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舞韻と憂鬱

 お店の閉店は午後6時だ。

 要望があり、9時までやってみたが、ナイトの時間帯の客数は限りがある上、ほとんどがカフェ的な使い方で客単価が低い割に、長時間粘る傾向があったために戻した。

 専用メニューを考えてもほとんど出なかったのもナイトをやめた理由だ。


 閉店して掃除と明日の準備を終えると9時近くになっていた。……明日のランチ限定メニューの仕込みに凝りすぎてしまったのだ。


 その時、私は上の違和感を感じた。

 ……静かすぎるのだ。

 燈梨が来る前はこんなものだった。


 ほとんどの日はオーナーの帰りを上で待ちつつ2階の家事をし、帰ってきたところで夕食を2人で取って、片づけて帰っていた。しかし、今、家事は彼女の担当なのだ。


 2階に上がってみた。

 薄暗い部屋に入ると、そこには誰もいる気配がなかった。

 電気をつけ、部屋を見回すと家事を行っていた形跡があった。


 もう1つ感じた違和感が燈梨が着ていた部屋着が畳まれて置いてあるのと、彼女の制服がないこと、彼女の携帯がガラステーブルの上に置いてあることだ。

 ……どこかに出かけたはずなのに携帯を置いて行っている。


 私は彼女を探したが2階フロアにはいなかった。

 お店と、そこを通らないと行けない地下室は、行っていないとして、玄関に行くと彼女の靴が無くなっていた。


 ガレージにいるとは思えないが、探してみてもいなかったので、私は胸騒ぎを覚えた。

 今日のオーナーは普段と違い、会議で車を置いて出かけている。

 こういう日は飲んで遅く帰ってくることが多いので、連絡すべきか迷っていると、ふと2階で見かけた燈梨の携帯を思い出した。


 上に上がって彼女に申し訳ないと思いつつ見てみると、メッセージアプリを読んだままの画面になっていた。

 それと、今日の天気を考えると、駅に迎えに行ったのだろうか?

 ……そうすれば、着替えて外に出た説明がつく。恐らく携帯は着替えた時にでも忘れてしまったのだろう。


 私は、もう1度玄関に行って納戸を開けてみると、傘置き場に傘が1本もないので確信した。

 ……燈梨は、オーナーを迎えに行ったのだ。


 ただ、私にはそれだけで片付けられないさっきの胸騒ぎがあるのだ。

 私の経験から、燈梨はそろそろ自分の過去への嫌悪感に囚われてアンニュイになる時期に差し掛かってきているハズだ。

 今までの燈梨は、いつ自分が追い出されるかもしれない。いつまでいられるか……と、いう事ばかりを考えて自分を振り返る余裕がなかったのだが、ここに来てそれが生まれた。その余裕が不安にさせてくるのだ。


 そこに来て、記憶を無くしてから一切アルコールを口にしなかったオーナーが、飲み会に参加し、そこに燈梨が突発的に迎えに行った。

 ……こういう時は、何か事件が起こりやすいのだ。……それは、私の傭兵としての勘だ。


 私は、オーナーの鍵置き場からマーチの鍵を失敬すると、ガレージからマーチに乗って飛び出した。

 場所的に小回りが利くこの車が一番有利だと思ったからだ。


 走らせてみて、この車へのエクスタシーの大きさをひしひしと感じた。

 このマーチ、外観はちょっとクラシックなボレロながら中身はスパルタンな12SRなのだ。


 この車、最初に貰った時は通常のボレロだった。

 私も前オーナーを知っているが、お洒落などに興味はあっても、一度着こなすと興味が失せてしまうタイプの人間だった。

 この車もずっと置きっぱなしで、オーナーがこの車の悪口を聞かされて、表面上は笑顔ながら、明らかに不快感をあらわにしているのを見たことがある。


 案の定、処分を依頼されて引き取ってきた3日後にはエンジンに火が入らなくなってしまった。

 ……正確には4気筒中2気筒が死亡したのだ。


 オーナーはエンジンを生き返らせるのと同時にATをMTにしたいと思って、知り合いの解体所に声をかけた結果、追突事故に遭った12SRを入手してドッキングしたのだった。


