番外編「橋の上」3
四方から海賊達が、剣を振るうべくリーセルに向かって一斉に間合いを詰める。
しかし、リーセルは瞬時に長い十本の足を四方に伸ばし、相手が剣のリーチに達する前に全ての敵を捕えた。
一人に対して二本ずつ足を振り分け、その内の一本で相手の胴を締め上げ、もう一本で敵の手元に巻きつき剣を絡め取っている。
ずっと正面のゼラットを見据えたまま、他の四人を見向きもせず、全員の胴体と手元を正確に捕えていた。まるで一本一本の足に目がついているかのように。
リーセルは上半身を微動だにせず、一瞬で四人の子分達を無力化した。
「なっ!?」
驚愕の声を上げるゼラット。
リーセルは子分から奪い取った四本のサーベルを足に持ち、巻き付いている子分達をメキメキと締め上げつつ、ゼラットにゆっくりとにじりよる。
「ギャーッ!」
締め上げられる子分達の悲鳴。ゼラットに舞うように襲いかかる四本のサーベル。
「クソッ!」
ようやくゼラットも己のサーベルを抜くものの、踊る四本の剣を相手に一本の剣で打ち合う愚は犯さなかった。
かざした左手に魔力を込め、リーセルに向かって分厚い水流を放射する。
リーセルに締め上げられている子分達も巻き込んで放たれた水流。リーセルは子分達を前に突き出して盾にするが、水流の圧力に押され船室の壁に叩きつけられる。
「グワーッ!」
子分達の悲鳴。
「リーセル殿!」
思わずハリクが声を上げるが、リーセルはほぼノーダメージであることはぼやけた視界からでも把握できた。
ゼラットは全速力で階段を駆け上がり、船の甲板へと脱出した。
「ハリク!」
リーセルが十本の足をくねらせてハリクの元へ駆け寄り、床に転がっていたハリクの眼鏡を拾い上げた。
足に持ったサーベルでハリクを縛るロープを切り、優しい手つきで眼鏡をかけてくれた。
拘束が解け、明瞭な視界が戻る。
そこで分かったが、リーセルの長い足に何重にもぐるぐる巻きにされている海賊達は、既に四人とも口の周りに血の跡をつけてぐったりとしていた。
リーセルがハリクの頬に手を添え、魔力を流し込む。
上級回復魔法『スーパーヒール』。散々に殴られた顔や額の傷が一瞬にして塞がっていく。
「ありがとうございます」
礼を言うハリク。
「これも」
リーセルは解呪の魔法を唱え、ハリクの手首にはまる魔力封じの手枷も解除した。
本当にこの人はあらゆる状況に対応できる。ハリクは心底感心した。
ハリクの救助を終えたリーセルは、涼しげな面持ちのまま、四人を捕えている足を解き、四本のサーベルと共に放り捨てた。
四人の体は骨も関節もぐしゃぐしゃにひしゃげており、既に死んでいるようだった。
ゼラットの水流を食らった際に悲鳴が上がったから、そのときまではまだ全員死んではいなかったはず。
多分ハリクを回復させたり手枷を外している間に、同時進行で息の根を止めたのだろう。
「こいつら、もう死んでます?」
状況を正確に把握すべくリーセルに問うと、リーセルは不敵かつ嗜虐的な笑みを浮かべる。
「大丈夫。全員しっかり殺しといた。骨も内臓もギチギチに圧縮したから」
「おお……」
ハリクが言葉にならぬ声を漏らし、子分達の死体を見回す。
一人は口から臓物が飛び出ていた。
「何? 不服?」
リーセルが不機嫌そうに、リーセルは冷たい、刺すような冷徹な瞳をハリクに向けた。
「いえ、安心しました」
ハリクはひとまず胸を撫で下ろし、深く溜息をついた。戦いの中に身を置く人生で、今回もまた命拾いした。今回は組織の任務絡みではないが。
「ゼラットを追うから、あなたはここにいて」
「他に敵はいないですか? 上に?」
「上にレレントとビゲームとバジャッシュがいたけど、みんな殺してある。後は船長のあいつだけ」
