亀裂・1
霊峰ゴバンガは大陸有数の山脈であり、峰付近には常に雪が降り積もっている。過酷な環境ゆえ生息するモンスターは少なく、普段から戦闘を苦手とする冒険者のルートとなっていた。だが、多数のモンスターの代わりに厳しい自然が彼らの行く手を阻む。山の天気は変わりやすく、吹雪や雪崩が発生することもざらだ。十分な装備と山の知識を身に着けたものだけが、無事にゴバンガ山を超え古都ヴァルナールへとたどり着くことができる。
周辺の植生がだんだんと変わりつつある。明るい緑色の木々は影を潜め、深緑の針葉樹林が生い茂るようになってきた。ジャックは上着のフードを目深にかぶり、寒さに身震いする。
「ううう……さすがに風も出てきたな」
「かなり高いところまで登ってきましたね。今日は早めにキャンプを設営しましょうか」
そう言うテオドアも、コートの裾を合わせ震えている。グラニアの町でメガネを新調したのだが、つるの部分が耳にあたり冷たいということで外してしまっていた。男二人に比べ、ルーシーは比較的大丈夫そうだ。変わりゆく景色を観察しながら、一人で先を行く。
「あいつ普段から重装備だもんな。いいなあ鎧、あったかそうで」
そうつぶやくとジャックは大きなくしゃみをした。木々に止まっていた鳥たちが驚いて飛び立ち、木から雪の塊がぼとぼとと落ちてくる。そのうちの一つが、ルーシーの頭に当たってしまった。
「きゃっ、冷たい! ちょっとジャック、もっと静かにやってよ」
「だって寒いんだから、仕方ねえじゃん!」
珍しく二人が言い争っている。テオドアはそんな二人を交互に見ながらため息をついた。
グラニアの町を出てから数日、霊峰ゴバンガへの道は普段よりも多くのモンスターが徘徊していた。できるだけ戦闘を避けて進むも、体力の消費は免れない。必然的に食料や水の減りも早くなってしまったので、テオドアは節約のために毎回の食事の量を制限していた。しかし食事不足の影響は彼が想定していたより大きかった。戦闘での動きにキレがなく、結果として連携が乱れてしまう。糖分不足が精神にも負荷をかけているので、パーティー内にはやや険悪な雰囲気が漂っていた。この状況を打開するためにも、頻繁な休息は必要だ。
「さて、今日はここで野宿にします。ジャック、焚火の準備を」
張り出した崖の下、雨風のしのげる小さなスペースを見つけたテオドアは、体力の消耗を鑑み早めにキャンプの設営に取り掛かった。ジャックは薪となる小枝を探すため、『ゴミ漁り』で周辺を観察する。ルーシーは付近の石などをどけて、三人が寝れる場所を作っていた。普段なら緊張をほぐし、ここまでの冒険について語らいながら作業をする時間。それが今日は、ゴバンガ山の気温のように冷たい空気があたりに満ちていた。テオドアの脳裏に、かつて本で読んだ言葉がよみがえる。
「霊峰ゴバンガは、人の本質を引きずり出す」
何やら嫌な予感がし、テオドアは食事の準備を急いだ。
◇ ◇ ◇
「ああ~生き返る……」
暖かいスープを飲みながら、ジャックが安堵の声を上げる。このような寒い地域ではスパイスたっぷりのスープが本領を発揮する。凍った川から水を汲み、火にかけて煮沸消毒する。持参したスパイスとジャガイモなどの野菜を少し入れて煮込んだだけの簡単なものだ。体を芯から温める特製スープは、パーティー内の緊張もほぐす。
「テオドア、何書いてるの?」
ノートに何やら絵を描いている彼を見て、ルーシーが質問する。
「ああ、これですか。新しい武器を考えていたのです。私も戦闘に貢献できるように」
そう言ってスケッチを見せる。何度も書いては消した跡がみられるそれは、どうやら小型の武器の図面のようだ。とはいえルーシーには、何が何だかよく分からなかった。ジャックもそばに寄ってきて、テオドアのノートをのぞき込む。
「どうやって使うんだそれ? 刃物とかじゃないっぽいけど」
