番外編「橋の上」5
王都でも特に治安の悪い、俗に言う『ヴィラン街』。
ワルキュリア・カンパニーの中核従者・ゼロリュスはシャンターの何でも屋を訪れていた。
店主のシャンターは赤い鱗に覆われた亜人系の、四十前後の男だ。ニット帽を被ったジャージ姿で、牙は欠けて半分以上抜け落ちボロボロ、その眼は瞳に光るものなく漆黒。
頭髪は禿げ散らかし、全体像からは清潔感の欠片もない。
客が来たというのに、シャンターはカウンターの奥に座り、ゼロリュスを気にも留めない。
「ほわぁぁぁぁっ! 上半身から下半身まで力がみなぎるずぉぉぉぉっ! き、き、き、効くうぅぅぅぅ~っ!」
真っ黒な瞳をバキバキにひん剥き、奇声を上げるシャンター。腕をまくり、何やら注射器を打っている。赤い鱗に覆われた腕は注射針の痕だらけ。
「シャンターさん! 聞いてる?」
ゼロリュスが大きな声を出すと、注射器をカウンターに置き、こちらに向き直った。
「おお~ゼロちゃんいらっしゃウィィィ……。久しぶりだねェ、しばらく見ないから心配してたよォ。どこほっつき歩いてたのォ?」
シャンターは真っ黒な目をゼロリュスに向け、ボロボロの牙を見せて笑う。
「一昨日来たばっかだろ。そういうギャグはいいんだよ」
「あれェ? そうだっけェ?」
シャンターは虚ろな様子で首を傾げる。光なき黒目は焦点が定まっていない。
「ま、いいや。それで例の件都合つくのか?」
ゼロリュスが小声で問う。
「うあぁぁぁ……。この天井綺麗だなぁぁぁ……。ほら、あそこの汚れ、何か星空に見えなウィィィ!? 俺昼飯食う前にいつも天井の汚れで星座作るんだよォ!」
シャンターが口からよだれを垂らしながら、椅子にもたれかかって何の変哲もないボロ家の天井を仰ぎ見ている。直後「オールド紅茶ヒヒヒヒヒ」と甲高い奇声。
「天井と紅茶はとりあえず置いといて、例の件手配できるの?」
重ねて問うゼロリュス。
「例の件? 何だったっけェ~? ほわああああ上半身から下半身まで力がみなぎるうううう」
「いやいやいやいや。死体だよ。女のを一体。一昨日相談したじゃん。調達できるの? できないの? どっちよ? シャンターさんが回答に二日くれって言ったんだろ」
「ああ、ああ、そうだったねェ! あの、大丈夫だよォ~。丁度夕べねェ、新鮮なのが一体手に入ったんだよォ! マジで死にたてホヤホヤのやつゥ! 今、地下でフリーズしてしまってあるからァ」
シャンターが興奮した様子で、鼻息荒く大声を上げる。
その直後、ゼロリュスがカウンターに身を乗り出し、シャンターの胸倉を強くつかんだ。
「お前、声が大きい。ふざけんなブチ殺すぞ」
ドスの利いた声で言いつつ、シャンターの頭を激しく揺する。
「アッー! アッー! やめてェ! 痛くしないでェ!」
「声が大きいっつってんだよ。余計なことしゃべんな。こっちは色々聞きたいことあんだから、な?」
「ハ、ハイ、ハイィィ……」
ゼロリュスは突き飛ばすように胸倉を放し、シャンターを背後の柱に叩きつけた。むせて咳き込むシャンター。
そんなシャンターの様子を眉をしかめて見つつ、腕を組んで溜息一つ。
「どういう死体? どんなルートの?」
ゼロリュスが咳き込んでいる最中のシャンターに構わず、小声で問う。
「あ、あのォ、昨日の夜、ムバラン組の親分から頼まれたのォ。遺体の処理ィ」
ムバラン組は、冥龍会傘下のヤクザ系ギルドである。
「ムバラン組だと? どういった理由かは聞いたか?」
「うん、詳細は教えてくれなかったけどォ、絶対ムバラン組の仕業ってばれないようにってェ。もしばれたら冥龍会本家とマズいことに」