 このお洒落な外観とスパルタンな走り、オーナーという人の車へのこだわりとセンスの良さを感じずにはいられない逸品だと思った。


 目的地の駅のロータリーで、私は女性と相合傘でやってくるオーナーの姿を目にした。

 なるほど胸騒ぎがした通り女性と一緒だったのか。

 

 相手の女性に私は見覚えがある。

 オーナーが『世話焼きおばさん』と私にこぼしていた同僚だ。

 若く見えるがオーナーと同い年で、結婚して中学生の子供がいるが、同い年であるオーナーが独身であることを心配して、やたらと職場の若い女の子とくっつけたがったり、顔を合わせるたびに

「ちゃんと野菜食べてる?」

 等と聞いてくる人で、オーナーがちょっと鬱陶しがっていたのを覚えている。


 恐らく、今日も同じ方向に帰るオーナーが、傘を持っていなかったので一緒の傘に入って行け……とでも強引に引っ張り込んだのだろう。

 でもって、普通1つの傘に大人2人で入って帰るという行動は取らないだろう。おばちゃんのくせに、やってることが中学生くらいの発想だ。


 その時、オーナーには見えず、私には見える位置から立ちすくんでいる燈梨の姿が見えた。

 ……マズい。

 今の不安定な燈梨が、こんな状況を見たら、ショックで家に帰ってこなくなってしまうかもしれない。


 まずは、この状況をぶち壊すことが私の使命だと思ったので、マーチから降りると2人に向かって


 「あれ?オーナー。奇遇ですねぇ。ちょうど本日の売上報告をしようかと思っていたんです……が、お連れの方がいらっしゃいましたかぁ?」


 と、声をかけた。毎日の売上報告などしていない。

 当然ながら、オーナーに声をかけるための口実だ。

 案の定、私の登場で、2人にはそれまでと違う空気が流れ始めた。

 世話焼きおばさんはバスで帰ると言い始めたため、2人でバス停まで送るとオーナーをマーチの助手席に乗せて待たせて、燈梨を見かけたあたりに走って行った……が、彼女の姿はなかった。

 周辺を軽く探してみたが、やはり見つからなかった。


 私は車を発進させ、駅を出ようとして凍り付いた。

 ……見覚えのある女の姿を見たからだ。

 マーチで改めて燈梨がいた周辺を走りながら私はオーナーに言った。


 「今の2人の姿、燈梨に見られてた系ですよ」

 「なんでここに燈梨が?」

 「雨が降ったので、傘を持って迎えに来たんですよ。……ただ、ここにきて生活が落ち着いたこともあって、彼女なりに考え込んでナーバスになっていた系なので、家出されるかも系ですよ」

 「何故不安になることが……」


 私は左折と同時にギアを2速に落としながら


 「彼女の中に、何故オーナーが自分を置いてくれるのか、もし、誰かを家に連れてくるようなことがあったら、彼女ができたりしたら、今までの男性のように追い出されるのではないかという不安が付いて回ってた系なんです。そして、今日その疑わしき現場に遭遇した。彼女の中で何かが弾けちゃった系なんです」


 と、敢えてフラット気味に言った。

 しかし、私はその考えは痛いほどわかるのだ。

 昔の私の思いと似ているからだ。


 私の場合は、家にいられなくなっても、現場系の仕事で稼ぎつつ、1人で暮らせるだけの行動力はあるので、特に大ごとにはならないが、燈梨の場合はそうはいかない。

 今、家を飛び出したら元の木阿弥になりかねない。

 ただ、彼女自身が過去の自分のやってきたことに後ろめたさと嫌悪感を感じているので、元にも戻れないとしたら最悪の結論しか待っていない。だから、私は胸騒ぎを覚えるのだ。


