー」と続いていることに、アレスはあきれた表情になる。
杖代わりの木の棒を突きつつヨロヨロと前に進むエリスの汗まみれで真っ赤な顔に、なんだかなぁとため息を漏らした。
「契約獣と体力とかもろもろを分かち合えば、ウンチでもそこまで疲労しないのにな。バカじゃね?」
「……う……ウンチって言わ……ないで……」
運動音痴ではあるが、ウンチは嫌だ。そんな短縮はしないでほしい。
それに疲労困憊しているのは運動音痴だからではなく、体力がないだけである。
勉強一筋だった今までの人生が、完全に裏目に出ていた。
そして、頼みの綱になるはずだったエリスの白蛇は、絶賛家出中であった。
昨日の夜まではエリスの三つ編みをガジガジと嫌がらせのように噛んでいたのだが、今は姿を見せない。
「仕方ないの……私が考えた名前、全部全部嫌だって言うんだもん」
ずっとずっと、子供の頃から楽しみにしていたのだ。
自分だけの契約獣を夢に見て、想像を膨らませて、可愛らしくて愛らしい名前にしようと思っていたのだ。
それがどうだ。候補の名前を書いた紙のすべてを尻尾で床に落とされ、べしべしと鞭のように叩いてビリビリに斬り裂かれたのである。
ショックであった。
そして、エリスは切れた。
キーッと地団太を踏みながら「なら、どんな名前が良いって言うの?」と尋ねたら、白蛇は歴史の教科書を引っ張り出してきてビシッと尻尾で名前を指示した。
クリスティーヌ。
それは、建国の女王の名前である。
国の礎を作った、武勇に優れる女帝の名前だった。
初代剣聖で、8人もの子供を産んだ賢母でもある。
ドヤァと胸を張る白蛇に、エリスが青筋を立てて「不敬が過ぎるわ―!」と叫んだのが昨日の夜の出来事である。
白蛇はそのままプイッと尻尾をフリフリ窓から抜け出していなくなったが、オリエンテーションにエリスが出るのを先生に止められなかったので近くに居るのは確かだが、姿は見えない。
「まぁ、エリスの気持ちもわからんでもないけどさぁ。契約獣の気持ちが最優先じゃね? そうでなくても蛇とは絆を育てづらいもんだって言うぜ? あんまり押し付けてると、あの蛇ちゃんに見限られるぞ」
う……とエリスは言葉を失った。
女帝の名前を契約獣に付けてはいけない、なんて法律はないのだ。
ただエリスの中にある常識が「ダメ」出しをしただけである。
物心ついてから候補を集めていたので、すべてを蹴られてしまったことへの半ば八つ当たりだった。
「本当は、エリスだってわかってるんだろ? 蛇ちゃんに見捨てられたら、魔法学校も退学だからな。媚びたり下手に出る必要はねーけど、立場は同等ってのを忘れちゃいけないと思うぞ」
契約獣は基本的に温厚で従順で契約者の良き友である。
家出したり反抗したりといった行動は、よっぽど腹に据えかねた時だけなのだ。
脳筋のくせに知性的にまっとうな事を語るアレスに、エリスはしょんぼりと肩を落とした。子供っぽい思考だった自覚があるので、すがるように手にしていた杖をグッと握りしめて押し黙る。
「まぁ、喧嘩するほど仲良くなるって言うし、おまえらも俺らと一緒で良いパートナーになるぜ。多分な! なぁホーレンソー」
バウッとはもった魔犬の返事に、エリスは眉をしかめた。
三頭のそれぞれの首に「ホーガ・レンゲ・ソーハ」と名付けたと聞いたが、こういう時にまとめて短縮するのはいただけない。
笑っていいのか、突っ込んでいいのか、同じ年代の子供と関わりの薄かったエリスは反応の仕方に困ってしまうのだ。
「ホーレンソーは私の中ではナシなんだけどな」
バウ? と首をかしげる心底平和そうな顔に、エリスが折れるしかなかった。
ホーレンソーは有りなのだ。猛々しい三つの顔がほわほわゆるむくらい気に入っていそうだから、アレスの言う通り当事者の気持ちが一番なのだろう。
「あ、あったぞ。今度はなんか面倒くさそーなパズルだ」
崖下に設置された石の台に親指ほどのピースがバラバラに置かれている。