ゼロリュスは話の途中でシャンターの口を押さえ、そのまま後頭部を後ろの柱に叩きつけた。先程よりもっと強い勢いで。
「ぶげっ!」
「声が大きい。二度目だ。次は本当に殺す」
「ムゥー! ムゥー!」
ゼロリュスがシャンターの口元をつかんでいる掌から、音もなく魔力を放出する。ゼロリュスの指とシャンターの鱗の間から形成された闇が漏れ出る。
シャンターがもがきながら、必死に小刻みにうなずく。ゼロリュスは舌打ちをして手を放す。
「……大体分かった。つまり、本来処理するように頼まれた死体をこっちに転売する気か」
ゼロリュスが努めて小さな声で言い、シャンターの真っ黒な目をじっと睨み据えた。
「……まぁそういうことになるねェ~」
これは明らかにムバラン組に対しての契約違反、大いなる不義理となる。さすがにシャンターも声量を抑えた。
「他はないのか? そんなヤバい死体使えるかよ。死霊の器にするんだって言ったよな? もし処理を依頼したはずの女の死体が街中を歩いているとこムバラン組の奴に見られてみろ。あんたもただじゃ済まないぞ」
ゼロリュスが忠告する。実はゼロリュスは過去にムバラン組の世話になっていた時期があり、親分のムバランとも知り合いだった。
昔、ゼロリュスはとある魔術士ギルドに所属していたが、ギルドは彼の操る術を生と死の理を歪める邪法と一方的に決めつけ、彼を追放した。だが、ムバランはゼロリュスの術を認め、必要としてくれたのだ。
そういった経緯から、ムバラン組には恩がある。組の事務所の門を叩けばムバランには普通に会えるのだ。
だが、この場では、シャンターにそのことは言わなかった。この話をハリクに持ち帰った結果の如何では、この危ない橋を渡る芽もある。まだこの線は消さない。
「でもォ、今手に入ったのはこれだけェ。他にも買い手いるしィ。買わないならいいよォ」
「嘘だな。こんなヤバい話に乗る客いるかよ」
「他にも買い手いるしィ~」
シャンターは小声で、ボロボロの牙を除かせてほくそ笑む。
「シャンターさん、俺に駆け引きしても無駄だって。必要としてるのは俺の知り合いであって俺じゃないよ。最終的に判断するのはあいつだ」
ゼロリュスの想像以上にヤバい由来の死体だった。しかもあろうことか、シャンターはヤクザ系ギルドに処分を頼まれた死体の横流しを持ちかけてきている。
リスクの高さは天井を突破している。事は極めて慎重に進めねばならない。
正直、ゼロリュスは少しも深入りしたくない話だ。もうここからは自分を間に挟まず、ハリクとシャンターで直接やり取りしてほしい。
しかし、ゼロリュスは真の依頼人であるハリクの名を現時点では明かさないようにしていた。そしてハリクにもこの店のことは教えていない。
「ええ~、じゃあその人に買うよう勧めてよォ~。ゼロちゃぁ~ん」
幼子のようにせがむシャンター。
よほど卓上の注射器に入れるべき『クスリ』がほしいらしい。シャンターの何でも屋はこのクスリも長年取り扱ってきた。シャンターの店にクスリを卸しているのはムバラン組だ。
このクスリの販売はムバラン組の重要なシノギ、つまりは資金源なのだ。
何にせよ、クスリの売人が自らクスリに手を染めるようになったらもう終わりだ。よくあるパターンだが。おまけに、クスリを買う幾許の金欲しさに、ヤクザ系ギルドから処分を依頼された死体を横流しするという、恐ろしく危険な行為を平気で実行しようとしている程に、判断力が緩んできているようだ。
ともあれ。
「とりあえず情報だけは持ち帰りたいから、まずは実物を見せてくれ」
「あい」
こうして二人は店の地下へ続く階段を下り、暗い倉庫へと消えていった。
◆
何でも屋の地下倉庫で、凍結魔法で封印されていた死体を確認した翌日、ゼロリュスは仕事終わりにハリクと待ち合わせした。
