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やるせなき脱力神番外編 橋の上  作者: 伊達サクット
2/8

番外編「橋の上」2

 目が覚めると、ハリクは縄で縛られ、柱にくくりつけられていた。

 潮の臭い。揺れる地面。波の音。

 船の中か。薄暗い部屋。船室だ。

 後頭部と、頬が殊更に痛む。殴られて気を失ったらしい。

 手首に重み。念じても魔力を(てのひら)に出すことができない。魔力封じの手枷をはめられているようだ。

「お頭、目を覚ましましたぜ」

 まず視界に入ってきたのは、全身を緑色の鱗に覆われた、側頭部に飛び出た眼球を持つ、魚人タイプの男だった。

 頭にバンダナを巻いており、袖のないシャツを着用。腰にはサーベル。どうやら海賊らしい。

 階段の軋む音。甲板から、何者かが降りてくる。

「目ぇ覚ました!? あー良かった。あんまり目を覚まさないからもう死んでんじゃねーかと思ったわ」

 声の主は、ヒューマン系統の顔立ちを持つ魚人タイプの、金髪の美男子だった。

 鱗は持たないが、全身の肌は青く、側頭部には耳ヒレ。鋭い爪の伸びた指には水かきが付いている。

 胸元を大きく開いた白いワイシャツを着ており、ラフなスタイルだ。腰に提げている曲刀は、その装飾から脇に立つ子分のサーベルより数段上物であることが分かる。

 お頭と呼ばれた美男子は、金髪を揺らして、人の悪い笑みを浮かべる。

「ハリクさんよぉ、大体置かれてる状況は分かるだろ?」

 一見すると爽やかな好青年な態度だが、その目には威圧と殺意が宿っている。恐怖と嫌悪でハリクは思わず眉をしかめた。

「……はい」

 大人しく返事を返す。

「お前、リーセルをおびき寄せるための人質なんだわ」

「そうですか」

 何て反応してよいか分からず、とりあえず相槌を打つ。

 しばらく沈黙が場を支配する。お頭は柱に縛られるハリクを見下ろしていた。

「あー……」

 お頭は言いながら、大儀そうに頭を二、三度掻いた後、ハリクの顔を強かに蹴り飛ばした。

「がふっ!」

 覚悟はしていたが、そんな覚悟は何の役にも立たない。理不尽に振りかかる暴力にたまらず咳き込むハリク。

「『そうですか』じゃねーよ。普通聞くだろ、こっちに色々と。『お前達は何者だ』とか『何が目的だ』とかよ」

 不機嫌そうにお頭が言う。

「……だ、だって人質の分際で、そんなこと質問する権利、あるんですか?」

 口元から血を流しながらハリクが問う。

「お前こんな目に遭ってんだからよ、そんなお行儀よくしてんじゃねーよ!」

 お頭が今度はハリクの胸を踏みつけるように蹴飛ばす。

「がっ!」

「普通は怒って抵抗すんだろ! そんでこっちにもっと興味持てよ! ムカつくなぁ!」

 またもお頭の蹴りが入る。

「ぐわっ! お、お前達、何者だ……。どうして、こ、こんなことを……」

 ハリクは息を切らしながら何とか言葉を絞り出す。

 それを聞いた途端にお頭は歯を食いしばり、額に青筋を立てて激昂し始めた。

「てめぇ……! 人質のくせに何様のつもりだ? テメーに質問する資格なんざねぇーっ!」

 お頭が何度も拳を振り上げ、ハリクを何度も殴りつける。レンズが割れ、吹き飛ぶ眼鏡。

「がっ! ぎゃっ!」

