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あいつが前世を愛さずとも  作者: 甘
あいつについて
46/49

旋風⑶




「――はい、カットォ!」




渋谷にあるライブハウス、その入口に敷かれた包囲網がゆるめられた。渦中にいた俺は無事に解放される。


指揮を執ったのは、連続ドラマ『綺麗な蛇』の監督だ。俺と相対する位置にあるカメラの横で、監督はモニターを確認している。画面内では、カツキ扮する俺とスイ扮する月乃が話しているであろう。その話し声がライブハウス入口手前にいる俺のところまで鮮明に届いているかのように、シーンの冒頭が脳内に直接思い起こされる。



『今日から売るCD、特別にあげてもいいけど』『新曲出すの?』『この前話しただろ。忘れたのかよ』『あー……そういえば話してたかも』『そういえばって。冷てえ奴』



今朝方修正が来て新たに覚え直したセリフだ。これ以降も会話を続けながら、ライブハウス内の簡易売り場にいるカツキの過激ファンを避けるようにして外に出ていく。導線はカメラドライで何通りか試し、一番カメラ写りのよい案が採用された。練習の活きた本番を監修した監督は、しみじみと首を縦に振った。




「OK、OK! 次のシーンいこう!」




現場全体に行き届く声量で現場を突き動かす。


俺はひと息つくと、蛇の写真がプリントされたタンクトップの背にぽんとあたたかな感触が触れた。振り向けば、ポニーテールを揺らしたスイがいた。




「やったね、オー様。一発OKですよ」


「スイがうまいからっすよ。長台詞すごかったっす」




掛け合いの終盤、ページの半分を埋めるセリフ量を、車椅子を操作しながら完璧にこなしていた。たしか次の単独シーンも長台詞があったと思うが、けろりと笑っている。芸歴と年齢にほぼ差のない人はやはり特有の強さがある。




「今日わたしのセリフ量が多い日みたい。暗記テストみたいで毎回ひやひやしちゃう」


「次もきっといけますよ! オール一発OK目指しましょ!」


「おっ、意識高いですね。さすがオー様。巻き巻きで終わらせられたらいいね」


「スイちゃーん、ちょっと来てー!」




監督に呼ばれ、デニムのフレアスカートをひるがえしながらスイはカメラのほうへ駆け寄った。次のシーンの打ち合わせを始める。


俺はこれから30分くらい待機になる。ロケバスのほうを一瞥すれば、いつの間にか野次馬が群がっていた。平日の昼過ぎだというのに学校1クラス分はいそうだ。俺の視線に気づくと黄色い声が噴射される。俺は自然と笑いかけていた。野次馬はライブハウスの外にもかかわらずアリーナ最前並の盛り上がりを見せる。俺はそれに応えるように手も振る、寸前、胸がざわついた。内側がどろりとはがれ落ちていくような。それを再生させようと血液が焦っているような。


人を殺める演技をしたときとどこか似た感触だった。


俺が初出演かつ初主演だった連続大河ドラマ『剣の主』での、将軍に拾われた孤児役の俺の初陣。敵の武士に首を裂くモーションで斬りかかると、敵の口から血糊が大量に吐き出された。飛沫の散る朱色が俺の胸を染め、ファンデーションを吸った体液が顎先を伝った。


小道具の剣は皮膚にぎりぎり当たらない距離感だったにもかかわらず、手にはたしかな重みがじんじんと脈打っていた。


俺が殺したのだ。それだけがありありと理解でき、カチンコが鳴ってもしばらく感触が消えなかった。



熱を高めた日差しが、汗腺を促進させる。脇が熱い。すかさずスタッフが黒一色の日傘を差した。


肌がすっと冷えていく。


一方、撮影はリハを充当に済ませ、まもなく本番。ライブハウス前の歩道には簡易的にバリケードが張られ、車椅子を引きずるスイが白線の内側に守備されている。


俺は無性にきまりが悪くなり、野次馬から体を背けた。スタッフに会釈しつつ、マネージャーに預けていたカバンを手早く受け取り、ライブハウスの中に身をひそめた。



涼やかな楽屋前の壁にもたれかかり、携帯を見つめた。現在の時刻、午後1時13分。根津部長と面談してから、怒涛に時間は過ぎていった。


会議室を脱出するまでに1年かかった、もはやそれほどの体感だった。マネージャーから連絡が来なければ、俺はあのまま本当に会議室で1年を過ごしていたかもしれない。着信画面とともに表示された現在の時刻は、面談終了想定時間からたったの10分しか経っていなかった。