場所は個室付きの酒場。
ゼロリュスが着いたときには既にハリクは来ており、すぐに本題に入った。
「一体、都合ついた」
「本当?」
ハリクが真剣そのものの表情で、話に食いつく。
「死んだのは二日前くらいですぐに凍結保存してあるから鮮度は良い。もちろん女性で、歳は見た感じ十代後半から二十代前半」
「凄い、アイリに丁度いい。いくら?」
ハリクが興奮を抑えられぬ様子で死体の価格を問う。
「まあ待て、一通り説明するから、買うかどうかの判断はそれからだ」
「うん」
「胸に刺し傷あり」
「殺されたってこと?」
「そうだ。その辺もこれから説明する。まあ、外傷は俺の方で何とでも修復できるし、そもそも悪霊を入れるんだから問題あるまい」
ゼロリュスが言うと、ハリクは眼鏡の奥の瞳を鋭くし、その目線でゼロリュスを刺してきた。
「アイリは悪霊なんかじゃない。今度言ったらいくら君でもただじゃおかない」
「分かった分かった。そう怒んなよ(こいつ、誰がこんな面倒事に協力してやってると思ってんだ?)」
ゼロリュスは軽い調子で愛想笑いを作り、ハリクをなだめた。
「アイリは決して悪霊じゃなかった。ロシーボ殿の判定は間違っている。僕の話よりロシーボ殿のデータを信じたウィーナ様も」
恨みがましく目を細めるハリク。それを受けて真顔を戻すゼロリュス。
「今ここでその是非を論じるのはやめよう。お前が感情的にならずにいるのは無理だし、俺はこの件で答えも意見も持つつもりはないからお前を怒らせちまう可能性がある。よって、時間の無駄」
「分かった。話戻そうか」
ハリクも無用な軋轢を生じ得る話題は回避するのが吉だと察したようで、言いながらボトルを寄越してきた。
「ああ、そうだな(どうも死人の怨念に引っ張られ過ぎている。危うい……。万一のとき、俺まで巻き添え食うのは避けたいが……。リーセル殿はどこまで知っている?)」
ゼロリュスは空のグラスを差し出す。強くて質の悪い安酒が静かに注がれグラスを満たす。ゼロリュスは注がれた酒を口にせず、一旦グラスをテーブルに置く。
「まあ、先に結論から言うとかなりヤバい死体だ。元々冥龍会系のムバラン組が冥龍会本家と繋がりの深い女を誤って殺しちまったようで、これがもし本家に知られたらムバラン組としてはまずい。だからムバラン組は自分達が女を殺したとばれないよう、死体を人知れず処理するよう何でも屋に依頼した。それで何でも屋がその死体を買わないか、と言ってきてる。どれだけヤバいか分かるだろ?」
ゼロリュスの説明に対しハリクは都度相槌を打ちながらも、表情を凍り付かせていた。
「もし、その死体にアイリを入れて、例えば街中を歩いているところをムバラン組か冥龍会に見られでもしたら……」
「ムバラン組に知られたら、俺もお前もアイリも何でも屋もお終い。冥龍会に知られたら、俺もお前もアイリも何でも屋も、そしてムバラン組もお終い。それだけの違いだ」
「ああ……」
表情を曇らせ、歯切れの悪い返事ともつかぬ声を漏らすハリク。ためらいの表情だ。
「更に言えば、ムバラン組っつったら冥龍会傘下の組の中でも有数の武闘派だ。事が起きたら全部血によって清算することになる。ただ殺されるだけならマシだけど、マジで楽には死ねないぞ。俺もお前も」
「随分詳しいね」
「実際ムバランの親分に不義理やって楽に死なせてもらえなかった奴を何人も見てきてる。昔、俺がまだ刑務所に入る前のときだけど、ギルドを追放されてからムバラン組の世話になってた時期があるから」
「なるほどね。君としてはどう思う? この話」