 顔が衝撃で右に振られ、左に振られる。顔中が激痛に覆われ、思考が奪われていく。

 鼻血がどくどくと流れ落ち、口の中は血で満たされる。

 殴られた衝撃で口の中に含まれた血が飛び出し、ローブの胸元を情けなく染めた。

 そんな中、おそらく船の甲板から、怒号と衝撃音が響き渡ってくる。上で戦闘が起こっているのか。

「あ、まさか……」

 魚人タイプの子分が階段の方を見上げてつぶやき、お頭の方に大きな金色の目を流す。

「おお、来たか」

 お頭が楽しそうに顔を歪めた。

 甲板へ出るドアが外側から砕かれ、青白い、吸盤に覆われた十本足が姿を見せる。

 リーセルだ。眼鏡を失いぼやけた視界でも分かる。

 陸上活動時のタイツを履かず、粘液に覆われた足の数々がぬらりと光る。

 リーセルが足を蠢かせ階段を降りてくる。海を泳いでやってきたらしく、上半身に身に着けるのは蒼い宝石があしらわれた銀色のビキニアーマーのみ。

 肩紐も、背中に回す紐も存在せず、バストを覆うカップの部位だけのもの。そのカップは左右それぞれ連結せずに独立し、魔力によって豊満な胸に吸着している。

 その真っ白な上半身の肌は、薄暗い船室に慣れたハリクにとっては目が痛くなるほど眩い。

 同じく眩い銀の長髪は、後頭部で結い上げている。

 リーセルはその足で、ぐったりとしている海賊達を左右に二人ずつ、四人程を巻きつけて締め上げていた。

「よお、リーセル、久しぶりだな。来てくれると思ったぜ」

 お頭は嬉しそうに、爽やかな笑顔を作った。

 リーセルは冷たい視線をお頭に向け、足で捕えている四人の海賊達を左右に放り投げ、船室の壁に叩きつけた。

「どういうつもり? ゼラット」

 リーセルが鋭利な巻貝を模した穂先を持つ槍を構える。ここでハリクは初めてお頭の名前を把握した。

「リーセル、お前に戻ってきてほしいんだわ。海に」

 尚もゼラットは綺麗な笑顔を崩さない。

「戻るつもりはない。ましてや海賊なんかに」

 リーセルは鋭い眼差しに怒りを含め、ゼラットに投げつけた。

 彼女は以前、海賊だったのだろうか。ハリクが初めて聞く話だった。

「いやさあ、この稼業、やっぱお前の力がないとちょっと厳しいんだわ」

 ゼラットが申し訳なさそうに頭を掻く。

「ふざけるな。ハリクを返せ」

「こんな男のどこがいいんだよ」

「あなた何か勘違いしてない? ハリクは私の部下」

「お前が俺達の所に戻ってくるなら返してやるよ」

 ハリクは目を細め、ゼラットを見上げる。相も変わらず、爽やかな笑顔だ。

「ハリクは関係ないでしょ。何で巻き込むの?」

 リーセルの言を受け、ゼラットは馬鹿にしたように鼻で笑う。

「ま、多少強引ではあったが、丁重に扱ってはいた。無事に返すつもりだ」

「ハァ!? これのどこが丁重なの? どこら辺が無事?」

 リーセルが散々に暴行を受けたハリクを見て、語気を荒げる。

 ゼラットはへらへらと笑い、真剣な態度を取ろうとしない。

「そんな怒るなって。お前が戻ってくるならちゃんと返すよ。なぁ、いいだろ。また一緒にやろうぜ?」

「嫌だと言ったら?」

 リーセルが言う。

 当たり前の話だ。リーセルにとって、ハリクはただの部下の一人に過ぎない。彼女が海賊に戻る決断をしてまで、わざわざ助ける価値がある存在でないことは承知している。そこまで自意識過剰ではない。

