舞韻
時刻は午前9時。階段を上がる音が聞こえ、ドアが開く音がしたと同時に
「おはようございまーす。オーナー起きてます?……寝てますよね?休みだし」
と、声がして起き上がると若い女性が立っていた。
歳は20代前半くらいで小柄だが活発そうな印象を受けた。
髪は肩までくらいの明るい茶髪で下半分が強めにウェーブしている。
目がぱっちりしていて顔立ちは整っているが、美人というより可愛らしい印象を受ける。
服装は黒いTシャツの上に白の長袖シャツのボタンを上半分外して着崩している、下は七分丈のジーンズ。
恐らくここに頻繁に来ているのだろう。部屋の様子を見るなり
「どうしちゃったんですかぁ?いつもはソファでなんか絶対寝ないじゃないですか。……それに、これもここに出しっ放しだし」
と、昨日のライフルを片手でひょいと持ち上げてニコニコしながら事も無げに
「いつもの場所に仕舞われてないから気になって見に来たんですよぉ……夕べの殺しも上手くいったみたいですね。ギルドからもぉ……」
と、言いかけてもう1つのソファを見て彼女の表情が凍り付いた。
次の瞬間ソファに飛び移ると馬乗りになって腰から拳銃を抜き、毛布をはぎ取るとそこに寝ている女子高生に向けて
「あんた、誰?今の話、聞いちゃった系?」
と、無表情で言い放った。
当の女子高生は、両手を顔のあたりまで挙げて目をつぶってぶんぶんと首を横に振っていた。
「ふぅん……聞いちゃった系なんだぁ。じゃぁ仕方ないよねぇ」
と、言うなりばっと立ち上がると女子高生も立たせて腕を後ろに捻り上げた。
小柄で可愛らしい見た目とは裏腹に怪力だ。ただ、このままでは彼女は女子高生を本当にどうにかしかねないので俺は
「ちょっと待ってくれ」
と、言うと彼女は冷たい目線のまま
「オーナー……いえ、フォックス。この娘、誰なんですか?返答次第では始末しなくちゃ……ですよ」
と、感情のこもらない言葉で返してくる。
フォックス。俺の名前にしては英語なので違和感を覚えるが、詳しいことは思い出せないので
「まずは俺の話を聞いてほしい」
と、頼んだ。
「えーーー!!記憶喪失!?マジなんですか?」
ここは地下室。
バーのカウンター裏にある隠し階段で出入りする上に完全防音で、棚には銃弾や武器類が整理されている。射撃の的が天井からぶら下がっているところを見ると武器庫兼射撃場として使っているようだ。
「マジなんだって。夕べ私の横で死にそうな呻き声をあげてたんだから!」
と、彼女の脇に置かれたパイプ椅子に縛り付けられた女子高生が口を挟む。
「あんたは黙る!!……それとも……」
と、彼女は言い、女子高生の額に銃を突きつけると、女子高生は恐怖の表情を浮かべてゆっくり首を縦に振った。
それを見た彼女はそばの机の上にあったガムテープを取り上げるとビーーーっと引き出して女子高生の口に貼り付けて声を出せないようにした。
「んんんんーーむぅぅぅぅーー!!」
「もう忘れちゃったのぉ?……物覚え悪い系?」
と、言って彼女が拳銃の撃鉄をカチャリと引くと、目を丸くして女子高生が今度は首を横に振った。
そして、拳銃をしまった彼女は顔を俺の方に向け
「じゃあ、私のことも?」
「……申し訳ない」
「どうりでフォックスにしてはだらしない部屋の散らかり方だと思いましたよぉ。でも、どうやってここまで戻ったんですか?」
「不思議なことにこのライフルを手にした途端に記憶は戻らなくても頭の中に道順が思い浮かんでここまで戻ってこれたんだ。……だけど、自分が誰で、今まで何をしてきたのかはいまだに分からない」
「帰巣本能というべきか、仕事道具を持って本能が目覚めたというべきか……とにかく医学的には説明のつかない不思議な現象ですね」