「決めるのはお前だが、俺の意見では、正直、おすすめはしないぜ。危険過ぎる。それに、俺としてもムバランの親分には恩があるから、後足で砂かけるような真似したくない。てか普通に報復が怖い」
「容姿的には?」
ハリクが更なる判断材料を欲する。
「えっ、容姿的には? ってどういう?」
「あの、容姿。その死体の。見た目的にはどんな感じ?」
「ああ、はいはい。外見はまあ、最高クラスの美人。キレイ系で、巨乳、腰はめっちゃくびれてて、ケツもでかい。顔もスタイルも最高クラス。俺の勝手な推測だが、多分冥龍会直系の、親分か幹部クラスの愛人とかだったんじゃないかな?」
「いや、種族のこと」
「え? そっち? ああそっか、言ってなかったけどヒューマンタイプ。俺やお前と同じ」
「う~ん……」
グラスに注がれた安酒を飲み干し、しばし考えるハリク。ゼロリュスは空いたグラスに無言で酒を注いでやる。
「あと注意事項として、両方の乳首にピアス穴あり。実際の死体はつけてなかったけど、穴開いてた」
「えー、マジで……」
ハリクが顔をしかめる。
「ああ」
「ま、まぁ、そのぐらいだったら。でもアイリが何て言うかな……」
「だったら、更に言っとくと、背中一面と尻全体、しかも女性器と肛門の周辺にまでがっつりタトゥーが入ってる」
「え~っ!? さすがにそれは……。どんなタトゥーなの?」
「何かよく分からないけど、凄く複雑なデザインの、背中の翼から始まって、花だか魔方陣だか何かの女神っぽいのが合わさったようなの。あれ相当な彫り師に入れてもらってるぜ。それも滅茶苦茶金かかってるはず」
「ヤバい人だね」
「だろ? もう生前会ってなくてもヤバい女だって一目で分かる」
「価格は。いくら?」
「34万G。出せるのか? まだ向こうの言い値の段階だけど」
「それなら出せる」
即答するハリク。ゼロリュスはやや面食らった。
「出せるのか? そんな大金」
「この前、ちょっと色々あってまとまったお金が手に入ったから」
「ふ~ん……。で、買う?」
ゼロリュスが言うと、ハリクは安酒を一口飲み、しばしの間、目をつぶった。ゼロリュスは急かしもせず、黙って見守る。
「どうすべきか……。君から教わった術で、その死体にアイリを入れて、すぐさま姿を暗ませばいいんだな。王都から逃げるのも何でも屋に依頼できるのかな?」
「どうだろうな。買うんだとしたら、すまんがそっからは、俺を間に挟まず直接その何でも屋と交渉してほしい。場所だけは教えるから。正直、この話進めるんだったら、俺はこれ以上関わりたくない」
「うん、もちろん。ここまで協力してくれたんだから、これ以上巻き込むつもりはないよ」
「ただ、さっきも言った通り、俺としてはやめといた方がいいんじゃねえかって思う。ヤバい死体ってのもあるけど、何よりその何でも屋が、すっかりヤク中で頭が完全にぶっ壊れてる」
ゼロリュスの台詞に対し、ハリクは露骨に嫌な顔をした。
「ええっ……!?」
「天井の染みを星座みたいで綺麗だとか何とか言ってた。ムバラン組のクスリやってる奴って、末期になるとみんな首上げて、上ばっかり見るようになるから、ラリってるとき天井の話をよくするんだよ」
言いつつゼロリュスは上を向き、天井を指差してみせた。
「ええ~っ……!?」
「だからこんなヤバい話持ちかけてきたのも、クスリ買う金を得るためなんだと思う。組から仕入れた売り物を、みんな自分で使っちゃったんじゃない? そうでもなきゃ、少しでも正常な判断力がありゃこんな無謀はことは普通しない」
「えええ~っ……!?」
ハリクはどんどん困惑の色を強めていく。
「だから、よっぽど追い詰められてるっていうか、そんなことしてまでもクスリが欲しいっていうぐらいに、欲求を抑えらねえってことだわな」