「なるほど」
そう言ったものの、ハリクはこの海賊の元メンバーというわけではないので、個人名を言われても分からなかった。
「ああ、名前で言ってもあなたにはピンと来ないわよね」
「いえ、それはまあ別に。この人達も知ってましたか?」
ハリクは周囲に転がる、四肢の原型を留めていない死体達に再び目を移した。
「こいつだけ初対面。私が抜けた後に入ったんじゃない?」
リーセルが口から内臓が飛び出ている死体を指差した。
「ええ」
「って無駄話してる場合じゃないわね」
「自分も手伝います」
ハリクが立ち上がる。
「ここにいてって言ってるでしょ。どうせ水中戦になるし。もう海に逃げてるはず」
「追えますか?」
「問題ない。待ってて」
リーセルは十本の足をウニョウニョと蠢かせ、甲板へと上っていった。
海に揺れる暗い船室。
一人ハリクは残された。周囲に転がるのは死体ばかりというおぞましい光景だったが、寧ろそれがハリクを安心させた。
◆
リーセルは甲板に上がった。
薄暗い冥界の空の下、周囲に広がる漆黒の海原。
甲板には、レレント、ビゲーム、バジャッシュ、三人の死体。
いずれも乗り込んできた直後に繰り広げられた甲板での剣戟の末、リーセルの槍捌きに斃された者達。
船室内部には先程助けたハリク。それに加えて氷の魔法で射抜いたダヒム、足で絞め殺したボッド、アグ、オンタイ、そして自分が抜けた後で入ったと思われる名も知らぬ男の計五人の死体。
かつての仲間達だが、罪なき人を襲う集団に成り果てた連中。それに何より、ハリクに危害を加えた。殺すことに何の抵抗もなかった。
リーセルは静かに目を閉じ、左右に鋭く伸びたエルフ型の両耳に着いたチェーン状のピアスをゆらゆらと揺らす。
そのピアスの先端に付いた紫の魔石が輝き、周囲に特殊な音波を放つ。
リーセルは目を閉じたまま、全身の感覚を研ぎ澄ませ、両耳のピアスから周囲に広がっていく音波の広がり、反響を、ビキニアーマーしか身に着けていない全身で受け止める。
しばらくして、甲板から海中へ放たれし魔力を帯びた音波が、人ほどの大きさの物体に触れたのを、大きく裏側を向けて広げた十本足の吸盤が感知した。
感知した存在は高速で泳いで、この船から離れ続けている。
「いた」
リーセルは槍を握りしめ、輝くピアスから音波を放出したまま、海へと飛び込む。
そして、海流に揺らめく十本の足を巧みに操り、ゼラットの数倍のスピードで追跡、みるみる距離を詰めていく。
ゼラットを視界に捉えたのはすぐのことだった。
「逃げられると思ってるの?」
水棲種の、水中でも明瞭に通る声帯をもってゼラットに語りかける。
「てめえ!」
ゼラットが反転し、水かきのついた足を動かしながら突撃してきた。
リーセルも体を反転させ、十本の足を前方に出し、花びらのように展開。全ての足で絡め取らんとする。
「おらああっ!」
ゼラットは赤い闘気を帯びたサーベルを横一線に薙ぎ、リーセルの足三本を切断する。
足先に走る激痛。
「ああっ!?」
たまらず悲鳴を上げるリーセルだが、悲鳴を上げながらも残りの七本でがっちりとゼラットを捕え、吸盤を全身に吸着させる。これで絶対にゼラットは離れることはできない。
巻きついた足の一本を、ゼラットの武器を持つ手に侵食させるが、それより早くゼラットはサーベルを振り降ろした。
赤いオーラを纏った刃筋が更に二本の足を切断するが、その隙に残り五本の足で両脚、胴、そして両腕をも何重にもぐるぐる巻きにし、既に皮膚のほぼ全域に吸盤が吸い付いている。
「痛いっ!」
再び激痛に苛まれたリーセルだが、足の巻きつきの力を更に強くし、手にした槍を振るって相手のサーベルを打ち払った。
