013「絶死の決闘」
〈二〇二五年 七月二十四日 Decopoモール 大地区域 最下階 地下広場〉
────両者の鋒が火花を散らして、交わる。
片方は、全身中が苔むし前足が以上発達した犬。もう片方は二匹のイヌ科モンスターの猛攻を涼しい顔で受け流す金髪の少女、レイ。
地下の落下を経て、彼らの戦いは佳境へと入っていた。
その肥大化した前腕を活かして、レイを猛追する苔犬だったがレイの軽く機敏な動きに捉えきれずにいた。
────地面に振り下ろされた苔犬の前足から、生した苔が飛び散る。
レイは冷静に一撃一撃を避け、細かい攻撃を放ちつつ、相手のスタミナ切れを狙う。
釣りの中に、ライカから盗んだ手の平で受け流す技も併用する。
振り下ろされた前足をレイは足で押さえつけ、前足から跳躍、空中で身を捻った体勢で後ろ蹴りを苔犬の腹部に入れる。
苔犬も負けじと、反対側の前足で挟み込むようにレイを潰そうとする。
レイはさらに前足から跳んで挟みを回避し、空中に逃げるレイへと苔犬は跳躍し追い縋る。
そして、勢いのままレイへと顎を開いて噛みつく。
予測していたレイは上半身を後ろにそらし、苔犬の顔面を蹴るように、地面へと跳躍する。
そのまま、着地したレイを狩るように、苔犬が前足を振り下ろし、続けざまに地面を乱打する。
それら全てを、流水のごとき華麗な動きで受け流す。
乱打によって苔犬にできた隙を針の穴を通すようにレイは攻撃を叩き込む。
すると苔犬はこれまでの雨のような猛攻をぴたりとやめ、おもむろに後ろに下がる。
そして、苔犬はすっ、と拳を差し出した。
────力比べをしたいのか。
レイはそう感じ、見ると苔犬が笑っているような気がした。
本来の戦場に絶対ない光景に、レイは戸惑うがそれでも心は『応じたい』と言っている。
『──────』
両者の視線が交わり、苔犬から感謝の意が伝わる。
合わせられた拳は、少しひんやりして表面は苔で柔らかかった。
その奥にある岩肌のような頑健な拳を、レイの小さな少女の拳とは比べることなどできない。
──瞬時、凄まじい力が両者の右拳に加わる。
両者が示し合わせたはずもないが、全く同時に力比べは始まった。
レイは思う、彼の発達した前足を自慢とする膂力は凄まじい力であると。
苔犬は思う、彼女の自身よりも遥かに小さなその体で己と同じかそれ以上の膂力を持つのは驚嘆に値すると。
両者は思った、目の前の戦士は強いと。
─────ただ、それでも差は存在する。
レイは二匹よりも格上、二匹のうち一匹が倒れた今彼らを保っていた均衡は崩れ落ちる。
ぐぐ、と押す力が強まる。
ありえない、と苔犬は驚愕に瞠目する。
自慢の膂力を、彼女の体ほどもある拳を、その小さな拳で押し返されていくのだ。
────そもそも、膂力や腕力は身体の大きさに依存する部分がある。
だが、レイはナギトから供給された魔力でありえないほどの力と耐久を手に入れていた。
ただ重さとは耐久力と違う側面がある。
レイは苔犬の体重の一割もあるかどうか。
その攻撃に晒されれば、ダメージは深くはないものの確実に吹き飛ぶだろう。
すなわち、レイと苔犬は生物としてのパラメータが違うのだ。
苔犬とレイの間には──膂力の違いという隔絶が密かに存在していた。
────拳が振り抜かれる。
レイは苔犬の拳ごと五、六メートル吹き飛ばす。
ざざ、と苔犬の足元が削れる。
自慢の膂力でもレイが勝った。
すなわち、すでに勝敗は決しているのだと……
──────そして、彼らを見ている視線が一つ。
レイはその姿を目の端に捉えたのは、白い影。
その白い毛並みはところどころ赤黒く染まっていた。
それはレイが戦闘不能とした────
────狼の頭上に光槍が生成される。
先ほど生成された小さく細い槍ではない。
太く、大きく、眩い光を放つ大槍であった。
レイはその光景を見て、ただ瞠目する。
その間に言葉はなく、声はなく、音はなく……
そして、心も、命も、魂も込めたその一撃が放たれた。
本来、体積が大きくなれば、その速さは空気抵抗や重さによって動きが鈍くなるはずだ。
だが、その光槍は小さいものよりも遥かに速度を維持し、レイへと突貫する。
────回避は易い。
レイは静かに止まった世界で、思考する。
そして、自らが脳の指令を四肢に伝えようとし──レイは動かない足に驚愕する。
「──────」
……苔だ、足に苔がまとわりつき、成長している。
すでに足の感覚がなく、膝をつくレイは仕立て人の苔犬が笑ったように見えた。
────それら、全ての工程を刈り取る高速の光槍がレイへと突き刺さる。
大岩を抉るほどの威力が床を穿ち、削られた床が辺りを漂う。
