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恋する音符

作者: 村崎羯諦

 ト音記号先輩とヘ音記号先輩が付き合ってるんだって。


 耳に飛び込んできたその噂は、ト音記号先輩に密かに想いを抱いていた私の胸をズタズタに引き裂いた。


 8分音符の私とト音記号先輩では、住む世界が違う。


 そんなの頭ではわかってた。


 でも、頭だけで自分を納得させられるほど、私は大人じゃないし、その程度の軽い気持ちでト音記号先輩を好きになったわけではない。


 いつも先頭に立って、みんなを引っ張ってくれるト音記号先輩。


 先輩の優しくて頼もしい姿が、私にとっていつのまにか憧れになって、気がつけばそれは抱えきれないほどの恋心になっていた。


 友達の音符から噂を聞いた時は何でもないような顔をして流したけど、帰ってから私は死ぬほど泣いた。


 何拍子かもわからないくらいのぐちゃぐちゃのリズムで、喉が枯れるくらい、わんわん泣いた。


 誰から聞いたのかは知らないけど、そんな私の様子を気にかけて、幼馴染の三連符が声をかけてきた。


 あんな奴、俺が忘れさせてやるよ。


 三連符はそう言って、私の身体を抱きしめてくれた。


 失恋でぐちゃぐちゃになったこの気持ちを一瞬でも忘れてさせてくれるのなら、何だっていい。


 三連符の甘い言葉に、私は半分投げやりな気持ちで頷いた。


 それから五線譜の一番下の線で、私は三連符に初めてを捧げた。


 三連符のたくましい腕に抱かれている時だけは、失恋の辛さを忘れることができた。


 三連符は愛してると口に出して言ってくれた。


 だけど、目をつぶって思い出すのはいつだって、幼なじみの三連符ではなくて、ト音記号先輩のこと。


 ごめんなさい。


 付き合ってしばらく経った後、私がそう言って別れを告げた時も、三連符は行くなよって引き留めてくれた。


 自分を好きでいてくれる人と一緒にいた方が幸せになれる。


 誰かが言っていたそんな言葉が頭をよぎった。


 でも、幸せになれるとか、報われなれるとか、私には関係ない。


 私は好きな人の側にいたかった。


 好きな人の息遣いが聞こえるくらいに近い場所で、その横顔をずっと見ていたかった。


 私が深夜に五線譜の先頭を訪れた時、ト音記号先輩は少しだけ困ったような顔をした。


 一番になれなくたっていい、近くにいさせて。


 泣きながら訴える私を、ト音記号先輩はそっと抱き寄せ、それから私たちは優しい口づけを交わした。


 みんな私を馬鹿な音符と笑うかもしれない。


 でも、唇と唇が触れ合った瞬間のあの喜びを、私を馬鹿だと言う音符たちはきっと知らない。


 みんな私を都合の良い音符と笑うかもしれない。


 でも、愛する相手からほんの一瞬でも求められる喜びを、私を馬鹿だと言う音符たちはきっと知らない。


 私は幸せだった。


 このままの時が止まってしまえばいいと心の底から思っていた。


 だから、私がト音記号先輩の子供を妊娠した時だって、私が感じたのは、不安とか恐怖じゃなくて、震えるほどの喜びだった。


 ト音記号先輩はまだヘ音記号先輩と付き合っていた。


 ヘ音記号先輩は私みたいな格下の音符と自分の恋人が関係を持っているなんて、きっと考えたことすらないだろう。


 みっともない見栄や野心がないわけではなかった。


 あのクールで低音なヘ音記号先輩が、嫉妬に駆られて取り乱す姿を見てみたいという気持ちもあった。


 それでも、私は自分一人でこの子を育てていくつもりだった。


 愛する相手の子供を授かる。


 それだけでも、私には有り余るほどの幸せだったから。


 生まれてきたのは、目元がト音記号先輩そっくりな16部音符だった。


 私は五線譜に腰掛けて、16部音符に子守唄を歌う。


 子守唄に合わせて16分音符はキャッキャと笑い、後ろ髪を楽しそうに揺らす。


 風の噂では、幼馴染の三連符が、同じメロディーにいた8分休符と付き合い始めたらしい。


 私は心の底から幼馴染の幸せを祝福した。


 少しも後悔がない、なんて言うつもりはない。


 あのまま三連符と付き合っていたら凪のように穏やかで平穏な毎日を送れたのかもしれない、と考えることだってある。


 でも、同じ階調で、ずっと同じ音が鳴っていても、それはそれできっと面白くない。


 自分を正当化させるための言い訳だと思われるかもしれないけど、この気持ちに嘘はなかった。


 私は16分音符にト音記号先輩の面影を重ねながら、心の中で呟く。


 愛を貫くことができて、本当に私は幸せだ。


 それが、嘘偽りない、私の本音。

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