「ぐっ! ああっ!」
苦悶するゼラット。海底に沈むサーベル。
「んっ……。あ、ああっ!」
リーセルも苦悶していた。切断された五本の足を震わせると、断面の肉が脈動、盛り上がり――。
「ああ、あああっ! はっ、あうっ……、お、おおぉぉうっ!」
咆哮のような悲鳴と共に足が再生した。実は切られたときより再生するときの方が遥かに痛い。
リーセルは完全に身動き取れぬゼラットを目の前に寄せ、再生したばかりの足先で水に揺れる彼の金髪を撫で、槍を持たぬ左手で彼の右頬と耳ヒレをなぞった。
「はぁぁ……、あぁ……、な、何なの? 元カノに随分酷いことするじゃない。再生するときの方が何倍も痛いって知ってるでしょ? もう……。さあ、殺してあげる」
「す、すまなかった。俺の負けだ、助けてくれ……」
全身を締めつけられ、命乞いの言葉を絞り出すゼラット。間近で顔を見る。やはり美男子だ。無様に命乞いする表情がたまらなく美しく、リーセルの嗜虐心をこの上なくそそる。
楽しい。邪魔の入らぬ海の底。ハリクも見ていない。楽には死なさない。
「助ける? あなたの何を助けると言うの?」
締めつける力を強くすると、ゼラットの口から悲鳴が漏れる。完全にゼラットの命はリーセルの手の中だ。
「頼む。どうすればいい? 何をすればいい?」
ゼラットが苦痛に顔を歪め、必死に言葉を絞り出す。
「あなた、やっぱりイケメンね」
「な、何……だと……」
「何で? 何であなたはそんなクズなのに、そんなイケメンなの? 馬鹿なの?」
リーセルが巻きつく力をやや弱め、右手に持つ槍を一本の足に持ち変える。そして、両腕をゼラットの首筋の後ろに回し、抱き寄せた。
リーセルが自らの額をゼラットの額に重ねる。銀の髪と金の髪が水の中で揺れ動き、交錯する。
「この顔に騙される私のような女を出さないために、ここでしっかり殺しとかないと」
「い、嫌だ……。殺さないで……」
恐怖を帯びた情けない声を漏らすゼラット。ハリクを人質に取っていたときの威勢と余裕は完全に消え失せ、同じ人物とは思えない。
「いいわね。その無様な表情。そういうの大好き」
「助けて」
「私の言うことに素直に答えろ。そうしたら助けてあげる気になるかも」
嘘を言うリーセル。百万に一つも生かすつもりはない。更に言葉を続ける。
「あなたがこんなことしたせいで、私今日一日だけでもう八人殺しちゃったんだけど? しかもかつての仲間を。どうしてくれるの? 私の心を罪の意識で破壊する気? 責任取ってよ」
罪なき者達から略奪行為を働いてきた賊に対して同情心も、良心の呵責も一片もなかったが、リーセルはそう言った。
「すまん、許してくれ」
「何をどう許すって言うの? あいつらがみんな死んだのにあなた一人だけ生き残る気でいるんだ? 凄いわねあなた」
嫌味を言うリーセル。
「すみませんでした、本当に許して下さい。死にたくないです」
「うるさい。許せない。私のハリクをあんな目に遭わせて」
「やっぱり、あの男は、そうだったのか……」
「ええ、そうよ。私のハリクに危害を加えた時点であなたの死は確定事項なの。もう殺したくて殺したくてしょうがなかった」
リーセルは白く細い指に生え揃う、藍色に染めた鋭く長い爪をゼラットの頬に立て、音もなく肌を伝わせる。
ゼラットの顔に爪跡の筋が描かれ、紅い血は煙のように海水に混じり合い、霧散していく。
「あああっ!」
「私がどれだけハリクのこと好きか分かってるの? 私の思い出を散々踏みにじっておいて、更に私とハリクの未来も奪おうとしたわね」
「すみませんでした。許して下さい」
「ハリクに謝れ」
「ハリクさんすみませんでした」