 「どうしよう……」


 不意にオーナーが言ったので私は


 「家に戻って待ちましょう」


 と、言ってオーナーの家に戻った。


 ……それから2時間が過ぎたが、燈梨が戻ってくる様子はなかった。


 私には疑問と気がかりがあった。

 まずは、忽然と姿を消した燈梨のことだ。

 いくら何でもプロであった私が警戒している中、煙のように消えられるかということだ。


 彼女が走って逃げたくらいだったら、私があの後周辺を探し、更にその後、車で探し回った際も見つからないなどとは到底思えないのだ。


 そして、気がかりはその周辺にいたあの女……沙織の存在だ。


 過去にフォックスの命を狙った忌々しい奴。

 私が捕らえて地下室で三日三晩拷問にかけたのだ。


 私は3日目にフォックスにあの女を処刑すべきだと、進言したのだが、彼はあの女を赦し、ここで面倒を見たのだ。

 私は最初からあの女のことを信用などしていなかったが、フォックスは、しばらく弟子として鍛え直してやれば……などと言うので好きなようにさせていた。

 ……案の定、半年ほどしてあの女は姿を消した。

 その女が何故、今日オーナーのすぐ近くにいたのかを考えるといてもたってもいられなくなり、封印したはずの番号に電話をかけた。相手はコールしてすぐに応答した。


 「もしもし、沙織。私のこと、忘れた訳じゃないわよね」


 相手の反応を聞いて私はやはり……と、ピンとくるものがあった。

 今日、オーナーの近くにいたのは偶然なんかではなく、何かの狙いがあったのだ。

 そして、私から連絡が来ることも予想通りという訳だ。

 ……でなきゃ「これはこれは」なんて嫌味で余裕をかますわけがない。

 私は続けて


 「なんで連絡したか、分かるでしょ?あなた今日、フォックスの近くにいたわよね。もしかして、家にも行ってる系なんじゃない?」


 予想通りの反応だ。

 ただ、本当に家には来ていないだろう。

 そんなことをすれば私に気付かれるし、それに彼女は私が今、昼間お店をやっていることを知らない様子だ。


 沙織は私に対する恨みつらみを語り出した。

 ……彼女は私から見ても単純な直情型だ。

 感情が爆発すると周りが見えなくなる。

 プロとしてはその辺がお粗末だ。


 ……そして、通話口から聞こえる沙織のくだらない話の後ろから聞こえてくる声に私は戦慄した。

 ……燈梨が、沙織に誘拐されている。


 これで私の疑問と気がかりは完全に一本の線で繋がった。

 オーナーをつけていたであろう沙織は、その近くにいた燈梨が繋がりのある人間だと直感で見抜いて彼女を攫ったのだ。


 と、なると沙織の狙いが読めない。

 まずは彼女が動くのを見極めるしかない……が、燈梨が小声で私に語り続けているのを沙織に気付かれたら彼女に何をされるか分からない。


 燈梨にメッセージは届いていると知らせる必要もあるので、私は


 「あのさぁ、いつまでもそんなくだらない恨み言言ってないで、フォックスの近くをうろついてる理由を言いなさいよ。だからあんたはプロとして三流系なのよ……おっと失礼、三流なんて言ったら三流の方々に失礼系だわ」


 と、彼女を挑発した。すると、彼女は


 「何言ってんのよ!マジイミフ。近くにいたらいけない法律でもあるわけ?それにあんたに理由を言わなきゃいけない義理も義務もないわよ!あんたこそ頭おかしいんじゃないの?……いい、今にあたしにそんな偉そうな口叩いたことを後悔することになるわよ。こっちには切り札だってあるんですからね!!」


 と、言うと電話を切った。

 ……だから彼女は三流未満なのだ。

 感情に任せて本来『知らない、見間違いでしょ』と、シラを切らなければいけない事実をあっさり認めてしまった。


 そのうえで燈梨を誘拐したことまで暗に認めるような発言をしてしまったのだ。

 まぁ、とにかく賽は投げられたのだ。

 彼女の動きを見ることにして私は事前準備に動き始めた。



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