02 柳橋美湖 著 『アッシャー冒険商会 11』
〈梗概〉
大航海時代、商才はあるが腕っぷしの弱い英国の自称〈詩人〉と、脳筋系義妹→嫁、元軍人老従者の三人が織りなす、新大陸冒険活劇オムニバス。ロデリック夫妻、友人の屋敷で怪異に遭遇する。
挿図/(C)奄美「祝福された少年」
11 禿げ山の〝胡桃屋敷〟
――マデラインの日記――
「どうしたんだ、マデライン?」
「お兄様、いえ、旦那様――誰かにつけられているような気がするのです」
「ロデリック様、奥様同様、私もそんな気配を察します」
「ならば、護衛たちに警戒を怠るなと伝えておいてくれ、アラン・ポオよ」
アッシャー家の執事を兼ねた騎乗の老従者アラン・ポオが、旦那様の言葉を共の者たちに伝えに回ります。
どんよりとした空、遠くで雷が鳴る荒れ野に果てしなく続く一本道を、騎乗の従者四名を連れた幌馬車一両が、一昼夜をかけてたどり着いたのは、ゲートのようになった山塊の狭間でした。そこをくぐったところは、谷底の小さな町で、そこから先は、深いオークの山森になっていて、やっとこさ馬車がすれ違えるほどの悪路。馬車が峠の頂にきたところから、禿山が望めます。
――あそこが胡桃屋敷だよ――
護衛を兼ねた道案内の原住民ジョーが指差したのは、禿山の中腹にある尖塔がついたゴシック風の石積みの城館で、そこが、ベン・ミアのお屋敷〝胡桃屋敷〟だと言いました。ベン・ミア様は独身でしたが、甥御様を養子になされて、使用人たちと一緒に住んでいらっしゃいます。
ロデリックお兄様、もとい、旦那様のお友達ベン・ミア様は、旧大陸にあった所領を処分して、新大陸・マサチューセッツ植民地に、十マイル(十六キロ)四方の荘園をお開きになりました。
なんでも元の所有者は少数部族の原住民で、少数部族になったのは流行り病があったためで、生き残りは婚姻関係のある比較的大きな部族に吸収されました。その際、彼らが手放した土地をベン・ミア様が購入なさったとのことです。そういうわけで、現在、荘園にいる小作人や使用人は、先住民とのつながりはまったくありません。
〝胡桃屋敷〟は文字通り、胡桃林に囲まれた城館で、馬車が庭に入ると、ベン・ミア様がお屋敷の玄関先で、旦那様と私を乗せた馬車をお出迎えして下さいました。
「また会えて嬉しいぞ、友よ」
あのお、お二人とも、再会の抱擁に十分もかけないでください。耳たぶを噛み合うなんて、どういうご趣味ですか?
「そういえば、君が親戚から養子に迎えたというアーサー君の姿が見えないが……」
「ああ、申し訳ない。数日前から熱を出して寝込んでいるんだ」
「おいおい、大丈夫かい?」
「ただの風邪だよ。数日もしたら治るって医者が診断したよ」
「ボストンの薬局でいい薬が手に入ったんだ。こんな辺鄙なところに住んでいたら大変だろう? 土産に持ってきたから、やるよ」
「うん、助かる」
あのだから、二人して、髪の毛を撫で合うの、おやめになってくださいません?
旦那様・ロデリックと新妻の私・マデラインは、ベン・ミア様のご案内で、二階にある御子息・アーサー様のお部屋に通されました。早速、ベン・ミア様は、家人に命じ、私達が持参したお薬をアーサー様に飲ませたとのことで、すやすやと眠っていらっしゃいました。
寝台に横たわっていた少年は熱っぽいご様子でしたが、十歳くらいで、亜麻色の髪、長いまつ毛、天使のように美しい顔立ちをなさっています。
ああ、この子、ベン・ミア様のタイプだ。――なんか、淫ら。
アッシャー男爵家は、かつて家運が衰えたことがあり、先々代御当主様が新大陸で立て直し、旧大陸に本拠をお戻しになられました。遠縁である実の両親が流行り病で亡くなると、本家筋の男爵家が私を引き取って下さり、そのまま嫡子ロデリック様の妻にして頂きました。私は果報者です。
ロデリック様のお父様である男爵様は、次期当主として見分を広めるため、私ともども、いまだに新大陸に残してある荘園を視察に来たわけですが、いろいろあって、〝アッシャー冒険商会〟を立ち上げ、マサチューセッツを拠点に各地と交易を行っています。
私どもが〝胡桃屋敷〟の御厄介になってから三日目の夜はブラディー・ムーン。その満月の夜に異変が起こりました。
隣部屋であるアーサー様のお部屋で大きな物音があり、家人たちが、駆け込んでゆきます。
気になった私ども夫婦は、開いたドアから中を覗き込みます。するとそこには、一頭の灰色狼が、低く唸り声を上げて、ベン・ミア様や家人の方々と対峙なさっているではありませんか!
しかも〝胡桃屋敷〟を囲むように、おびただしい数からなる、人ならざる者達の気配がして、遠吠えを始めたのです。――私は察しました。
ここの土地を手放した少数部族先住民達の多くは、流行り病で亡くなったんじゃない。――人狼になったんだ――そういう種族だったのかしら? ならアーサー少年が人狼になった理由は何?
うちの従者アラン・ポオが、ベン・ミア様の前に出て、格闘術の〝型〟を構え、若い灰色狼に対峙し、さらに後ろにいたわが夫・ロデリック様が、
「ル・ブーレス……ウスポンティフィ……アティス……」
「おい、ロデリック、アーサーは無害だよ。手荒な真似はよしてくれ」
ロデリック様が、殲滅の術式を詠唱するのを中断したとき、〝胡桃屋敷〟の執事さんが、一階にある厨房から皿に載せたハムの塊を運んで来て、ベン・ミア様にお渡ししました。ベン・ミア様は、灰色狼のいる寝台に、盆ごとそれを置きます。すると灰色狼は、嬉しそうにハムを食べ始めたのです。
翌日、ベン・ミア様のご案内で、〝胡桃屋敷〟の後背にある禿山の頂へ登ってみました。そこには、棒状に延びたガラス質の黒い岩塊が突き刺さっていて、瘴気を放っています。
「旧所有者が空から落ちて来た〝魔石〟だって言っていた。――僕の一族には人狼の血が流れているという言い伝えがあった。――迷信だと思っていたが、〝ブラッド・ムーン〟になるとアーサーが変身し、先住民の成れの果てらしい狼の群れがやってくる。たぶんね、甥は彼らの領主になったんだ。アーサーが灰色狼になったとき、やってくるのは祝福しに来たんだろうって思うんだ」
そうい言って振り返ったベン・ミア様が、ロデリック様に向かって、口角を上げてご覧になったのです。
「禿山の胡桃屋敷」了
〈登場人物〉
アッシャー家
ロデリック:旧大陸の男爵家世嗣。新大陸で〝アッシャー冒険商会〟を起業する。
マデライン:男爵家の遠縁分家の娘、男爵本家の養女を経て、世嗣ロデリックの妻に。
アラン・ポオ:同家一門・執事兼従者。元軍人。
ベン・ミア:ロデリックの学友男性。実はロデリックの昔の恋人。養子のアーサーと〝胡桃屋敷〟に暮らしている。