その枠の模様といくつかのピースに刻まれた単語に、ピンときたエリスはパーツを当てはめ始める。
「ほら、神殿で最初に歌う詩歌だよ」
「え? そんなの習ったっけ?」
「これは一般常識ですー!」
もぉ! と頬を膨らませるエリスに、アハハとアレスは笑った。
本当に入学試験で受かったのかしら? と思うほどわかってない顔をしているアレスにちょっぴりイラッとしたが「俺ってホーレンソーとの契約が先だから強制入学なんだ」とあけすけに事情を語られて、なんだか返り討ちにあった気分になる。
立ち止まったことでやっと息が整ってきたエリスは全部のピースをあっという間にはめ終えると、台の表面がチカリと光って手のひらサイズの鍵が現れた。
土台に刻まれた地図が崖上にある鍵穴を示していたので、アレスはそのカギを手に取った。
「パパッと行ってくるから、エリスはここで待っててくれ」
「え? 一緒に行けば良くない?」
「さっきまで倒れそうになってたやつは休んでろ」
担いでいた二人分の荷物をその場におろして、アレスは駆けだした。
ひょいっと身軽に崖に飛び移り、羽でも生えたような身軽さでスイスイと昇っていく。ホーレンソーもその後をついて、ピョンピョンと飛び跳ねながら崖を駆け上っていた。
崖の横にある細い昇り階段に向かいかけていたエリスは、遠ざかる少年をポカーンと目を見開いて見送る事しかできなかった。
ヤギの崖上りは見たことがあったが、人や犬に出来る技だとは思ってもみなかった。
「に……人間じゃないわ」
少々失礼なことをつぶやきながら、置き去りにされた荷物の横にぺたんと座り込む。
ズケズケと喋るし落ち着きはないけれど、アレスは優しいと思う。
今日もヨタヨタと歩くエリスの背から「寄越せ」といって荷物を奪って二人分も担いでくれたし、そこまでしてもアレスに追いつけないエリスに杖を用意してくれたし、足場の悪いところは手まで引いてくれた。
今もきっと、エリスの疲労困憊ぶりを見かねて、一人で崖をのぼっていったのだ。
なんだか情けなくなって、エリスは膝を抱えた。
アレスには現在進行形で迷惑をかけているし、クラスにまったく馴染めないし、契約獣の白蛇は絶賛家出中である。
上位の学校に通うのは夢だったし、知識をドンドン取り込むことはできるけれど、それだけじゃ駄目なんだ。
なりふり構わず勉強さえできれば良いと思ってきた今までが通用しない現実に気付いてしまい、コミュニケーションとチームワークが必要とされる魔法学校に、過去まで否定された気持ちになっていた。
「だめだなぁ」
小さくつぶやいた後で、ギョッとして顔を上げる。
不穏な気配が森の奥から近づいてくる。
静謐な森の空気が乱れて居るのを、チクチクと軽く棘に刺されるように感じる。
こういった違和感を感じる能力はあったが、だからといってエリスに立ち向かう術はない。
手に持っている杖はしょせん木の棒で、エリスは鍛えていない商家のお嬢ちゃんなのだ。
逃げようにも、エリスは勉強しかできない地味亀で、疲労困憊しているので歩くだけで足ががくがく震えたままであった。
どうしよう? と崖の上を見上げたが、アレスの姿はとっくに消えている。
今頃はあの鍵を使って、最期の課題を解いたことを証明するなにかを得ているはずだ。
いままではホーレンソーがいたことで、獣も魔物も近寄ってこなかっただけなのだ。
怖い……とブルブル震えながら背を崖にピッタリつけて身を小さく縮こませたが、隠れる場所はなかった。
森の奥から姿を現したのは、野犬サイズの肉食の魔獣だった。
大きさこそここには居ないホーレンソーと似たサイズだが、その眼に宿る食欲は狂気に似ていた。
その視線はエリスを捕らえ、デロリとはみ出た舌からはヨダレがしたたり落ちている。
ひぃっと小さく悲鳴を上げて、エリスは杖を両手で握りしめる。
戦わねば。戦うって。でも、どうやって?