「まあ、こいつの命はないわな」

 ゼラットがさも当然といったように答えた。脇に立つ魚人タイプの子分が、剣を抜いてハリクの喉元ギリギリまで寄せてくる。

 リーセルに放り投げられてぐったりとしていた四人の子分も、ようやくふらふらと立ち上がってゼラットとリーセルの様子を見守っている。

「リーセル殿! 自分に構わず……」

「黙れ!」

「ぐわっ!」

 ハリクが声を上げたが、途端に剣を喉元に突きつけていた子分が激昂し、剣の硬い柄頭で頭を殴られてしまった。

 額からも出血し、眉間から流れ落ち、鼻の輪郭になぞって左右に別れ滴り落ちる。

「う、ううう……」

 激痛に耐えかねうめき声を上げてしまう。無様に人質となり、こうしてリーセルに迷惑をかけまくっている自分自身を不甲斐なく、情けなく思った。

 そう思い、ハリクは何とか次の言葉を押し出す。

「構わずこいつらを倒して下さい」

 ハリクは顔の表面に乗った血を散らしながら頭を上げ、眼鏡を失ってぼやけた視界にリーセルの真っ白は肌を入れた。

「黙れっつってんだろ! オラァ!」

 魚人の子分が再び剣の柄頭でハリクを殴りつける。

「がっ!」

 ハリクはたまらず声を上げた。ぼやけた視界は暗くなり、意識が遠のくようだ。

「ハリク!」

 リーセルが呼んだハリクの名は、焦燥の色を帯びていた。彼女の十本足がうねり出すと、周囲で様子を見守っていた手負いの四人の子分達が、すかさず腰からサーベルを抜き、リーセルを牽制する。

 ゼラットが手を突き出し、血気にはやる子分達を制止しながら、ゆっくりと話始める。

「……こいつだけじゃない。お前が戻らないと言うならこいつを殺して、今度は別の、お前の周辺にいる奴を攫っていく。それでも戻らないんならそいつも殺す。そしてまた、お前と関係がある他の奴を攫う。それを繰り返す。お前の近しい人がみんな死んで、陸に居場所がなくなり、ここに戻ってくる以外なくなるまでな」

 ゼラットの脅しを聞いたハリクは歯を食いしばり、顔をうつむけた。ゼラットの顔は見ていないが、どうせあの綺麗で爽やかな笑顔で言っているのであろう。

「そんなことをされて、私があなた達の所に戻る気になると、本気で思ってるわけ?」

「うん、思ってるよ。お前は自分のせいで関係のない者達が次々と死んでいくことに耐えられるはずねえさ」

「お生憎様。そんなことにはならないわよ。だって、仮にあなたが今ハリクを殺したとしたら、その時点で私はここにいる奴ら全員殺すから」

 それを聞いたゼラットは、ようやく斜に構えた笑顔を消し、表情に苛立ちを見せ始めた。

「俺達全員を殺す? お前一人で?」

「ええ。そうよ。って言うか、それ以前に、あと一回でもハリクを殴ったりしたら即、皆殺しよ。私自身、正直言ってこれ以上感情をコントロールできる気がしないの」

 リーセルが巻貝の穂先を魚人の子分に向けると、ハリクの喉元に突きつけられた刀身がほんの僅かに離れた。

「そんなことしたら、それこそ人質の命はない。お前は聡明な女だ。そんな馬鹿な真似はできねえよ」

「どうかしら? 一時期でもあなたの女だったことを思うと、私は自分をそんなに聡明だとは思えないのよ」

「だとしても、お前一人で、しかもこっちは人質がいる。そんな状況下で俺達六人を相手に何とかなると思ってんのか?」

「私は誰にも負けない。ましてや、私の力がないとまともに海賊稼業もできない情けない男共には」

 リーセルは静かに槍の先端をゼラットに向け直す。

「随分偉そうだな。陸に上がってから悪霊退治の組織なんかに入って、随分とご立派に振る舞っているようだが、お前一人だけ足洗って陽の当たる道歩めんとでも思ってんのかぁ? ええ!?」

 ゼラットが余裕を失い、段々と苛立ちを強めていく。対照的に、リーセルは四人の子分達に剣を向けられているにも関わらず、一切動揺せず、冷静な態度を崩さない。

「あなたが私との約束を破ったからこうなったんでしょ? 狙うのは悪どく儲けている連中だけだったはずなのに。先に裏切ったのはあなたの方よ」

「そんな話本気にしてたのか? 海賊やるのにそれで済むわけねえだろ。お前の頭はお花畑か?」

「そうかも。そのお花畑構想を本気でやろうとしてるって信じたからこそ、あなたに惚れて、この船に乗ったんだものね」

 リーセルの声色は若干寂しそうにトーンダウンしていた。本当にそうだったかは自信はあまりなかったが、少なくもハリクにはそういう印象をもって聞こえた。

「だったら、もう一度やり直そうぜ。今度こそ」

「冗談じゃないわ、ゼラット。あなた達がやってきたことは既に明るみになっている。陸で待っているのは法の裁きと絞首台。他の手下達は何とか死罪は免れるでしょうけど。政府の賞金首でもあるあなたは間違いなく死罪ね。ご愁傷様」