事務所のエントランスでマネージャーと合流し、社用車でテレビ局へ向い、スタジオでいくつか撮影したあと、ロケバスでここに移動した。


役者もやっていてよかった。スケジュールの詰まった撮影に専念できるし、なにより自分自身を忘れられた。



最後に送信したチャットアプリの記録。『GaoR』のメンバーやヒノデ宛、午前6時半、いってきますのひと言。


もう6時間以上経っている。マネージャーの送迎車やロケバスの中でいかようにも連絡はとれた。事実、あとは送信ボタンを押すのみ。なのに、できなかった。


みんなからの催促はない。でもきっと続報を待っている。飲み会のとき、ヒノデに対してそう思っていたし、ヒノデも俺みたいな心境だったのかもしれない。



携帯をカバンの中に放り捨て、7話分の台本を取り出した。今日撮るシーン、セリフ、ト書。視界がぐるぐる回る。だめだ、手につかない。


さっきカバンのついでにマネージャーにもらったサプリを、気休めに飲みこんだ。錠剤タイプのビタミンC。フーゴがアンバサダーを務めるサプリだ、効果は期待できるだろう。


栄養を体内に行き渡らせる間、ただぼうっとするのは性に合わず、台本から再度携帯に持ち替え、プレイリストを開いた。耳にワイヤレスのイヤホンをはめる。俺の次の出番であるライブシーンで使う劇中歌のデータを再生する。


と同時に、楽屋からヘアメイクのスタッフが出てきた。ドラマの現場でたびたび世話になっているヤナギさんだ。俺の顔を見るやいなや楽屋に引きずりこみ、椅子に座らせた。よほどコンディションが悪く見えたようで、消しゴムをかけるようにあぶらとり紙やらブラシやらが顔面を往復し、真新しく作り変えられていく。


柳さんは俺の顔に粉をまぶしながら、ごはんは食べているのかとかちゃんと寝ているのかとか、熱中症になっていないかだとか、母さんや姉ちゃんみたいなことを矢継ぎ早に訊いてきた。いつの間にか劇中歌は終わっていた。俺はイヤホンをポケットにしまい、1時間前にここで昼飯を完食したことを報告した。シーザーサラダとプロテインだった。


壁に密着した細長い円形の鏡に、懇切丁寧に直された顔が反射する。8時間睡眠を1週間続けた人の顔になっていて、本当に顔色がよくなかったのだと自覚した。人為的に血色感が強調され、黒髪の下にはみ出ているインナーカラーの銀色がくすんで見えた。



柳さんに満足げに見送られ、俺は目的もなくライブハウス内をうろついた。ライブホール付近に立ち寄れば、半開きの扉からうっすらとピアノの音が漏れ聞こえた。


ホール内では数人のスタッフが床にバミりをつけたり音響機材を用意したりしている。スタッフ同士の会話にかぶさるようにまた音が落ちた。俺がホールに踏み入れる、その足音だけで抹消できるささやかなドのシャープだった。


ステージ上でキーボードを叩くメグロがいた。俺と同じく待機中である彼は、スピーカーにプラグを挿すスタッフの傍ら、鍵盤に手をすべらせる。


俺は裸の耳に手を当てた。イヤホンは、うんやっぱり、つけていない。楽屋で聴くに聴けなかった劇中歌『告白』が、直で流れている。もうまもなく撮影予定の曲を、メグロは楽譜もなしに繰り返し弾いていた。


カツキがボーカルを務めるインディーズバンド『オロチ・ヤマタノ』は、リアルでもアルバム発売・ライブ開催を見越して、役者自身が演奏することを前提にキャスティングされた。まずバンドの顔となるカツキに俺が決まり、次いで、デビュー後の主演ドラマでピアノ演奏を披露した実績のあるタイヨウがキーボード担当に名指しされた。と、ドラマの制作記者会見でのインタビューで知った。


制作陣の期待どおり、メグロの演奏は稽古段階から文句なしの出来だった。一芸に毛の生えたくらいの技術を、しなやかな手つきと楽曲の解釈で補うどころか、聞き手を満足させてしまう。おごそかなピアノの演奏会というより、まさしく人を楽しませるライブイベントの奏で方だった。