「お前達が今まで殺して奪ってきた、被害に遭った人達にも謝れ」
「申し訳……ありませんでした……」
「心から謝ってない。響かない」
「すみませんでしたぁ……」
とうとう顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫ぶゼラット。
「そんな口先だけの謝罪でお前らの罪が許されると思ってるの? 謝ったところで何の意味もない。そんな謝罪で殺された人達が生き返るわけ? 略奪を受けた人達の損害が補償されるわけ? あなたのその価値のない命でどう償えるの?」
泣き叫ぶだけで何も答えられないゼラット。
「言うことに答えろと言ったはずでしょ? 私の納得する答えを言ってみろ。じゃないと助からない」
無論、そうは言っても、たとえゼラットがどんな回答をしようと、リーセルは100%否定する。正解など存在しない、いたぶるための問いだ。
リーセルは常にゼラットに、助命されるかもしれないという一縷の望みを提示し続けた。絶対に生かして返すつもりはないにも関わらず。
「自首して罪償うから助けて」
「そんな必要ないわ。どうせ死罪になるんだから。牢屋に入れとく分税金の無駄」
「自首する……、裁判を受けさせてくれぇ……」
懇願するゼラット。
「黙れ。あなたみたいな男に惚れた私の気持ちはどうなるの? 人の心を裏切ったのはそっちでしょ?」
「すみませんでした」
「よくも毎日のようにその汚らわしい、卑しいチンポ入れてくれたわね。それで私は幸福で満たされていたのに。悪人だけから盗む義賊なんじゃなかったの?」
「もう絶対にしない。一緒に、やり直そう……」
「黙れ犯罪者。あなたの首に賞金かかってるの知らないの?」
「し、知っている……」
「生死問わず」
リーセルは笑った。
「で、私のこと、まだ好きなの?」
締めつけをどんどん強くしていく。
「ぐわああああっ!」
「大丈夫。あなたの分まで私が生きてあげるから」
「や、やめろおおおっ!」
「こうして元カノに全身包まれて、いい死に方じゃない? きっと、あなたが心のどこかで望んでいた死に方。だから私をこんなに怒らせたんでしょ?」
「あがああ! ぐわあああああああっ! い、嫌だあああ、じにだぐないぃぃ、だずげべえええっ!」
最高の悲鳴と命乞い。リーセルの心を内から昂らせる。じわじわと、ゆっくりと締めつけを強くする。なるべく苦しめる。簡単には死なさない。
犠牲者の恨みを晴らすため、また、リーセル自身の踏みにじられた思いを晴らすため。
そして、彼女自身の嗜虐心という名の欲望を満たすため。見目麗しい男が、自分の足の中で死んでいく。
「ねえ、まだ私のこと愛してるの?」
「あばああああ! 愛してるううううっ!」
「私のこと好き?」
「好きだあああああああああっ!」
リーセルは十本の巻きつけた足で、ゼラットの骨が潰され、粉々に砕ける感触を確かに味わった。
◆
「終わったわよ」
リーセルが船に戻ってきた。
ゼラットの死体と共に。船室で死んでいる子分達と同じように、原型も留めぬ程に激しく締めつけられた圧死体だった。
「お疲れ様でした」
「ハリク、ごめんなさい。巻き込んでしまって」
「いえ、自分の方こそリーセル殿の足を引っ張ってしまい……」
「そんなことないわ。とりあえず、この船を岸に付けましょう。私、操舵できるから」
「はい」
「岸からそんな離れてないから、すぐに着くわ」
こうしてリーセルは自らの過去を清算し、賞金首も討ち取ったことになる。
この船も証拠を兼ねて官憲に引き渡せば、大きな手柄となるだろう。
「ハリク、この借りはいつか返すから」
「そんな借りだなんて……」
二人を乗せた死体だらけの船は、程なくして沿岸の港に辿り着いた。