そして、舞い上がった埃はベールのように彼女を隠した。
一瞬の攻防、だが苔犬の隠し玉が光ったのだ。
本来であれば格下にしか使えず、自身より魔力量の多い敵に使えない苔の侵食であった。
だが、レイの魔力量がナギトと離れたことによって少なくなった影響で、能力の範囲内に捉えた。
だからこそ、血を吐くほどに自身の魔力量を絞った甲斐があった。
だからこそ、犠牲を払ったものの強敵を屠────
────瞬間、苔犬の視界の端に、細い何かが映った。
極限まで凝縮された時間の中、彼の目が捉えたものは……血に染まった脚であった。
土煙から出現し、赤黒く塗装された健康的で、今にも動きそうなそれは。
苔犬は一瞬、少女が重症を負い、肉片が飛んできたものと考えた。
血濡れの足についていた苔が落ちた瞬間苔犬は確信する、少女が自ら切り落としたものだと────
────そして、土煙から現れたレイは、切り飛ばされた脚を履くように、接合する。
回復能力は効果持続時間内ぎりぎりで発揮し、レイの脚を接合するに至る。
レイは、生した苔を落とすためだけに脚を切り落としたのだ。
犬は思う、目の前の少女の覚悟を舐めていた、と。
自分たちは生きるためにここにいる、所詮ここにいる〝プレイヤー〟は〝イベント〟をしに来ているだけだと。
だが、少なくとも目の前の少女は────
彼女と目が合う、その目は様々な色を示していた。
……だが、そのどれもが不快なものではなく、まるで心地よいものだった。
────そう、彼女は……命を、自らの覚悟を、懸けているのだと伝わった。
「────ガァァァァァァァアアア!!!!!!!!」
停止していた時間は動き出していた。
レイへと掴みかかるが、苔犬はすでにその行為の無駄を理解していた。
敵の理解を通り越した行動、相対するレイはそれに対しシンプルに対処する。
「────」
横薙ぐ腕に対し、手のひらを合わせて叩き落とす。
そのまま跳躍し、空いた上体にするりと滑り込み、心臓に近い地点にピタリと掌を合わせる。
掌底、八卦、そう呼ばれる何かが、苔犬の体を貫いた。
外側ではなく、内側へと衝撃を伝えるそれは、苔犬を内側から崩れさせていく。
そして、衝撃は外側まで届き、苔犬の表面を覆う苔土が身体から剥がれる。
「────ぐるる」
死の間際に鳴らす音ではないものが、喉から漏れ出る。
すべてを出し切った苔犬は倒れこむ。
すでに、体は消え始めていた。
まるで何もなかったかのように光の塵に消える苔犬は、ただそれでも悔いはない顔だった。
「────────ごめん、ありがとう」
心の内の表せない部分が、レイから漏れ出る。
ただ、その言葉に苔犬が返すことはない。
だからこそ、ここで終わりで良い…………ここで終わりが良い。
そして、レイは初めてナギトから供給が切れていたことに気が付く。
この戦いで、ナギトにもらった魂をすべて使いきってしまったことも。
それも含めて、レイは全力を出せたことが嬉しかった。
ただ────それでも、納得できないモノがいた。
「────オォォォォォォォォオオオオオオン!!」
そう、それでも満足しきれないもう一匹の狼は低く、だが響き渡るように遠吠えをした。
それは呼び声であり、最後の断末魔に近い。
すでに下半身から消えかけていた狼は、それでも相対する少女の不幸を願う。
苔犬と対照的な狼が呼び出したのは────
────────目の前の通路から、足音がする。
そして、突如として目の前に振ってきたのは銀色の毛並みを持つ、竜ほどの体躯を持つ大狼であった。
「────────ォォォォォォォォンッ!」
低く美しい、その遠吠えが広場中に響き渡る。
そして、同胞を屠ったであろうその少女に、透き通った目を向けた。
「────ん…………思ったよりしんどいかも」
レイは、ただその様子を静かに見据え戦闘続行の体勢をとるのみであった。
────かくて、絶死の闘いはさらなる続行を迎えた。
〈Tips!〉
・戦場でのレイについて
生まれた時から戦場にいたレイは、とんでもない泥沼戦争の泥沼戦場にいた。
戦略的に超重要なそこに、たった一人で放り込まれた彼女は数え切れぬほどに殺された。
英雄が作った人造兵士や罪人、ゴーレムたちが跋扈し、少女を助けるような人間は誰もいない。
そんな残忍な国家通しの戦争で揉まれた少女は、戦いの天才となり今日も今日とて向かってくる兵を殺す。
英雄と呼ばれたものも、兵を率いる将軍も、無敗と称された騎士も、戦場において不死身の彼女に殺され、やがて彼女は『戦場の天使』と呼ばれ、彼女に近寄るものは物好きか自殺志願者のみになった。
かくて、戦争が終わり、彼女は一人の戦商人に拾われ────