「実はバルベドの魔法から着想を得まして。まだ理論の段階ですが、鉄の弾を撃ち出す小型の武器にしようかと思っております」
そう言って彼は、自作武器の理論についてとうとうと語り始めた。ちんぷんかんぷんな内容に、ジャックとルーシーは思わず顔を見合わせて苦笑する。いつもの雰囲気が、ようやく戻ってきた。しかし、山の天気は変わりやすい。遠くの峰に、暗雲が立ち込めていた。
◇ ◇ ◇
次の日、ジャックたち一行はさらに山の奥深くを進んでいた。ここまでくると、もはや防寒着なしでの移動は現実的でない。さらに、吹雪が強くなってきた。細かい雪の粒が顔に当たるのを防ぐため、ジャックはゴミ漁り用の仮面を装着していた。
「視界が悪くなってきたね……みんな、気をつけて」
先頭を行くルーシーが注意する。雪に覆われた地面はただでさえ歩きづらいうえ、たまに岩や倒木が潜んでいる。足を滑らせれば最悪、これらのトラップにぶつかり大怪我をする可能性もある。回復魔法の使える僧侶がいないパーティーにとっては、簡単な怪我も死活問題につながる。一行はゆっくりと歩みを進めた。
「グウゥ……」
突然、吹雪の中から低い唸り声が聞こえてきた。一行はルーシーの合図で足を止める。音のする方に目を凝らすと、左手の方に何やら動く影が見えた。
「危ない!」
ルーシーが前に出るやいなや、白に覆われた視界に巨大なモンスターが飛び込んできた。二本の足でそびえたつその獣は、ルーシーの盾に容赦なく掌を叩きつける。テオドアが叫んだ。
「アイスベアです! 撤退しましょう、これでは分が悪い!」
雪と氷の世界に生きるモンスターは、視界よりも嗅覚や獲物の体温を頼りに狩りを行う。この状況で、ジャックたちは狩られる側だ。さらに、パーティーの前方と後方からも、唸り声とともにアイスベアが姿を見せる。あっという間に三人は囲まれてしまった。ジャックはバックパックからナイフを取り出す。ルーシーは『盾の衝撃』で、かろうじて膠着状態から脱した。
「ちくしょう、一点突破だ! 走るぞ!」
アイスベアの包囲が一番手薄なところをめがけて、三人は雪の中を走り出す。アイスベアは貴重な獲物を逃すまいと、執拗に追ってきた。流石は銀世界に生きる魔物、アイスベアはみるみる距離を詰めてくる。
突然、ジャックの左手から新たなアイスベアが出現した。だが、高くそびえたつその構え方では腹ががら空きだ。隙を見つけ、ジャックはナイフを構え白い腹に切りつけようとした。
「ジャック危ない!」
ナイフを振り下ろす寸前、ルーシーがアイスベアめがけて突進してきた。不安定な体勢のまま突っ込んできた彼女は盾を構える暇もなく、ジャックとアイスベアの間に割り込む。『盾の衝撃』で攻撃をはじくが、不完全な特殊スキルでは怯ませるのが精一杯だった。
「何すんだルーシー! 逃げろ!」
感謝の言葉よりも先に、不要な危険に自ら割り込んできた事への非難の言葉がジャックの口をついて出る。その間にも、後ろからさらなるアイスベアが迫ってきた。一行はいつの間にか、狭い峡谷の中を進んでいる。左右への逃げ道はなく、ただ進むことしかできない。相手の速さを鑑みると、追いつかれるのは時間の問題だった。
「ジャック! 爆弾で岩壁を破壊しなさい!」
テオドアが叫び、ジャックはすぐに魔法爆弾を取り出す。適当な高さに投げようとしたが、ルーシーがまだアイスベアの群れを食い止めている最中だった。このままでは彼女も巻き添えになってしまう。
「どけ、邪魔だルーシー!」
焦って出た言葉は心無いものだった。ルーシーが飛びのくと同時に、ジャックが岩壁に向かって爆弾を投げつける。轟音とともに壁が崩れ、アイスベアたちは道を阻まれて悔しそうな声を上げた。ジャックたちは振り返らず、安全なエリアに出るまで走り続けた。
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