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ケース記録016 療養指導【糖尿冒険者アンツ】


「ホンゴーさん! ちょっと保護費の前借りの手続きしたいんすけど」


 ハルトが事務室に帰ってくるなり、そんなことを言い出した。


「藪から棒に、何があった。誰のだ」


 ハルトは謎の人物の指示で、生活保護課に出向して来ている。だが、僕と同じ異世界人と言っても、素人なのであまり戦力にはカウントできない。せめて福祉系の専門知識でもあれば良かったのだが。


「アンツさんなんすけどね。話を聞いたら急に痩せたらしくて、何聞いてもダルそうなんす。あんま食ってないんじゃないかと思うんで、もうちょい良いもの食わせようかと思って」


 得意げなハルトの回答に、頭を抱える。アンツさんの前任ケースワーカーは僕だ。もちろん、その症状は知っている。


「ケース記録は読んだか?」


「え? いや、こっちの文字なんかわかんないですよ」


 そういえばそうだったか。ちょっとがっかりする。


「ふむ。前借りしたら、来月分が減るが、その点はどう考えるんだ?」


「アンツさん、元々手堅い系冒険者だと思うんすよ。元気になったら自力でいっぱい稼げるっしょ。ホンゴーさんもシルさんにいっぱい食わせようとしてたし」


 そういう観点もあるが、それはアンツさんがなぜ急に痩せたかが問題になる。


「それじゃ前借りは認められないな。20点だ」


 まだまだ考察が甘く、薄っぺらだ。


「え? 何でっすか……」


「それは思いつきのギャンブルだ。もしも身体が正常に戻らなければ、アンツさんはさらに苦しむことになるぞ。まずは前任のケース記録を読めるようになってくれ」


 近くの棚から、アンツさんの記録が綴られた資料を持ち出す。


「これがアンツさんの指導方針だが、『療養指導』と書いてある」

「はぁ」


 ハルトはとことん興味がなさそうだ。


「アンツさんは、こちらの世界でいう蜜尿症、元の世界で言えば糖尿病だ。だから、指導内容は食事療法と軽い運動になる。こっちの世界じゃインスリンがないしな」


 キョトンとした顔。読めないなら学べ。わからないなら聞け。


「え? 痩せてるのシルさんと一緒だから、てっきり鬱かと」


「初期症状の倦怠感とかで、勘違いされるケースもあるけどな。鬱とは違う。だから今アンツさんに食べさせると、多分糖尿が悪化する。そうなると、腎臓が悪くなって、白内障とかの合併症で起きて目が見えなくなるかもしれない。壊疽って言って、手足が腐ることもあるな」


 手足の先の感覚がなくなって、黒くなって、切断するしかなくなる。糖尿はけっこう恐ろしい病なのだ。


「え? そうなったら死なないすか?」


「死ぬな。こっちの世界には人工透析とかもないから、治癒魔法がなければ確実に。その判断を、ハルトはしようとしてたわけだ」


 治癒魔法は生活保護者が受けられるほど安くない。A級がせっせと貯めていたら話は違うが。


「うへぇ」


 ハルトが盛大に顔をしかめる。


「だから、そんな簡単に前借りは認められないな」


「アンツさんに前借り掛け合ってくるって言っちゃったよ……」


 最後のセーフティネットと呼ばれる生活保護制度は、文字通りそれが適用されるまでにあらゆる制度を利用することが求められる。

 だから生活保護のケースワーカーは、民法上の扶養義務はもちろん、他の法律上の支援制度はすべて知っておく必要がある。

 また、療養指導などにおいては、医療的基礎知識が求められるし、すべての受給者とコミュニケーションするためには、鬱や統合失調症等の患者との接し方なども知っておく必要があるだろう。

 虐待などについても同様だ。


 こちらの世界でも大して変わりはしない。


「とりあえず人参掘りと種まきの依頼持って、二人で採集行ってきな。運動にもなるし、街の近くなら護衛ぐらいできるだろ?」


 ハルトの戦闘能力を実際に見たことはないが、多分皇帝陛下に教育されてたなら一通りできるはずだ。街の近郊なら僕にもできるし。

 アンツさんは生の人参を塩で食べるのが好きだし、軽い収入にもなるだろう。


「えー。外は危ないっす。気が進まないなぁ」


 ブツブツ言いながら、ハルトはロッカーに向かう。ひょいとのぞくと、傷のない綺麗な鎧と、こしらえが豪勢な剣が見えた――

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