と、言うと今度は俺に関する情報を話してくれた。
俺の名前は藤井俊哉、年齢は40歳らしい。昨日持って帰った車検証の名義人も、車の中に入っていた財布の中の免許証、保険証にも同じ名前があったが、ピンとこない。
仕事は、かつては1階にあったバーを経営していたが閉店し、以後はサラリーマンをしているとのこと。
しかし、俺にはこの名前にピンとくるものがないと言ったところ彼女は無理ないことだろうという表情で話してくれたのは、やはり俺が懸念した通り裏稼業の人間だったようだ。
…通称フォックス。彼女の言うところによるとこの世界では知らない人間はいないというほど名の通った腕利きらしい。
ただ、ここだけの話として年齢的にも限界を感じて近いうちの引退をほのめかしていたとのことで、所属するギルドが引き留め工作を図っていたそうだ。
そして、この拳銃を振り回す彼女の名は花嶋舞韻。
俺との関係は表向きは1階にあるバーの店舗を借りて夕方までの時間レストランを経営しているというオーナーと店長というものだが、裏の世界でも繋がりがあって俺の弟子だというのだ。
ただし、舞韻は既に裏稼業から足を洗い、昼間のレストラン経営と雑貨を作って通販するというビジネスを行っているらしい。
ひとしきりの情報を話し終えたところで舞韻が
「それで……」
と、視線を椅子に縛られた女子高生の方に向ける。
それを見た女子高生は怯えたように上目遣いで舞韻を見つめた。
舞韻は無表情に言った。
「どうするんですかぁ?この娘。ここまで知られたからには殺っちゃった方がいいと思いますよ」
「んんんーーー!!!うううーーー!!!」
女子高生が目尻に涙を溜めて首を横に振り続け、ガムテープ越しに必死に叫んでいる。
舞韻はその額に再び銃を突きつけると
「みんなそう言うのよぉ『全部忘れるから助けて』って。でも、解放してあげたら行く先は警察。……どうせ交番の前まで行っても死ぬのは変わらないよぉ。下手に交番の前で即死できずに苦しむよりここで一発で逝った方が楽に極楽に行けるよぉ……ご・く・ら・く・に……」
と、今までの彼女からは想像できないほど妖艶な笑みを浮かべながら迷いなく撃鉄を引くので俺は思わず撃鉄と銃身の間に指を突っ込み撃てないようにした上で
「待て!!この娘は警察には駆け込めない」
「なんで分かるんですか?超能力者系?」
俺は寝る前のいきさつを話したうえで
「この娘は家に連れ戻されるのを嫌がっている。だから警察に行くことはできない」
と、言うと舞韻ははぁ~っと大きなため息をついて
「もう、仕方ない。わかりました!でも、逃げられても知りませんからねぇ」
と、言って銃をしまうと、女子高生の口に貼られているガムテープを遠慮なく一気に剥がした。
女子高生はその痛みで歪んだ表情になった。それが収まったであろう頃
「ねえ……」
と、おずおずと言った
「なに!!!」
と、舞韻がかなり不機嫌そうに返答する
「トイレに行かせて」
と、女子高生が言うと舞韻は不機嫌な表情を浮かべながら
「は?なに逃げる奴のベタな常套句語ってるのよ。行かせるわけないっしょ!」
と、即答した。
女子高生は縛られた手足をバタつかせながら
「本当なの!!縛られたままでいいから!」
と、絶叫に近い声で懇願した。
……すると舞韻は
「あんたバカぁ?縛られたままだったらトイレ行っても何もできないでしょ!……もう、2人して仕方ないなぁ……」
と、縄を解くと同時にみたび銃を抜いて
「おかしな真似しても無駄だから」
と、凄むと
「分かってるし」
と、女子高生は頷いた。
この地下フロアにもトイレはあり、舞韻に襟首を掴まれて向かった。
トイレでは舞韻がドアを閉めさせずに見張っているという酷い扱いを受けていた。