「だよね。普通こんなことしないよね」
「店の玄関にも、ツケや借金の催促がびっしり貼ってあった。『人でなしのクズ野郎! 金返せ!』みたいなのが。ヤク中の奴ってクスリ買うの最優先で、最低限の生活面での支払いすら滞ってああなるんだ」
「そうか、そんな感じなんだ」
「ああなる前は腕利きの何でも屋だったんだがなぁ……。これから危ない橋渡るのに、あんな頭イッちゃってる奴をビジネスパートナーにするって……」
ゼロリュスが溜息混じりに言い捨て、グラスの酒を煽る。喉を通過した酒が胸を温め、ここまで酒にも料理にも一切手をつけていなかったことに気付く。
彼は逮捕されて刑務所に入れられる前、ムバラン組のお抱え黒魔術士をやっていた時期に、そういった思考や判断力が破壊された末期状態の薬物中毒者を何人も実際に見てきた。
狂い死にして久しい彼の母親もそうだった。実の息子であるゼロリュスよりクスリを愛する人だった。
シャンターのあの有様は、かつてゼロリュスが母も含め散々見てきた、廃人となった中毒者の典型例である。
「そんな人と組むのは危ないな。もしものときは、僕達のことを簡単にしゃべりそうだ」
「だろうな。ヤク中の奴はクスリの為に簡単に仲間を売る。口もえらく軽い」
「分かった。この件はやめとく」
「了解。だったらこの件、ムバラン組に言っちゃっていいな?」
「言うって?」
怪訝な顔を見せるハリク。
「もしこの件を断って、何でも屋が他の客に死体を流そうとして、ばれて組に捕まったら、拷問されて俺の名前出すかもしれないし。そしたら俺まで組から疑われる。何で知ってて黙ってたんだって」
「ああー、そっか」
「何でも屋がムバラン組から処分してくれって頼まれた遺体を他に売ろうとしてるって知っちまった以上、俺は身を守る為に組にチクるしかねえんだ。もしお前がこの話に乗るって決めたら、俺も腹くくるつもりだったが」
「やっぱさすがにここまでヤバい話には乗れない。せっかく持ちかけてくれて申し訳ないけど」
「ああ。ちなみに何でも屋にはまだお前のことは一切言ってなかったから大丈夫だ」
「ありがとう」
「まあ、断るついでに一回は説得してみるけど。依頼通り処分しといた方が身の為だって」
「その方が平和的だね」
「引き続き伝手は当たってみる。そんでまた算段がついたら連絡する。ただ、黒魔術用の死体も、需要に比べて流通が少ない代物だから、時間はかかると思っといてくれ」
「お願いするよ。手間かけさせて申し訳ない」
◆
「そうだねェ、ゼロちゃんの言う通りだねェ! 分かった、やめとくよォ~! エーッヘッヘッヘッヘ。ところでゼロちゃん金貸してくんない?」
「何で?」
「妹が病気でェ、クスリ買う金が必要なのォ~」
「病気の妹の薬代ねぇ……。分かったよ」
ゼロリュスが餞別のつもりで、財布から一万G紙幣を一枚出し、シャンターに渡した。
「ほわあああ! ありがとォ~! ヒヒヒヒヒ!」
「それじゃ、俺はこれで」
「ヒヒ、ヒヒヒヒヒ」
「じゃあな、シャンターさん」
「ヒヒヒ」
「シャンターさん、妹によろしくな」
「ヒヒヒ、ヒヒヒヒ!」
「シャンターさん」
「ヒーッヒッヒッヒッヒッヒ!」
会話にならなかったので、ゼロリュスは構わずシャンターの店を後にした。
ゼロリュスが話を断るついでに忠告をしたら、シャンターはそれを受け容れ死体の横流しをやめると言った。しかし、彼の一連の態度から、ゼロリュスはその言葉を信用しなかった。
口ではやらないと言っていても、あの様子を見る限り、結局やりそうな気がした。
そのため、ゼロリュスはその足でムバラン組の事務所に赴き、親分のムバランにこの件を話した。