キーボードと向き合っていたメグロの眼差しが、手慣れた様子でフロアを舐めた。ステージ真下にいる俺に気づくと、伴奏がぽおんと投じられた。




「オーガさん! いつからそこにいたんですか」




メグロは頬を丸ごと隠せる長さの前髪を払いのけて笑いかける。ゆるくウェーブしたオリーブカラーの髪に、蛇のうろこのような網目状の柄のシャツを装った外見は、恋人には不向きそうなチャラさを醸し出している。ボタンを2個開けた襟から覗く鎖骨、そして首には、チェーンが装飾されてあり、触るな危険の警告サインが目に浮かんだ。『オンステージ 2nd』のときとかなりイメージがかけ離れ、タイヨウと呼ぶほうが失礼な気さえした。



「俺は、まあ、今? メグロこそいつから弾いてたんだよ」


「オーガさんと月乃さんが撮影していたときくらいですかね」


「練習?」


「はい。触ってないと忘れてしまいそうで」




髪より派手な色のネイルが、白鍵の中央を色づける。




「ほら、忘れるのって簡単じゃないですか」




軽快な短音が俺の心音を妨げた。ぎくりと張りつめた身体に、不規則に崩れたリズムがこだまする。


何かを覚えれば、また別の何かがぽろっと落っこちて、忘れていく。やがて思い出すこともできなくなる。記憶に鮮明に残るものほど代償は高くつく。こちらの気持ちなどおかまいなしに。




「オーガさんも一緒にどうですか?」




誘いに応じて、フルサイズで数回合わせた。ときおりメグロのほうを見ながら、ウォームアップ程度の力加減で歌唱する。断りを入れずに歌い方を変えても、メグロはこともなげについてくる。調子に乗っても失敗してもうまく切り返してくれる安心感があり、おんぶされるようにメロディーに乗れた。


なぜだろう、『クピド』のときを回顧する。そういえばあのときもパフォーマンスしやすかった。


チームリーダーであったあいつの顔をぼんやりと思い浮かべた。


自由に毛先を遊ばせた茶髪、やさしく湾曲した一重の瞳、顔の半分を埋めるおしゃべりな口。


当時中3だった俺と大差のない身長のわりに身振りは人一倍大きく、特にダンスはパワフルでどこにいてもあいつを見つけられた。だから個性を極力秘める『クピド』では苦労していた。


歌声はほとんど地声と変わらず、拡声器を介さずともどこまでも伸びてゆける。小手先のテクニックや感情の機微をすっ飛ばして、紙飛行機を真っ直ぐ羽ばたかせるような歌い方。監督メンターにはもっと繊細に、もっとアクセントをつけて、とあれこれ注意されていたが、俺は単純なあいつらしくて好きだった。


好きだった。


そう断言できる記憶は芋づる式に出てくるのに、ほかは断片的で色むらがある。忘れるのは、簡単だ。記録にない記憶ほど頼りないものはない。


俺は『クピド』での思い出が上書きされないよう、メグロとのライブ練習に根を詰めた。



曲を3回以上リピートしたころ、外で撮影していたスタッフやキャストがぞろぞろとホールに入ってきた。

ライブシーンの撮影準備と並行し、楽器のチューニングをしつつ音量バランスを調節する。


俺とメグロを含む5ピースのバンドグループ『オロチ・ヤマタノ』で、新曲設定の『告白』をリハーサルする。メンバー全員の呼吸を合わせながら、スタッフが照明と音響をチェックしていく。


途中で観客役のエキストラが動員された。最前の端に備えた車椅子エリアに、スイがスタンバイする。


場面をひととおりおさらいし、カメラオンでさらに反復する。カメラ割りを若干修正し、本番の号令がかけられた。


ステージのセンターに、黄ばんだスポットライトが帯びる。スタンドマイクを侍らせた俺が、誰よりも先に光を受けると、女性率90%のエキストラが抑えきれずに歓呼を上げた。