だが、後に舞韻から聞いたところによるとプロとしては常識で、むしろかなり良い扱いだという。
「下手すればバケツ持ってきて下着だけ脱がせて縛ったままで『そこでしな!』とか、あの娘の望み通り縛ったままトイレに連れて行ってやっぱり下着脱がせて介助……とかですけどぉ、さすがにどっちも嫌だし、それにあの状況じゃ逃げられないですからね」
トイレから戻ってくると舞韻は女子高生をさっきとは少し離れた場所にある椅子に縛り付け、また口にガムテープを貼り付けると俺に向かって
「ちょっとあの娘に聞かれたくない話なので上で……」
と、言われて俺は彼女と階段を上がろうとした時
「んんんんんーー!!」
と、女子高生が椅子をがたがた揺らしながら叫び始めた。
それを見た舞韻が
「戻ってくるから騒ぐんじゃないよ!!」
と、一喝して黙らせてから階段を上がっていった。
……なるほど、自分だけ置き去りにされると勘違いしたのか。
「オーナーが記憶喪失になっていたとは……」
ガレージの中で舞韻がまたため息をついた。
地下室とここが一番防音が効いているのでここに来たそうだ。……それにしても、舞韻はこの家の内部に詳しいな……と、その時の俺は思った。
「フォックスとしての仕事に関してはこれを機に引退できるようにギルドに掛け合ってみます。……こう見えて私、ギルドとは人脈あるので」
と、ニコッとして言った。続けて
「あとは昼間の仕事に関して私はオーナーから聞いた話の聞きかじりになってしまうので出来る限りの情報を後で教えますが、それだけだと足らないかも……です」
と、言った後、少しだけ硬い表情になって
「それであの娘のことどうするんです?私の勘だと昨日今日の家出じゃなさそうですよぉ。……制服も見たことのない感じだし、遠くから来ている可能性大ですね」
と、言うので夕べの(正確には今朝だが)の彼女とのいきさつを話すと
「恐らく泊めてくれる人を探して渡り歩いている系ですね。……実話小説にもあったし、最近SNSなんかでも募集する書き込み見かけるし。……人気のない住宅地にいたのは補導員に捕まらないための知恵でしょうね」
続けて
「と、いうことは『泊めてくれたらヤらせてあげる』とか言って今まで泊めてもらっていた娘だと思いますよ」
と、言われ、昨夜のことを思い出した。
……確かに、あのくだりは初めての流れではできない手慣れたものだった。まだ幼さの残るあの娘がそんなことまでしなければならないほど切羽詰まっている状況を思うと胸の奥が痛んだ。
「……ってオーナー何考え込んでるんですか?……もしかしてあの小娘に『ヤらせてあげる』って迫られてヤッちゃったんですかぁ?……マジサイテー!だから始末するのに反対してた系ですね!」
と、舞韻が一人ヒートアップし始めたので
「待て、俺はヤッてない!断固ヤッてない!確かに夕べ迫られたのは事実だが、拒絶した。ただ、拒絶された時の反応を見ると舞韻の言ったとおりのやり方で渡り歩いてきたんだと思う」
続けて
「あんな娘が、そんな最悪の方法を選択して生きてきたなんて……可哀想な現実だな」
と、言って遠くを見た次の瞬間、舞韻が顔を近づけて鋭い目つきでじーっと俺を見つめてきた。
「うわっ……なんだよ!」
「確認ですけど、オーナーって本当に記憶が戻ってないんですよね?」
「無論だよ。今まで舞韻に聞いたことが世界の全てだ」
と、言うと彼女は今日何度目になるか分からないため息をつきながら
「最初からそうなるとは思ってました。この話の流れだとあの娘も可哀想だからしばらく面倒見る……とか言い出すだろうなって。オーナーって人は人でもモノでも可哀想な境遇に置かれていると拾わずにいられないんです。その結果が……」
と、ガレージ内に目をやった。
「これらです!」