ムバラン組が内々に処理するようシャンターに依頼した女の死体を、買わないか持ちかけられたと。
話を聞いたムバランや若頭は最初は半信半疑だったが、そもそもこんな話をゼロリュスが知っているということ、そして問題の死体の外見的特徴、つまりは彫られたタトゥーの話をしたら信用してくれた。
◆
数日後、王都の繁華街を南北に分かつ王都川に、赤い鱗に覆われた中年男性の死体が浮かんだ。
およそ考え得る限りの肉体的な責め苦を与えられたことが一目で分かる、酸鼻を極める損傷状態の死体が。
警察隊が現場検証をする中、多くの野次馬が取り巻いている。その中に、ハリクもいた。
「俺がムバラン組に密告したらこうなった」
ハリクが川べりに運ばれた遺体を遠目に見ていたら、突然ハリクの脇でささやく小声。
驚いて振り向くと、いつの間にかゼロリュスが横に立っていた。
黒を基調としたローブに身を包んだ、切れ長の三白眼が特徴的な男だ。
法律で使用を禁じられた、生と死の掟を捻じ曲げる違法魔術を専門とする黒魔術士。人の歪んだ欲望を叶える為に存在する邪法の数々だ。
実際、ゼロリュスは違法魔術の使用による逮捕歴があり、数年の実刑判決を受けた過去がある。そして釈放後、ワルキュリア・カンパニーに就職したクチだ。
ハリクが専門とする光属性、即ち聖なる力を源流とする、他人を守る為、癒す為、救う為に存在する気高き魔術とは対極に位置する。
「もしかして、例の何でも屋……」
ハリクも小声で返すと、ゼロリュスは無言で首肯した。
「彼は君の忠告を聞かなかったの?」
「やめるとは言ってたけど、どうもやりそうな感じしたから、一応親分には言っといた」
「そうか……」
ハリクは言いつつ、無表情でさも当然のように言うゼロリュスに良い印象は持たなかった。
いつも思うが、このゼロリュスという男、人としての感情が欠落しているのではなかろうか。徹頭徹尾酷薄で、この世の全てを信用しないとでも言いたげな目線、態度、口調。
ハリクとしてもこのような人物を信用したくはないが、アイリの魂を死体に入れる魔法を伝授してくれ、更には必要な死体も探してくれる。不本意ながらも助力を頼まざるを得なかった。
「親分が、死体を探してるんならこいつを使わないかって言ってくれたんだが、断ってよかったろ?」
ゼロリュスは警察隊の兵士達が確認している、赤い鱗の死体を指差して言った。
「勿論。探してるのは女性のだから」
こんな中年男性の体にアイリを入れるわけにはいかない。ましてや、薬物の快楽を覚えている脳とアイリの魂を紐付けるなど、悪い冗談だ。
「ちょっと早いが、一緒にどっかで昼飯食ってくか? 昼時だとどこも混むから」
ゼロリュスが平然と言う。
一方で、ハリクは内心動揺しっ放しだ。
「い、いや……、今ちょっと、とてもそんな気分には……」
「そうか。じゃ、俺はもう行くから」
「ああ……じゃあね」
ゼロリュスが去った後も、ハリクは現場に留まり、警察隊の現場検証を呆然と眺めていた。ベテランの士官や兵士達は、あれ程までに惨たらしい姿の遺体を前にしても眉一つ動かさず、まるで事務的な定型作業のように粛々と仕事をこなしている。
もしかしたら、自分は思ったよりヤバい世界に足を踏み入れようとしているのだろうか?
ハリクはそう自問自答せずにはいられなかった。
「アイリ」
しかし、アイリは器となる肉体を欲している。
そして、ハリクは既にゼロリュスから死体と他者の霊魂を組み合わせる魔法を教わって、使えるようになってしまった。自身がその手段を会得してしまった以上、最早不可能を言い訳にすることはできない。
彼女の為にも後戻りするわけにはいかなかった。