作動した固定カメラの前でカチンコが打たれる。




「アクションッ!」




直前までたっぷり練習していたメグロの伴奏で、『告白』は始まる。


この曲は、現実世界でバンドをやっている『砂漠基地』のNONさんが提供してくれた、筋金入りの邦ロック。


4×8カウントがわかりやすい主旋律に、拍裏を跳ねさせたリズム、尖りのあるグルーヴでパンチを利かせた曲調は、初見でもノリをつかみやすい。




「君を一度も、守りたいと、思ったことなんてないよ。気づいたら、昨日より、早く過ぎていく今日も」




曲の転調でサビに入る。ファルセットを使いこなしながら、俺はマイクに頬をすり寄せるように片隅の車椅子に視線を流した。スイは茫然と俺に見入っていた。


そこでカツキは確信するのだ。ようやく惚れてくれたと。


バンドのボーカルで、実家が太く金に糸目はつけず、女に困ったこともない。みんなの羨望の的。それがカツキ。何も不自由のない暮らしに退屈しているほどだ。


なのに。自分より不幸なはずのスイは、自分に憧れることもなければ妬むこともない。傷がついても高潔であり続ける彼女を、ほかの女みたく振り向かせてみたかった。


悦に入った状態を演出すべく、俺は口角をぬるぬるほぐし、歌声を昂らせる。




「声、顔、仕草全部、僕の邪魔ばっかりしないでよ。必要以上のエラーに、夜が、更けていく」




キャアー! とエキストラの歓声が跳ね上がる。リハの手順どおりに。


対してスイは、一音も邪魔せず居座っている。言葉も出ないか、と台本上カツキはうぬぼれるだろう、俺はスイと交わった瞳をこれみよがしにフロア最奥へ逸らした。


ワンフレーズ分置いてから、さりげなくスイをうかがったときにはもう、スイの視界に俺はいなかった。


誰もが光を仰ぎ、自己中心的に俺たちを求めるフロアの片隅で、スイはごっそりと表情を削ぎ落とし、光を避けるようにうつむいていた。俺がいくらがなり声で煽ろうとも、拒絶反応はひどくなるばかりで、ついにはライブだというのに耳を塞いでしまった。


顕著な異変。もしかしたらずっと、見惚れていたわけではなかったのかもしれない。


勘違いに気づいたカツキは……何を、思うだろう。本読みから、今朝面談前に読み返したときも、今も、感情をひと言で定められずにいる。監督は演じたときに出した答えはみな本物だと、こと細かにプランニングをすることはなかった。



俺はカツキで、カツキは俺。


俺はすべてを知っているけれど、現時点のカツキには知らないことがある。



スイが体調不良も同然に殻にとじこもったのは、このライブのせいだ。


俺が、俺たち『オロチ・ヤマタノ』が、元凶なのだ。


車椅子生活を余儀なくされた、1年前の事故。実は、スイを轢いた車から呂律の回らない歌が響いていた。その歌こそが、当時公開されていないはずの『告白』のサビだった。


あの事故の犯人は、いまだ明らかになっていない。



悪夢にうなされるようにスイは生理的な涙をあふれさせながら目を回し、意識を手放した。


車椅子が横転する。光るほうにしか興味のない蛾のような観客は、スイを押しつぶす勢いで前に前に詰めていく。


俺は気絶したスイにいち早く気づいたていで、歌の途中でステージを飛び降りた。




「スイ!? どうした? なあっ、スイ!」




足跡で汚れた床に倒れるスイの頭を、手探りで抱き寄せる。マイクをつかむ要領で抱えたせいか、痛いのいの字が、うすら開いたスイの口からこぼれた。


ほかにも何か、なんでもいいから言ってほしくて、脆そうな肩をゆすり、大声で呼びかける。言わずもがなスイの容態は悪化する一方だ。


スイを支える手は汗できらめいているのに、水風呂に浸かっていたくらい冷たかった。



彼女の顔色の衰退に同業として感服したせいか。いいや、それだけではないはずだ。これがカツキの感情なのか。


彼女が失神した理由を知らないのに、こんなにもみっともない態をおおっぴらにさらすだろうか。無防備になりはしても、もう少し様になるものではないだろうか。


いいや。


そうでもないか。




――先輩、死んだんだって。




あの第一声を受けたとき、俺もたぶんそんなんだった。


不協和音しか聞こえなかった。




「オーケー、カット!」




監督がほくほく顔で、大きく右腕を振りかぶった。




「月乃ちゃんもう最高っ! オーガくんもぴったりの表情してたよー。しいて惜しいのは、バンドのライブが最後まで聴けないところかな。脚本的にしょうがないんだけどね! あははっ!」




歌と演技のダブルパンチに高揚しながら撮影を続行。ステージ全体、バンドメンバーの引きの画、スイのアップ、俺がスイに駆け寄ってからの場面展開をそれぞれ撮りためていく。俺はあまり深く考えずに同じ過程を往来した。



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