ケース記録015 就労指導【E級冒険者カーラーン】
生活保護をうらやむ風潮は、いつから生まれたのだろうか?
働かずに「健康で文化的な生活」をするというのは、実はそう簡単ではない。
転移前の世界で言えば、単身世帯に支給される金額は、だいたい月に十二万円前後。これを家計で表すと、
家賃・管理費 四万円弱
光熱水通信費合計 二万円
衣服・整髪費 一万円
家具家電類積み立て 一万円
食費 四万円※
※一日三食で一食あたり四百五十円程度
こんな感じになる。国が考える最低限度の生活というのは、これぐらいなのだ。例えば、この状態でギャンブルや趣味に手を出すと、あっという間に家計が破綻してしまうのはおわかりいただけるだろうか?
エアコンや暖房の利用も同様だ。彼らが利用できる家は、壁が薄く、保温性はあまりない。つまり、快適に暮らそうと思うと光熱費はあっという間に予算を超える。
だが、例えば時給千円で働くとしたら、税金等を考慮すると月に百六十時間程度働かなければならない計算になる。
これは月に二十日、一日八時間働くのと変わらない規模だ。そう考えると、うらやましいと思うのも仕方がないかもしれないだろう。だが、どちらにせよこれが豊かな生活とは言えない。
冒険者ギルドが提供する生活保護も、レベル的にはこれと変わらないのである。
「なぁホンゴーさん。来月分の保護費、前借りさせてくれよ。これじゃ足りねぇって」
ケースワーカーは各世帯を訪問して指導して回るのが基本の仕事だが、月末に近くなると冒険者ギルド前で待ち伏せされる回数が増える。他にトラブルをたくさん抱えていても、容赦などない。
「カーラーンさんは外食しすぎですから、自業自得ですよ」
一番多いのは生活保護費の前借り希望だが、もちろんそんなことをすれば翌月を過ごせなくなる。
「だから俺、料理できねぇんだって」
「できるようになってください。月末に飢えることがなくなりますよ」
そもそも、計画的に生活できるような人は、その日ぐらしの冒険者にはならないことが多い。武器や防具のメンテナンスや買い替えを含め、冒険者にも計画性は必要なのだが、いくら指導しても毎月誰かがやらかす。
「んなこと言っても、うちの宿、自炊なんかできねぇだろ。部屋しかねぇんだから」
「新人冒険者は、みんな門の外で自炊してるでしょうよ」
宿屋には食堂はあるが、炊事場は貸し出されていない。もちろん、街中で火を扱うと火事になるので、路上で自炊すると衛兵が来る。
なので装備が整っていない冒険者は、金を貯めるために門外で自炊することが多い。狩りや採集から帰ってきた顔馴染みの冒険者から、安値で食材を買えるからだ。
カーラーンさんは頑として自炊をせず、装備の購入が遅れていた。また、自炊だけでなく、冒険者としての技術習得にも消極的だったと聞いている。
だからランクアップできないまま、魔物に襲われて負傷したのだ。
以来、傷が癒えても働かなくなってしまった。
「俺、嫌われてるし、運が悪いから門の外に出るとか無理だ」
運が悪いのではない。装備か技術か、どちらかがあれば、負傷は避けられていただろう。
むしろ、これまでが運が良かったのだ。
「じゃあ、門内で仕事探しましょうよ。なんなら僕が選びましょうか? 日雇いなら、来月収入申告してくれたらとりあえず手元で使えますし」
カーラーンさんは、とても嫌そうな顔をする。
「何があるんだよ」
「そうですね。建設現場の街頭警備なんかがありますよ」
「先月剣を売っちまったから、もう警備なんか出来ねぇよ」
おや。それはまた嫌な話を聞いた。
「それは聞いてませんね。売却分の収入申告が出てませんから、ちょっと書いてください。中へどうぞ?」
「ま、待て。あれは生活保護受ける前に買った剣だぞ! 何で申告なんかいるんだ!」
「関係ないですね。どんな収入であれ、生活保護中の収入は全部申告対象です」
カーラーンさんと似たようなやり取りをするのは、これで三度目だ。収入があると、翌月の支給額が減る。なので隠そうとするのだが、ケースワーカーは宿の部屋も訪問しているし、受付担当は死亡率を下げるため日常的に装備を見ている。装備に変更があればいずれバレる。
冒険者ギルドをナメすぎだ。
「じゃあ来月どうやって生活するんだよ」
「ですから、働いてくださいと言ってるんです」
「警備はできないって言ってんだろ」
「じゃあ、水路の掃除なんてどうです?」
「上水と下水、どっちだ」
「下水ですね」
「俺、腰をやっちまってんだよ。あんな腰に来る作業出来ねぇよ。くせぇし」
「では、門外での野菜採集はいかがですか? 街壁近くなら、魔物に遭遇する確率も低くなると思いますが」
「門のすぐ近くで襲われた俺にそれを言うか?」
ああ言えばこう言う。就労可能な人が就労指導を拒否し続けた場合、ケースワーカーには生活保護を打ち切る権限がある。稼働可能な人が、何もせずに生活するための制度ではないからだ。
「冒険者なのに剣を売るとか、冒険者ナメてます? 腰にしても、お医者様から就労可の返事をもらってますよ?」
「俺は客だろ? 相談しているのに何だ、その口の利き方は!」
カーラーンさんが怒り出す。思い通りにならないと、怒りの矛先を態度に向ける人は多くいる。
だが、ルール上、ケースワーカーは指導する側の人間だ。受給者は客ではないので、指導を無視されれば、内容はどんどん厳しいものになっていく。
「静かにお願いしますね。ともかく、前借りはできません。来月は剣を売った分、支給額が少なくなります。働かないなら、とりあえず今月を乗り切らないといけませんが、今いくら持ってるんですか?」
干渉されたくなければ働くしかない。それも嫌なので、なんとかしようとケースワーカーに噛みつく。ケースワーカーにとってはいつもの景色なので、そんなことで動じることはまずない。
「銅貨八枚……」
「食料は?」
「何もない」
「では塩を銅貨一枚。井戸の使用料で銅貨一枚。残りで黒パンを三日で一つ買ってください。それで、月末までは生き延びられます」
「黒パンだけとか無理だろ。歯が欠けちまう。それに、それっぽっちじゃ足りねぇよ」
「じゃあ働いてください。痩せると受けられる仕事が減るので、早めに対応してくださいね」
「結局それかよ……」
むしろそれしかない。
「ご不満でしたら、冒険者ギルドを抜けていただいてもかまいませんよ。この街には、冒険者以外にも仕事はたくさんあります」
カーラーンさんは黙り込む。自信はないのだろう。
「次の面談がありますので、今日はお帰りください」
生活保護は他の命綱はすべて使い切った上で、綱渡りするようなものだ。踏み外しても自己責任。もちろんそれ以上の救済はほぼない。
受給者はいつでも崖っぷちである。
そんな生活保護をうらやむ風潮は、いつから生まれたのだろうか?