「……そうか、交渉決裂ってわけだな。もう少し賢い女だと思ってたが」

「私のことをお花畑のチョロい女だって見下してたんでしょ? あなたのような卑しい男の汚らわしいチンポが、毎日のように私の中に入っていたと思うと虫唾が走るわ。そして、そんなあなたと海を渡って過ごした日々を、大切な思い出として心の中にしまっていた私自身の愚かさにも。もう私は遠慮なく過去を打ち捨て前へ踏み出せる」

 リーセルは今日初めて、いつも任務中に攻撃対象に向けて浮かべる、サディスティックな冷笑を見せた。

「リーセルてめぇ、マジで今置かれてる状況分かってんのか? こっちには人質がいるってこと忘れてねえか!? なぁ!?」

 ゼラットが当初の悠然と構えた態度をかなぐり捨て、声を荒げる。

「やれるもんならやってみなさい!」

 力強く答えるリーセル。

 それでいい。安堵するハリク。

 ハリクは最初からリーセルが自分を助けてくれることなど期待していない。それどころか人質となってリーセルの足手まといになっている今の状況が、申し訳なくて仕方ない。

「もういい! そいつを殺せ!」

 ゼラットは魚人の子分に怒声を上げる。

「警告としてもう一度だけ言う。私はワルキュリア・カンパニー管轄従者、リーセル・スキュラーケン! 私は誰にも負けない!」

 リーセルは言い放った。ハリクは助けも求めず、覚悟を決め、ただ唇を固く結んで船室の床板を見るだけだ。

「おいダヒム! 早く人質を殺せ!」

 ゼラットが魚人の子分を急かす。ハリクはここで初めて自分の喉元に剣を向ける男の名を知る。

「でもお頭、本当にいいんですかい?」

 ダヒムがうろたえた様子で問い返す。

「あ゛ぁ!?」

「こいつを殺したらホントに姐さんを怒らせちまう。姐さんは俺らより、お頭よりも遥かに(つえ)ぇ! 俺らが海賊やってくには姐さんの戦闘能力が必要だったからこそ、仲間に引き入れたんですぜ?」

「構わねえ! こっちは六対一だ、負けっこねえ! いいから首かっ切れ!」

「分かりやした!」

 ダヒムが応じる。

 ここまでだ。

 自分はこれで死ぬ。

 それを理解したハリクはただ無心になり、目を閉じた。

「アババーッ!」

 瞬間、ダヒムの悲鳴が聞こえた。

 ハリクが目を開けて首を背後に回すと、ダヒムの鱗に覆われた顔面に、無数の鋭利な氷柱(つらら)が深々と突き刺さっていたのだ。飛び出た両の目のど真ん中にも。

 音を立てて崩れ落ちるダヒム。即死だ。

 正面を見ると、槍を持っていない方の手を前方に突き出しているリーセルの姿。指の先端には微細な魔力の青い残滓(ざんし)が浮遊し、薄暗い船室を照らして音もなく霧散した。

 周囲の四人の海賊達はダヒムの死に呆気に取られ、サーベルを構えたまま立ち尽くすのみ。

「……ダヒム、もう『姐さん』はやめろって言ったでしょ? 私はもう海賊を抜けたんだから、同類扱いしないでくれる? って、もう死んでるか」

 リーセルが冷酷に言い捨て、「あと私、とっくの昔にブチ切れてるから。手遅れよ」と言葉を継いだ。

「やれ!」

 ゼラットが自らもサーベルを抜き、四人の手下に対して指示を飛ばす。

 動揺していた手下達はサーベルを構え直して、慎重にリーセルとの間合いを測り始めた。その包囲の中にゼラットも加わる。

 この状況下にあって、リーセルは涼しげな笑みを浮かべ、十本のイカの足をゆっくりとくねらせながら、自分を囲む海賊達を見渡している。

 魔力封じの手枷に加え、柱にもくくりつけられているハリクは、リーセルを援護することもできず、ただ様子を見守ることしかできない。

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