混乱する思考の中で、ふと、思い出した。
今、呼ぶべき名前があった。
今、呼ばねば一生呼び損ねる名前がある事を、思い出したのである。
「お願い! 助けて、クリスティーヌ!」
ズザァァァァッと派手な音を立てて、巨大な影がエリスの前に躍り出た。
白く長くしなやかにしなるその肢体は壁のように立ちふさがり、エリスに牙を剥く獣をシャーッと派手に威嚇する。
そして、パクン、と大きなその口で、魔物を飲み込んだのである。
エリスは大きな目を更に大きく見開いて、口をポカンと開けていた。
頭の中は真っ白で、現実から逃避していたともいえる。
一晩の家出で、まさか、見上げるほどに巨大化するなんて聞いてない。
しかし、振り向いたつぶらな赤い瞳も、白く艶々した真珠色の鱗も、間違いなくエリスの契約獣であるクリスティーヌだった。おかしいのはサイズだけである。
「ク……クリスティーヌ……?」
なぁに? とばかりにあざとく可愛らしい仕草で首を傾げた巨蛇だが、その口からはペロンと魔物の尻尾がはみ出ている。
シュールな状況に気付いて、エリスは意識を手放した。
パタンと倒れた相棒の姿に、やれやれとあきれたように首を振り振り近づくと、シュルシュルと小さくなってエリスの身体の上で丸くなるクリスティーヌであった。
目覚めた時は、保健室のベッドの上だった。
エリスはおそるおそる周囲を見回してみる。
補助いすに座ってウトウトとしているのがアレスで、その足元でホーレンソーが丸くなっていて、二人分の荷物も床に置いてあった。
アレは夢だったのかしら? などと考えながら、枕もとを見るとクリスティーヌが丸くなっていた。
つぶらな瞳が赤く澄んで、大丈夫? とばかりに鎌首を持ち上げる。
言葉はなくとも、心配されていることが伝わってきて、ほぅっと息を吐き出した。
どこまでが夢でどこまでが事実かはわからないけれど、クリスティーヌは両手に乗るサイズの小さな蛇で、見上げるほど大きな壁になっていたあれは、やっぱり極限状態の恐怖が見せた幻覚に違いない。
生まれて間もない契約獣が、伸縮自在になるなんて前例もないのだ。
そう結論付けたエリスは、相棒の蛇に「ありがとう」と「ごめんね」と小さく伝えるエリスだった。
その声に目を覚ましたアレスだが、今までのよそよそしさが払しょくされた相棒同士の微笑ましいアイコンタクトに、イラッとしたようだった。
サッと身を起こすと同時に、エリスの額を、ベシン! と手のひらで軽く叩く。
「おまえ、何度も気絶すんなよ! 意識のない人間を背負って、荷物を二つも持たされて、延々と山と森を越えるなんて、マジで冗談じゃねーぞ! 二度としないからな! おまえ、鬼畜なのか?!」
「いたっ! やだ、叩かないで! だって、わざとじゃないもん。魔物が出て! 魔物が出たから怖くて! クリスティーヌが来てくれたけど……助けてくれたのは、クリスティーヌ……なの……?」
あれぇ? と気がつかなくて良い事実にエリスが辿り着く前に、その鼻をアレスがつまんだ。叩くのがダメなら思い切りつまんでやるとばかりに、鼻だけにとどまらず頬まで両手でフニフニとつまみ始めた。
「俺があんなに大変だったのに、間抜けな顔で、のんきにフニャフニャ笑いながら、ぐーすか寝やがって! この! この!」
「やだー! 助けて、クリスティーヌゥ!」
知らんよとばかりにプイと横を向く白蛇と、仲良しねぇとばかりに口元を緩ませる三頭犬に囲まれたふたりを止める者はいない。
喧嘩と呼ぶにはいささか不似合いなじゃれあいが終わる事がなく、うるさすぎると保健室の医師に追い出されるのもすぐのことである。
こうしてエリスの学校生活は、想像していたよりもずっと賑やかなものになっていく。
けれど、和解して信頼はしても相棒のクリスティーヌが生理的に苦手な蛇であることには変わりないし、ペアを組むアレスは考えるよりも動くタイプで、じっくりのんびり考えるタイプのエリスは調子を乱されてばかりである。
ひぃ! とか ひゃぁ! とかの悲鳴は定番で、驚きに気を失うことも度々あるから、騒がしい凸凹ペアとして有名人となっていった。
ガリ勉眼鏡とか、地味亀とか言う悪口を知る者は最初から学校にはいなかったけれど、そんな風に呼ばれていたことを話しても誰も信じてくれない。
「あの愉快な二人組ね!」なんて噂される日々に、エリスは今日も心から笑えないのであった。
【 おわり 】